龍馬自筆の手紙(下書き)発見!

2010年06月17日
竜馬自筆の手紙見つかる=後藤象二郎あて下書き―大政奉還諮問の日付・高知 (時事通信)

大政奉還建白書をめぐって、坂本竜馬が土佐藩の家老後藤象二郎を激励するため慶応3年に送った有名な手紙の下書きが、15日までに高知県の民家で見つかった。
実際に後藤に送った手紙の写真は知られているが、自筆の下書きが見つかったのは初めて。

書き損じたため下書きとして残ったとみられ、高知県立坂本竜馬記念館の前田由紀枝学芸主任は「大政奉還という大事を前にした竜馬の心の揺れが読み取れる、非常に面白い史料」と話している。

手紙は、将軍徳川慶喜が大政奉還を各藩に諮問した1867年10月13日付で、縦約20cm、横72cm。
決死の覚悟で登城した後藤を激励し、「後藤の下城がないときは、将軍が参内する道路で海援隊と待ち受け、不倶戴天の敵を討ち取る。地下で面会しよう」などと過激な内容が書かれている。

実際に出した手紙と内容に大きな違いはないが、下書きでは結句が「謹言」(実際の手紙では「誠恐誠懼」)、署名が「坂本直柔」(「竜馬」)と違っているほか、「後藤先生」を「後藤生生」と書き間違えて余白に「先」と書き直している。また最後の部分には、「参政(後藤)登城の時、つかはしたる草案にて候」との説明が書かれた別の紙が張り付けてあった。

手紙は、同県いの町の個人宅で見つかった。所有者の祖父が知人から譲り受けたという。
同記念館に寄託する考えで、7月17日から開かれる企画展で展示される。 
WEBニュースより(一部個人名は不掲載にしました)


御相談被遣候建白之儀、万一行ハれざれば固より必死の御覚悟故、御下城無之時は、海援隊一手を以て大樹参内の道路ニ待受、社稷の為、不戴天の讐を報じ、事の成否ニ論なく、先生ニ地下ニ御面会仕候。
草案ニ一切政刑を挙て朝廷ニ帰還し云々、此一句他日幕府よりの謝表中ニ万一遺漏有之歟、或ハ、此一句之前後を交錯し、政刑を帰還するの実行を阻止せしむるか、従来上件ハ鎌倉已来武門ニ帰せる大権を解かしむる之重事なれバ、幕府に於てハいかにも難断の儀なり。是故に営中の儀論の目的、唯此一欸已耳あり。万一、先生一身失策の為に天下の大機会を失せバ、其罪天地ニ容るべからず。果して然らバ小弟亦薩長ニ藩の督責を免れず。豈徒ニ天地の間に立べけんや。誠恐誠懼。
   十月十三日                 龍馬
  後藤先生 左右


これが有名な手紙だそうです。
この手紙の下書きが発見されたのですね。

龍馬でもやはり下書きをするのだとちょっと驚きました。
同藩の重臣宛てだから下書きをしたのでしょうか?
考えをまとめるため?

いまの大河ドラマの状況からは、龍馬が後藤象二郎のために命をかけるなどとは想像もつきませんね。
この頃は、龍馬、後藤象二郎、岩崎弥太郎と仲良なんですよね。
ん~、不思議な感じです。
ドラマの印象を受けすぎかな。










史伝坂本龍馬
幕末、アメリカ・ロシアなど列強の脅威にさらされる日本を救うべく、破天荒な一人の漢が現れ、時代を駆け抜けた?。反目しあう薩摩と長州を説得して同盟を結ばせ、世界に例のない「無血革命」大政奉還をプロデュースし、その行く末を見届けることなく凶刃に倒れた坂本龍馬。その凝縮された三十三年の生涯を、史料にもとづきながらたどり、熱き魂の本質に迫る。巻末に「龍馬年表」「関連人物事典」を掲載。
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