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鴫立庵-松本順(松本良順)墓碑

2011年01月25日
鴫立庵(神奈川県中郡大磯町大磯1289)です。

鴫立庵1545
       鴫立庵

鴫立庵2546
鴫立庵の観音堂の傍の松本順の墓碑
球体の石に漢字で「守」と刻まれています。
大磯に日本初の海水浴場を開きました。
大磯町民が建てた墓碑で墓は妙大寺にあります。

京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並び、日本三大俳諧道場の一つとされます。
敷地内に建てられた石碑にある銘文「著盡湘南清絶地」から、「湘南発祥の地」とされることもあります。
場所は大磯の国道1号線(旧、東海道)沿いの鴫立沢にあります。
名称は西行の歌「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」(『新古今和歌集』)による。

寛文4年、小田原の崇雪が草庵を結んだのがはじまりで、元禄8年、俳人大淀三千風が入り、第一世庵主となりました。
明和5年3月、白井鳥酔が再興し、庵主となりました。
Wikipediaより

松本順(松本良順)
幕府医官。
江戸を脱走して、官軍に抗しました。

佐藤泰然の次男に生まれ、幼名を順之助といいます。
幕医松本良甫の養子となり、良順また順と名乗りました。

伊東玄朴、竹内玄洞に洋医学の手ほどきを受け、幕医には禁じられていた洋医学の本格的修業許可を強く出願し、安政4年許されて長崎に赴き、オランダ人医師ポンぺについて学びました。
ポンぺの医学教育所は海軍伝習附属の形になっていましたが、伝習所が江戸に移ってからもしばらく長崎で修業し、精得館医学所の頭取をつとめました。

文久3年大槻俊斎、緒方洪庵のあとを受けて幕府医学所の頭取となり、七科のセクションをおいて近代的整備を行い、のち東京大医学部となる基礎を築きました。
前年、法眼となりました。

将軍慶喜の大政奉還直後、本多晋、柏木忠俊、立花種恭らとともに事態収拾にあたろうと奔走しました。
慶応4年8月榎本武揚とともに江戸を脱走、東北地方で官軍に抗戦、降伏して入牢させられましたが、のち赦され、東京早稲田に病院を建てました。
兵部省に出仕し、衛生部を設置、また陸軍軍医制度の確立に尽力しました。
幕末維新人名事典より


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