古高俊太郎邸跡

2008年06月02日
高瀬川に沿って北に向かいます。
四条小橋から一筋目を西に曲がり、50mも行かない所に古高俊太郎寓居跡(京都市下京区西木屋町通四条上ル西入ル南側)があります。
古高俊太郎寓居跡
古高俊太郎は近江国大津に生まれました。
山科毘沙門堂の家臣となり、俊太郎(正順)は同門跡の近習になりました。
堺町丸太町に住み、勤王派の集会所となりましたが、幕吏の目をくらますために、骨董屋を装いました。
文久元年に、薪炭商・桝喜の養子に入り、ここを本拠地にしました。

元治元年、古高達は、連判状に署名し尊攘派決起の決議をしました。
しかし桝屋は新選組に捕縛され、壬生へ連行されました。

池田屋事変(桝屋喜右衛門が捕縛されたので、善後策を講じるために集まっていた)ののち、禁門の変の大火で六角牢に火が迫り、7月19日、古高は獄中に処刑されました。36歳。
新選組大事典より

古高俊太郎寓居跡は、細い路地を入った所にあります。
もし当時も、今と同じように家が建て込んでいたのなら、こっそりと勤王派が訪れるにはよかったのかもしれません。
が、幕府側に踏み込まれた時は、逃げ道がないという弱点もありそうです。
だからこそ、新選組も古高を捕縛できたのかもしれません。
本当に細い路地です。
入って行っていいのか躊躇われました。

お店の横に「古高俊太郎寓居跡」の碑が建てられています。

この古高俊太郎捕縛がなければ、池田屋事変も無く、新選組の活躍もどうなっていたのか分かりません。
古高は壬生に連行後、新選組の屯所(旧前川邸)で、蔵の梁に逆さに吊るされて、足裏に五寸釘を打ち込まれ蝋をたらされて…。という拷問を受けたという話はよく耳にします。

あまり長い間お店の前にいても、お邪魔になるので次の史跡に向かいました。


新選組・池田屋事件顛末記新選組・池田屋事件顛末記
(2001/06)
冨成 博

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