相楽総三墓-青山霊園Ⅷ

2008年05月27日

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相楽総三の墓 (1イ-3-1 立山墓地)

相楽総三は本名小島将満、通称四郎左衛門、のち四郎といい、下総(千葉県)北相馬出身の郷士で江戸赤坂に豪邸を持つ小島兵馬の末子です。
草莽の志士、赤報隊隊長。

慶応2年頃から京都に入り、志士と交流を深めました。
長州藩主毛利敬親にも知られました。
伊牟田尚平、益満休之助を通じて西郷隆盛、大久保利通と関東擾乱計画を練りました。
同じ年、伊牟田・益満とともに薩摩江戸屋敷にはいり、相楽総三と名乗り、野州、甲州、相州など各地に挙兵しました。
慶応4年、京で西郷から東征軍先鋒嚮導隊参加を求められました。その後、近江愛知川の妙寿院金剛輪寺において赤報隊を編制、鈴木三樹三郎(元新選組)、油川錬三郎とともに、軍裁に就任、一番隊長となりました。

租税半減をゆるされ、通過の村で実施しました。
慶応4年1月25日、東海道鎮撫使の指揮下に入ることを命ぜられましたが受けませんでした。
そのため、偽官軍として捕縛の布告が出されました。
2月18日、美濃大垣の東山道総督府で、捕縛命令は撤回され、薩摩藩の指揮下に入る指示を受けました。
29日、下諏訪の総督府に出頭、逮捕されました。
3月3日、同志7人とともに斬罪に処せられました。

長谷川伸は「相楽総三とその同志」において冤罪を明らかにしました。
幕末維新人名事典より

青山霊園での今回の目的は、相楽総三のお墓にお参りすることでした。
ちょうどこの頃、漫画で「るろうに剣心」(和月伸宏氏)が人気でした。
テレビでもアニメ化されていたのもこの頃だったと思います。
新選組&幕末ファンとしては、新選組の斉藤一(藤田五郎)が出ていますし、剣心の相棒の相楽左之助が新選組の原田左之助をイメージさせるのですから、読まないわけがないでしょう。

そこで左之助のテーマが「赤報隊 相楽総三」だったのです。
名前は知っていました。
が、それより少し前の大きな事件で、赤報隊を名乗る犯人がいたりで、あまりいいイメージは持っていませんでした。
漫画で少し興味を持ってみたら、ようやくそのイメージが変わりました。

お墓も大きな道を渡った、立山地区にありました。
探しても分からないので、管理事務所で訊ねたのですが、「そんなお墓ありました?」みたいな感じだったのです。
著名人のお墓のリストにも載っていませんでした。
やはり私が最初に持っていたのと同じようなイメージがまだあるのでしょうか?

やっとお墓に辿りつきました。
幕末の頃の人のお墓に行くと思うのが、若くして亡くなったのだな…。という事です。
近藤勇や土方歳三に坂本龍馬は30代。
沖田総司や相楽総三が20代。
彼らがもっと長生きしていたら、世の中は変わっていたでしょうか?


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