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苦肉の策 忍たま乱太郎-猪名寺

2011年09月21日
遅くなりましたが、主人公猪名寺乱太郎の由来、猪名寺です。
JR猪名寺駅、猪名寺の交差点とか候補はあったのですが、やはり猪名寺の地名の由来となった猪名寺廃寺跡(兵庫県尼崎市猪名寺1-41)に行ってみましょう。

猪名寺3  猪名寺2  

猪名寺1
    塔の心柱礎石

猪名寺4  猪名寺5


猪名寺廃寺跡とは兵庫県尼崎市猪名寺にある、飛鳥時代から室町時代にかけて存在した仏教寺院遺跡。
猪名寺の地名の由来となった寺院跡です。

藻川西岸の洪積台地上、現・佐璞丘公園に位置します。

昭和33年までの発掘調査の結果、東に金堂、西に五重塔、これらを回廊が囲む伽藍配置が法隆寺とほぼ同等の寺院でした。
川原寺式軒瓦など出土した瓦片から、創建時期は飛鳥時代後期の白鳳時代とされます。
同様に出土した埴輪類から、寺院建立以前に古墳や住居が存在していた可能性も推定されています。

伽藍は天正6年の荒木村重と織田信長の戦乱[荒木村重の居城「在岡城(有岡城)」攻略の時焼失したと考えられています]により焼失し、廃寺になったと推定されています。

同様に古くからあり、宝暦7年に廃寺跡一画に再興された法園寺が猪名寺であったとする説もあります。

※佐璞丘は、猪名寺の創建に関与した阿倍内麻呂が佐璞射(左大臣の漢名)だったことに由来しているといわれています。
Wikipediaより


園田地区の大字。市域北東部、猪名川と藻川の分岐点の西岸に位置します。
真浄坊遺跡があり、また南清水にかけて弥生後期~奈良時代の中ノ田遺跡があります。
古代の渡来氏族である猪名部の居住する猪名県があったことから、古代にはこのあたり一帯を為奈郷と呼んでいました。
古代寺院である猪名寺廃寺跡がある。為奈(猪名)の地に寺院が建てられたことから、猪名寺が地名となったのでは。
奈良時代には、僧行基が身寄りのない子供や老人を収容する猪名寺給孤独園を建てました。
史料上の初見は、そのことを記した正和5年「行基菩薩行状絵伝」(『尼崎市史』第11巻)です。

塔の心柱礎石が法園寺本堂北側に保存されています。
この礎石は、長径2.5m、短径1.9mの花崗岩の巨石で、上面に柱座孔がくり込まれており、高さ29.7mの三重塔が推定できます。
Web版尼崎地域史事典『apedia』より


JR猪名寺駅を東に降りて、東方向へ歩くと広い道に出ます。
その道を北へ曲がると、郵便局のある猪名寺交差点があります。
その横の細い道をさらに北に進むと猪名寺廃寺跡があります。
大きな木の森という感じが遠くからでもわかります。

猪名寺廃寺跡に行くのは初めてでした。
思っていた感じと違ってました。
もっとこう荒れ果てた、一人でいったら危ないようなイメージでしたが、全然違ってました。
住宅街の中で、綺麗に手入れされていて隣?同じ敷地内と言うのかな?に、お寺もあって、公園になっていました。
平日の昼間に行ったので、誰も遊んでいませんでした。

この写真のように木々が生い茂る場所はフェンスが張ってあって、入る事が出来なかったのが残念です。
木々の中を歩けたら気持ちがいいでしょうね。

と、猪名寺の感想を書きましたが、私が一番驚いたこと、
それは忍たま乱太郎の主人公乱太郎の名字が“猪名寺”だったことです(笑)








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