日野宿

2010年07月28日
自分の目で見てみないと史跡、日野宿(東京都日野市日野本町)の石碑です。

日野宿488 

宿場町として整備されたのは慶長10年のことで、八王子宿を整備した大久保長安の手によって開かれました。
甲州街道は1685年以降、日野橋の開通までは、日野の渡しで多摩川を越え、東京都道149号立川日野線を南下し、新奥多摩街道入口信号で右折して東京都道256号八王子国立線を西進、日野駅前東交差点北側の日野不動産裏を左折して日野自動車手前で現甲州街道に合流する道筋でした。

本陣跡には本陣としては東京都内で唯一遺された当時の建物(日野市日野本町)が建っています。

その前の現在駐車場になっている辺りにあった長屋門を改装して佐藤彦五郎が天然理心流の道場を開きました。 (下の写真↓ )
この道場で剣術を教えていたのがのちの新選組局長近藤勇です。
近藤と土方歳三、沖田総司、井上源三郎、山南敬助ら新選組主要メンバーはここで出会った。
この向かいに問屋場と高札場があったが、現在は石碑が建つのみです。
Wikipediaより


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そば屋「日野館」(東京都日野市日野本町2-15-9)が、佐藤彦五郎の屋敷跡で、天然理心流佐藤道場跡になります。
道場は大正15年に火災で焼失しましたが、長屋門の門扉は冠木門として現存しています。
建物自体は文久3年(近藤・土方上洛後)の棟上だそうです。

正面中央の玄関敷台では、甲陽鎮撫隊進軍時の休息中に病をおして沖田総司が四股を踏んでみせた。
土方歳三が昼寝をしたのは玄関すぐ奥の10畳間。
土方歳三の写真を持って来た、市村鉄之助が暫く滞在したのは、その向かって二つめの6畳間。
10畳間から奥に二つめの8畳間は、甲陽鎮撫隊時に歳三がノブに心配事を話した部屋。
その天井は文久3年当時、大工だった大石鍬次郎が張った。

などがあります。
新選組史跡事典より


私が“佐藤彦五郎道場”を訪れた時、この石碑は無かったような…。
新しい石碑ではないのでしょうか?






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