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日英修好通商条約後の写真-新聞記事

2010年01月12日
日英修好通商条約が結ばれた後の、幕府開国派の武士たちの写真”の新聞記事です。

古写真1-1  古写真2-1
掲載年月日不詳 朝日新聞(?)
後列左から岩瀬忠震、水野忠徳、津田正路
前列、森山多吉郎、井上清直、堀利煕、永井尚志


安政5年8月26日に日英修好通商条約が結ばれ、英国宿舎だった江戸・芝の西応寺(東京都港区芝2丁目)で写真が撮られたようです。

彼らは、開国派だけあってか、ハムやシャンペンに興味津津? だったようですね。

土方歳三とシャンペンって似合いそうだとおもいませんか?
あの洋装の土方歳三だとピッタリですよね。
土方歳三だと、和装でも様になりそうな気がします。

近藤勇は日本酒の方が似合っていますよね。
そして沖田総司は日本茶に饅頭(笑)

新選組の皆さんにハムやシャンパンを体験させてあげたかったな…。



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Comment
No title
こんばんは。
来年が日普修好通商条約から150周年と言う事で、プロイセンとの交渉に関った外国奉行の堀利煕さんの事が気になっておりました。
開国派ゆえにプロイセンの将来性を見越していた人物だったようですが、未だ統一ならないドイツ連邦の他の諸国との条約を結ぼうとしたため、老中・安藤信正と衝突(公武合体遂行中で朝廷を怒らせたくなかったため)、切腹してしまいました。

一本気な人物だったようで、信正もお家を潰さぬ様に配慮したようです。堀さんの写真を見ても意志の強さが感じられます。

その後、プロイセンに助力していたヒュースケンも暗殺され、信正も思うところがあったのか、条約は無事結ばれました。
ちなみにヒュースケンは(西暦)の1月15日に斬られ、16日に亡くなっています。
更に余談ですが信正は翌年(太陰暦)1月15日の坂下門外の変が切っ掛けで失脚しています。

開国は死と隣り合わせで、命がけで現在に至る諸外国との友好関係を創った人達を思うと感慨深いです。
スポッツ
Re: No title
幕末当時、命懸けでそれぞれが信じる道(開国や攘夷など)を突き進む彼らの話を聞くと、現在のこの政治不安の世の中がどうしようもないほど情けなくなってきますね。
金・権力・金・権力・金・権力という服を着て、国民のことなど全く考えていないような渦中の人たちを、幕末の世に送り込みたいです。
きっと通用しないでしょうね。

後の歴史から、攘夷派や徳川幕府派などは“賊軍”といわれてしまいますが、それでもこれだけ真剣に自分の命を懸けて信念を貫いた事は、今の世の政治家とは雲泥の差があるように感じてしまいます。

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