新選組&幕末 ばんざい!!

新選組を中心に歴史の舞台を巡ります

アーカイブモード [2016年07月 ] 記事一覧

全然違う

幕末ごろの地図はよく目にしていました。新選組ファンですから、どうしても幕末になります。そんな私が、今戦国時代をさまよっているのですが、先日安土桃山時代の京都の地図という本をみました。全然違う!!現代とはもちろん違いますが、幕末の頃とも全然違う!!戦国から幕末の間、ざっくり260年ぐらいですよね。ちがう~!これは秀吉が大改革(?)をしたからですか?伏見の辺りを見ると、有名大名屋敷がたくさんありました。...

史跡は遠くにありて想うもの

子供の病気で外出できない(涙)症状は“メチャかる”家の中ではいろんなことをしているのですが、次回の診察までは外出できない…。ので、子供がテレビを見ている間、パソコンであれやこれやと見ていました。長久手古戦場………あった!えぇ~、目の前に大型ショッピングモールですか!!恒ちゃん戦死の場所ですが、恒ちゃんもビックリ\(◎o◎)/!たぶん、地元の方はだから何?なんだと思います。史跡って、身近にありすぎると意識の中...

悲しい…寂しい…

映画版“信長協奏曲”を観ました。ドラマ版ももちろん重い内容の部分もありましたが、コミカルで軽快な場面も多かったですよね。映画版は全体的に重い(まじめ)な内容で話が進んでいきましたね。まあ、内容が「本能寺の変」ですから、仕方がないんですけれど…。帰蝶の尻に敷かれるサブロー(信長)もなかったし、家臣たちも仲がいいな~の時期もすぎ手柄をたてる事が中心でギスギス感も感じられました。ある意味それが普通だとは思...

もしドラマの歴史が本当だったら…

“信長協奏曲”の映画をやっと観ることができました。私がフッと思ったのは、最後の帰蝶のビデオレターとそれを見るサブロー時間的なもの。サブローが戦国時代にタイムスリップしたのは高校生ですから、17か18歳ぐらい。史実では帰蝶と結婚したのは1548年。 タイムスリップした時には結婚していたので、1548年にはなっていたのでしょう。そして斉藤道三が長良川の戦いで戦死していて(1556年5月28日)、いろいろと合戦があって、本...

ちょっと気になる…

本当にどうでもいい事なんですが、ちょっと気になる事があります。それは“実写版 銀魂”内容や実写で撮った時にどれだけ漫画と似るかとかではなく“着物と刀”銀魂は甥っ子が一時、漫画にアニメと見ていたので内容はわからなくても主人公のスタイルや顔は知っています。あの着物と刀のスタイルが、“信長協奏曲”のドラマ第3話の小栗旬氏のスタイルと似ているな~と、一度思ってしまったら銀魂の主人公も小栗旬氏ではないですか。着物...

斉藤一の写真

2016年7月15日の日本経済新聞夕刊に、斉藤一の写真が発見された記事がありました。写真が載っている記事は手元にあるのですが…。妻トキヲさんと息子2人との家族写真です。あまり鮮明ではない集合写真は有名で見たことはありました。でも、あの写真だと顔もよくわからないんですよね。今回の写真は家族写真という事で、ちゃんと顔が見えます。パッと見たところ、小説やドラマ・映画で描かれる斉藤一のイメージは感じられませんで...

ドラマにそれを求める?

先ごろ、“戦国時代の大誤解”という本を読みました。以下は、あくまでも私の感想です。一般的に思われているものは、事実とは全然違うという内容です。半分ぐらいは、戦国が特に好きではなくても歴史全般が好きなら知っているだろう…ということでした。まあ、それはOKなんです。ただ、読み進めるうちに私は読む気が急降下しました。時代劇、大河ドラマが間違っている。それの繰り返しなのです。馬の大きさが違うとか、あれも違う、...

久々知須佐男神社 - 矢文石

久々知須佐男神社(兵庫県尼崎市久々知2丁目3-28)には多田満仲に由来する矢文石があります。  拝殿前の大石は、「矢文石」と呼ばれます。『小田村勢』では多田(源)満仲がふんばって多田城へ矢文を射たあとを残した石とされます。しかし、神社に伝わる伝承では、満仲が矢を射て、九頭の大蛇を退治したあとだと伝わります。社伝によると、満仲が摂津の国守として赴任したとき、住吉神の神託によりこの石の上から矢を放ちまし...

塚口城跡 現代地図

   (クリックして拡大)塚口城跡として回った場所を、地図に記してみました。ほぉ~、なんとなく塚口城の大きさが想像できます。清水町門跡と東町門跡のそばには水路もあります。南町門跡の近くには、阪急電車が走っていますが、その線路脇には用水路?溝?…水の流れがあります。塚口城のお堀だったのかもしれません。ついつい間違えてしまいそうになるのですが、“塚口城”であって“尼崎城”ではありません。“尼崎城”はもっと広...

塚口城跡 北町門跡

塚口城跡の最後は、北町門跡の祠(兵庫県尼崎市塚口本町2-7)です。  北町福祉会館の近くに、北町門跡の祠はあります。正弦寺の後、こちらに来た方が早かった!南町門跡からは真っ直ぐ西に歩くだけです。南町門跡から続く道、北側でも南側からでもこの祠の前で合流します。マンションの横に、小さな小屋(?)があって、その中に祠があります。その祠の横を覗くと、写真の風景があります。私が参考にさせていただいたHPには、...

塚口城跡 清水町門跡

正玄寺から次は、清水町門跡(兵庫県尼崎市塚口本町2-23)を探すことにします。    近くにあった堀あと?     尼崎領をしるした石碑正玄寺から北に向かいます。保育園のあるT字路を東(右折)側に曲がり病院の前を通ります。歯科医院の手前の交差点を北(右折)に曲がると、清水町福祉会館があります。その横に清水町門跡の祠がありました。正玄寺からおよそ250m、徒歩3~4分です。清水町福祉会館前に、尼崎領をしる...

塚口城跡 正弦寺

正弦寺(兵庫県尼崎市塚口本町1-12)は南町門跡からすぐの所にありました。  尼崎地方の一向一揆は、塚口御坊が中心であったとしるされています。この御坊は、応永16年(1409)に性曇上人が建てたと伝えています。性曇上人が尼崎に来たとき病気になり、1ヵ月余り滞在しました。このとき入信した祐信が発起人となって、上人の許しをえて堂舎を建てたのが塚口御坊となりました。そののち、細川勝元と山名持豊とが応仁2年(1468...

塚口城跡 南町門跡

塚口城 南町門跡(兵庫県尼崎市塚口本町1-18)です。塚口城跡(兵庫県尼崎市塚口本町1丁目)に行ったあとに、塚口城は「塚口寺内」ともいわれるように、最初、寺内町として発展しました。応仁の乱の時、塚口御坊を中心に一揆衆が立て籠もり、寺内の周囲に土塁と環濠をめぐらせ、一つの防衛施設を形成させました。天正年間(1573~92年)に、この施設を武将が軍事目的にのみ利用した期間があったため、現在ではこの遺構を一般的...

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新選組と幕末だらけの本棚
実は二重になっているので、
後ろにも本棚が…。

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