篠原泰之進墓-青山霊園Ⅴ

2008年05月24日
青山霊園には新選組隊士であった、篠原泰之進のお墓もあります。
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篠原泰之進の墓 (2イ-12-3-5)

篠原泰之進、篠塚友平、秦河内、秦泰之進、秦林親と名乗っていました。
筑後国生葉郡高見村出身の新選組隊士。
諸国を遊歴した中で、加納鷲雄と出会い、佐野七五三之助らと尊攘活動を約しました。
また加納を通して伊東甲子太郎を知りました。

元治元年、江戸での隊士募集に応じて上京し、入隊に至りました。
のち伊東甲子太郎らと新選組から分離し、孝明天皇の御陵衛士(高台寺党)として勤王活動を行いました。
油小路事件では、謀殺された伊東の遺体を同志と回収に向かいましたが、新選組の襲撃にあい薩摩藩邸へ入り、中村半次郎に庇護されました。
翌月、阿部十郎らと伏見墨染で近藤を銃撃し、負傷させています。
鳥羽・伏見の戦いでは、薩摩軍に属して戦い、のち赤報隊に加わっています。

維新後は弾正台出仕などを経て、実業界に進出しました。
晩年はクリスチャンとなりました。
新選組大事典より

篠原泰之進の写真はよく目にします。
晩年の写真ですが、威厳がありながらも、優しいおじいちゃんという雰囲気の写真です。
新選組の全盛期を知る人で、「秦林親日記」を残しているのです。
明治44年というと、私達の年代の祖父母が生まれた時には、ご存命だったかもしれないのですね。
そう考えると、明治はすぐそこという感覚です。



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