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富松城跡

2016年11月13日
富松城跡(兵庫県尼崎市富松町2丁目13)に1度行ってみたかったのです。

富松城1  富松城4

富松城3


富松城は、伊丹城、大物城、越水城の中間地点にあり、境界防衛や連絡の城として攻防の要となり、たびたび戦火に見舞われています。
長期にわたってここを本拠地とした城主はなく、戦乱のたびに入れ代わった戦歴があります。

富松城の規模は、それまで東西80m、南北100mの小規模な城と思われていましたが、平成6年(1994年)の発掘調査で東西に150m、南北200mの館城で、周囲に土塁、二重の水堀がめぐらされている中規模の城であったことが推定されます。
また、昭和38年(1963年)の道路工事に伴う発掘調査からは、矢倉台の土台らしき遺構が発見されました。

長享元年(1487年)11月の「年貢算用状」に富松城の初見が見受けられます。
平安時代にはこの地は富松荘と呼ばれた荘園でした。
この時代から薬師寺氏が管理しており、築城も薬師寺氏の可能性が高いと思われます。

最初の戦火は永正16年(1519年)の越水城の合戦で、細川高国軍は瓦林正頼を援護するために富松城に陣をひきましたが、その後正頼が越水城を開城したため、細川澄元方の武将が入城しました。
次の戦いは享禄3年(1530年)で、大永7年(1527年)の桂川原の戦いで敗れた高国は、浦上村宗の力を借りて摂津に侵攻。
この際に細川晴元派として富松城を防衛していたのは薬師寺国勢でした。
享禄3年9月21日、高国軍は神呪寺城から朝駆けで攻撃したが、晴元派の救援があり一旦兵を引いた。
しかし同年10月19日、再び攻め込み薬師寺軍を伊丹城に敗走させ、富松城を高国軍の本陣としました。
薬師寺氏は代々高国派であったが、例外的に薬師寺国勢は高国に敵対していました。
しかしこの敗走により再び高国派に寝返ります。
この後大物崩れで高国が自害し、薬師寺氏も勢力を失うことになります。

主が居なくなった富松城が次に歴史に姿を現すのが、天文10年(1541年)であす。
一庫城の戦いで2ヶ月間包囲していた三好長慶軍は、木沢長政軍が大軍で攻めてきたためいったん越水城に兵を引いたが、逆に木沢軍は越水城を包囲し、後詰の軍を富松城に配置しました。
木沢軍は越水城へ攻撃を開始、西宮に放火して回った。
これに対し三好軍は阿波に援軍を求め、同年10月2日に反撃を開始、包囲軍を撃退し富松城も落城させました。

その後富松城は三好長慶派に占拠されていました。
三好政長と長慶との争いの中で、政長軍は越水城と中嶋城の長慶軍を分断を目的として天文18年(1549年)5月1日に富松城を攻撃するものの、落城させることはできずに退却。
その後江口の戦いで政長は戦死、長慶方が勝利。
長慶は最後まで抵抗していた伊丹城を落とすため、天文19年(1549年)1月11日に富松城に入城したが、結局同年3月28日に和議が成立しました。

富松城が廃城となった時期は明確ではありません。
三好長慶時代には越水城の支城になり、織田信長の摂津進攻により越水城を放棄するまでは三好方の武将が詰めていたと思われます。
『細川家記』によると、「牧丞大夫・新五父子、先祖は橘姓、薬師寺次郎左衛門公義末流、摂津国河辺郡富松の城主・富松与一郎元亮の男で、同郡牧村(現伊丹市荒牧ヵ)に住して牧を名乗り、青竜寺より仕える」とあり、信長の摂津進攻より降りて、城主の子が長岡藤孝(細川幽斎)に仕えたようです。
城は『立花志橋』によると天正年間(1573年 - 1592年)までは存続したと思われるが、その後の経過については不明です。
Wikipediaより



富松城跡があることは知っていましたが、遠いだろうなと思っていました。
最近、城跡横を車で通る事があり、以外と近いことを発見しました。
ならば行ってみなければ!
ちょうどこの横を通ってもいける場所に用事があったので、その時行くと決めていました。

柵の横に堀跡らしき窪みがあります。
横に回るともっと広くて、中に入れると思っていましたが、道路側から見ると奥行きは数mしかなく、柵で囲われていました。
その柵の中には階段も見えるのですが、入れない…。
ちょっと肩透かしをくらった感じがしましたが、この住宅街の中では堀の一部が残っているだけでも奇跡かもしれませんね。

戦国時代に多くかかわりがあっただろう富松城。
有名な戦国武将も富松城の存在は知っていたのかもしれませんよね。
もしかしたら近くまで来たかもしれないし、訪れた事があるかもしれません。
織田信長関係で訪れた塚口城跡もここから近く、歩いて30分ほど、車だと10分かかりません。
昔の人にとって、徒歩30分なんてすぐそこ感覚なのではないでしょうか。
今でも、学校まで30分とかありますものね。

少し前まで、富松城跡は私有地だったそうですが、今は市有地になったとかで、保存される方向に決まったとか、決まりそうだとか…。
今まで奇跡的に残ってきた史跡なので、できればこのまま残してほしいです。
人間の手によっては壊されないでほしいです。








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富士山&駿河湾夕景

2016年11月04日
富士山を見ながら、白糸の滝を離れました。

富士山

駿河湾夕日

沼津市を目指しながら、富士山を何度も探してしまいます。
やっぱり富士山は特別な何かがありますよね。

沼津に行く途中に“田子の浦”の看板を発見。
あの田子の浦ではないですか。

田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ
  山部赤人

田子の浦と聞いて、この一首がパッと浮かびました。
今まで、この句を聞いてもあくまでも想像でしかなかったのですが、こんな感じで富士を見たのかと思えました。
その場所に行ってみると、詠み人に近い感覚で句を感じられると思うのは私だけですか。
夏だったので、富士の高嶺に雪は降っていなかったのが残念でした。


夜は、敦賀湾に沈む夕日を見ることができました。
見るのなら、私は朝日より夕日の方が好きです。
哀愁を感じる?
その後の星空もきれいですよね。




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お鬢水

2016年11月03日
白糸の滝から上がってくると、駐車場の一角にお鬢水(静岡県富士宮市上井出)があります。

お鬢水3

お鬢水1  お鬢水4

白糸の滝の横、食行身禄の碑の横の坂を上がり駐車場にでました。
道路に向かって歩いていると、看板が目に入りました。
ワクワクしながら向かうと、「頼朝ゆかりのお鬢水」の説明板でした。

降りていくと、小さな池です。
でも、すごく澄んでいてきれいな水が溜まっていました。
説明板によると、頼朝がこの水を鏡代わりにして、鬢を直したそうです。
今でも鏡代わりになりそうなほどにきれいでした。

しか~し、私が池を覗いていると、蜂が……!!
アシナガバチ?
いや、スズメバチみたいなんですけど!
そっと場所移動するも、どうやら蜂に好かれたのかついて来る。
一緒に見ていた子供の方には行かずに私にまとわりついて来るんです。
まあ、子供が無事ならいいのですが。
私は早々に撤収です。

頼朝の頃には蜂はいなかった…でしょうね。
やはり鎌倉時代も蜂はいたんですよね?
スズメバチもいたのでしょうか?
刺されたらどうしていたのでしょう。

昔は、自然も多いけれど、山には動物の食料となるものも多く、人間と動物との済みわけもできていたのかもしれないですね。

この水がいつまでも澄んでいることを願います。





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