新選組&幕末 ばんざい!!

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十七烈士 墓の設計絵図

育児にあたふたしている間に期限が切れていました。
あ~、ショック(涙)
データとしてアップしておきます。


十七烈士 墓の設計絵図 東山・霊山歴史館で初公開”というのがあったのです。

 禁門の変(1864年)で長州藩の別動隊として幕府軍と戦った真木和泉守ら勤王志士「十七烈士」の墓の設計絵図が見つかり、京都市東山区の霊山歴史館で初公開されている。
現在墓のある大山崎町の天王山中腹でなく、近くの宝積寺(同町)三重塔の下に建立され、一列に墓石を配したことが分かる。
同館は「一人一人を顕彰する意味があったのでは。墓を建立した長州側が、禁門の変の恩義から志士を手厚く弔った証ではないか」としている。

十七烈士は、久留米や熊本など長州藩以外の出身で尊皇攘夷を掲げた17人の志士。
禁門の変で敗走する際、長州勢を先に逃がして天王山に立てこもり、自刃したと伝えられる。

初公開されているのは「天王山招魂場絵図」(縦24.5cm、横33cm)で、宝積寺の三重塔の下に「十七名」と記した縦長の墓の図面が描かれている。
同館によると、墓の長さは「8間」(約15m)で、墓の両端に2基の石灯籠がある。
墓地の幅は「11間」(約20m)で、敷地内に松の木があったこともうかがえる。

昨年11月に、霊山歴史館が上京区の郷土史家から寄贈を受けた。
長州藩主だった毛利敬親が明治元年に墓を建てたといい、同館の木村幸比古学芸課長は「絵図は、長州藩から依頼を受けた石材屋が描いた下書きと考えられる」と話す。

大山崎町歴史資料館によると、墓は明治20~30年に現在の場所に移された。
同館は「宝積寺に墓があったことは分かっていたが、詳細を示す資料は初めての発見だ。三重塔の下に区画を作り、丁寧に墓を整備した様子が伝わる」としている。
京都新聞社より

展示は霊山歴史館で10月3日まででした。


宝積寺2
  宝積寺の三重塔

宝積寺2








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後ろにも本棚が…。

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