苦肉の策 忍たま乱太郎-久々知

2011年12月01日
久々の更新は、忍たま乱太郎編です。

尼崎市久々知です。

久々知1  久々知2

久々知兵助の名字の由来となった地名です。
“くくち”と読みます。

そんなに難解な地名ではないと思っていましたが、難解な部類に入るみたいですね。

写真は山手幹線の交差点なので、なんの変哲もない風景で面白みがないので、自分的にも納得いってないのですが…(苦笑)
久々知だと近松門左衛門の墓(2009年7月16日参照)の方がいいかもしれない。

小さな工場が多くあります。
でも工場街という雰囲気ではなく、大きな家も多く、静かな住宅街という雰囲気です。
近松公園という大きな、緑豊かな公園や周りには神社やお寺が多いです。

近松公園はお花見スポットです。
春に是非来てみて下さい。

小田地区の大字。
市域中心部やや東に位置する。
地名は、杣山の管理にあたった古代氏族・久々智氏の居住地であったことに由来するという説があり、猪名川または武庫川の舟運により上流で切り出された木材が運ばれ、この地域で集積・加工された可能性があります。
史料上の初見は建久2年「観福寺大般若経奥書」(『尼崎市史』第4巻)で久々智村とあります。
橘御園の荘域に属したほか、下坂部荘に属したとされています。
南北朝~戦国時代の争乱に際して、諸将がしばしば陣を構えました。

近世初期には幕府領または大坂城代領・大坂定番領、元禄7年(あるいは貞享3年とも)武蔵国忍藩阿部氏(忠吉系)の領地、文政6年幕府領、文政11年、尼崎藩領となりました。
村高は「慶長十年摂津国絵図」「元禄郷帳」「天保郷帳」のいずれにも1,165石とあります。
大井組に属しました。
氏神は須佐男神社(近世には久々知妙見)。
寺院は真言宗善通寺派円安寺・臨済宗大徳寺派正眼寺・日蓮宗広済寺。
広済寺は元来妙見宮の神宮寺であり、近松門左衛門ゆかりの寺院として名高く境内には近松の墓があります。
Web版尼崎地域史事典『apedia』より







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