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大内宿

2010年07月20日
大内宿(福島県南会津郡下郷町大内山本)

大内宿535 

街道は会津西街道、南山通りまたは下野街道と呼ばれ、 会津若松と日光今市を結ぶ重要な道でした。
戊辰戦争の際には、大内は会津軍と新政府軍の激戦の場となりました。
会津軍後退のときには、焼きはらいに遭うところでしたが、言い伝えによれば、当時の名主による死を覚悟の抵抗によってまぬがれたといわれています。

全長約450mの往還に沿って、道の両側に妻を向けた寄棟造、茅葺の民家群がほぼ等間隔に建ち並んでいます。


<下野街道>
福島県会津若松市から栃木県日光市今市(旧今市市)までの全長130㎞に及び、現在の福島県道131号下郷会津本郷線及び国道121号に沿っています。
南山通りともいわれ、関東側からは会津西街道と称されていました。
江戸時代には会津藩、新発田藩、村上藩、庄内藩、米沢藩などの参勤交代や江戸と会津以遠を結ぶ物流の道として重要な街道でした。

下郷町域の下野街道は延長約22㎞に及び、このうち大内宿を中心とした約10㎞が旧状をよく留めています。
平成14年3月19日に、この古道と三郡境の塚、茶屋跡、一里塚、馬頭観世音碑などの関連遺跡が、国の史跡に指定されました。

若松城下 - 福永宿 - 関山宿 - (氷玉峠) - (大内峠) - 大内宿 - (中山峠) - 倉谷宿 - (八幡峠) - 楢原宿 - 田島宿 - 川島宿 - 糸沢宿 - (山王峠)- 横川宿 - 中三依宿 - 五十里宿 - 高原新田宿 - 藤原宿 - 大原宿 - 高徳宿 - 大桑宿 - 今市宿

※大内宿と氷玉峠の間にある大内峠、戊辰戦争で激戦地となった

豊臣秀吉、伊達政宗、藩祖保科正之(徳川家光の弟)、吉田松陰、イザベラ・バード(英国の女性旅行家)など多くの歴史上の人物が往来しています。

戊辰戦争の激戦地でもある大内宿です。
ここは1度は行かなくては…。

しかし車の規制も厳しいようですね。
観光シーズンは車の長蛇の列が出来るとか…。
という事は、この景観をずっと残していこうという強い現れでもあり、歴史ファンとしては喜ぶべきことかもしれません。
観光地化されて、開発が進み、車も人も増えて、あちらこちらにそぐわない建物や駐車場が出来るよりは、当時の景観が長く維持されるということですよね。

会津には1度しか行っていないので、もう1度行ってみたいと思います。







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Comment
No title
こんばんは。
同じ福島県内ですが一度だけ行っています。
確か、反対側に抜ける道がないせいで渋滞すると聞いた覚えがあります(現在はどうなっているのか分かりませんが)

雰囲気を味わうには人が少ない時間帯が良いですね。

会津は、鶴ヶ城が赤瓦になってしまうらしいので、それからの方が(工事中を見るより)良いかもです。
スポッツ
Re: No title
お返事が遅くなってすみません。

幕末戊辰戦争当時、鶴ヶ城が赤瓦だったとは、ごめんなさい知りませんでした。
当時に近い姿を見られるようになるという事ですね。
嬉しいですが…。

改修直後は余りにそこだけが綺麗すぎて、歴史の重みが感じられないと思いませんか?
少し風雨に晒されて、年数を重ねた頃がしっくりきそうな気がします。
幕末とは関係ないですが、金閣寺の金箔が貼りかえられた時に、綺麗な金閣寺をみて強く思いました。
おそらく2~3年は遠出が出来そうにないので、ちょうどいいかもしれませんね。

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