以蔵と饅頭屋さん だったよな…

2014年11月22日
ちょっとどうでもいい話、しかも歴史に関係のない話を書きたいと思います。

もう20年ほど前の話です。
“竜馬におまかせ!”ですっかり、以蔵と饅頭屋さんのファンになった私。
以蔵と饅頭屋さんに付随して、反町隆史さんと、北原雅樹さんのファンにもなった私。
(すみません、今は好きでも嫌いでもなくなりました。)

そのあとのドラマ“バージンロード”に二人が出るというので、見てしまい(笑)すっかりはまってしまいました。
当時はまだビデオの時代で、自分で録画したものと、市販されたビデオを持っていました。
が、今はDVDの時代。
ビデオデッキも壊れてしまって、そのビデオを見る事が出来なくなっていました。

そして先日、DVDが手に入り…。
見てしまったら、またまたどっぷりハマってしまいました。

あ~、反町くんかっこいい。
(今の私の年齢から当時の反町さんの年齢を見ると、“さん”より“くん”がしっくり。
最終回のラストはもうメロメロです。
素人の私がいうのもなんですが、“竜馬におまかせ”のときより“バージンロード”で一気に演技もうまくなった気がします。
武田鉄矢氏のおかげやと感じていたのを思い出します。
だって武田鉄矢氏といえば、坂本龍馬(笑)
以蔵と龍馬はいい関係でしょ?

あのドラマ、
ストーリーもGood
主題歌もGood
キャスティングもGood
これ以上ないBestがそろっていると思います。

そのシーンがあるから次のシーンがさらに良くなって、というのが最後まで続いていて、そして最終回のラストはそれらすべてが重なって、もうメロメロですわ(笑)

今、もしあのドラマをリメイクして作るとしたら、主演の二人にピッタリの俳優さんがいないですものね。
和久井映見さんの雰囲気を持っている女優さん…思いつかないな。
当時の反町くんの笑顔と紛争地帯に行くって言っても違和感のない強さを持っている俳優さん…いるかな?
そして二人の楽しい掛け合いと、真剣な掛け合いが違和感なく出来る俳優さん…誰だろう?

流石に、20年後の「桜井家」は“金八先生”ではあるまいし、変ですものね。

あ~、本当はもっと、ひとつひとつ胸キュンのシーンを書きたいと思っていたのですが、なかなかうまく表現できないので是非皆さん見て下さい、とお勧めして終わります。






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岡山城 伍

2014年11月18日
岡山城 天守閣に到着!

岡山城2

“どっしり” “真四角” “あまり見たこと無い感じ” というのが真正面で見た感想でした。
お城というイメージは、大坂城や姫路城で、それぞれの階が括れのようになっている、上に伸びあがっているイメージが強かったです。
でも岡山城は、どっしりお相撲さん型とでもいうのでしょうか。
壁面が黒いのもそう思う要因かな?

遠景でみていると、そんな感じは全くないのですけれど…。
不思議です。

岡山城には入らずに、後楽園でゆっくりしようという事になりました。
再建ではないお城だったら入ったかな。








岡山城 肆

2014年11月10日
宇喜多時代の石垣を見たあと、天守閣の礎石がありました。

岡山城ー天守閣の礎石

戦災で焼けた天守閣ですが、天守閣の礎石はほぼ正確にここに移されているそうです。
同じ場所に無いとしても、こうして当時の物が残っているって素敵ですよね。
楽しい妄想・想像・空想が出来ますものね。

さて、↓下の家紋はどなたのものなのでしょう?
写真は撮ったもののまだ調べきれていないのです。
岡山城ー瓦








Read more "岡山城 肆"

岡山城 参

2014年11月07日
やっと“表向”とよばれる場所まで来ました。

岡山城5
  表向と呼ばれた辺り

岡山城ー築城時の石垣1  岡山城ー築城時の石垣3  岡山城ー築城時の石垣2
   宇喜多時代の石垣

表向は、本段よりやや低い場所で、藩政庁兼藩主公邸の御殿がほとんどを占めるそうです。
宇喜多時代に一部が築かれ、小早川時代に南部分、池田時代に北部分が大幅に拡張されました。
鈍角の石垣に囲まれた本段とは違い、表向は直角に曲がる石垣上に多数の櫓が配置されています。
岡山シティミュージアムHPを参考


今は建物などが無いので広場のようです。
2ヶ所ほど、鉄柵があったので覗きに行きました。
一緒に行っていた子供や甥・姪家族は全く関心がないので、一人で走って見て走って合流…。
でも走った甲斐がありました。

「築城時の石垣」が展示されているのですから!
歴史だわぁ~。
いったい何年の月日が経っているのでしょう。
それが残っているのですから、感動以外にありません。

私の不得意 戦国時代ですが、宇喜多氏もこの石垣を目にして、触った事があるかもしれません。
今の大河ドラマ「軍師 官兵衛」の時代あたりですよね?
たしか階段が付いていて、石垣を見に降りられたようでしたが…。
私は、一人別行動しているので、そこまでの時間はなく、写真だけを撮って走りました。

天守閣まであと少し
ファイト!!







岡山城 弐

2014年11月05日
県庁前でバスを降り、岡山城に進みました。
大きな建物は県庁と、道路を挟んで県立図書館なんですね。
県立図書館沿いの道を歩いていると、お城が見えてきました。
橋を渡ると、岡山城です。

歩いていると、石垣が現れました。
岡山城石垣

歩いていると、内下馬門の石垣と説明板があります。
なんだか乱雑に積んだような石垣。
これも何とか積みという方式何でしょうね。
そして関ヶ原の戦いの頃のものだとか…。
凄い!そんじょそこいらの歴史ではないですか!!

岡山城ー内下馬門の石垣  岡山城ー内下馬門の説明
内下馬門
本丸大手口の大型枡形門で、目安橋で二の丸と接続されていました。
橋を渡って最初にある一の門(高麗門)をくぐって左に折れると内下馬門(櫓門)がありました。
岡山城内でも最大級の櫓門で、一階部分が両袖の石垣よりも高い構造は全国的にも珍しく、古式な様式を伝えています。
岡山シティミュージアムHP参照

さらに天守閣を目指して歩いていると、月見櫓がありました。
月見櫓は現存する建物なんだそうです。
ん~、歴史だぁ~。

岡山城ー月見櫓下の石垣  岡山城ー月見櫓下の説明

月見櫓
本丸唯一の現存建築物。
外観二層櫓ですが、表向内から見ると三層になっています。
1層目・2層目とも唐破風出窓や出窓格子が多用されています。
岡山シティミュージアムHP参照

夏休み期間中でしたが、あまり人も多くありません。
その分、他の人に気兼ねする事もなく、自分たちのペースで歩けてよかったです。








岡山城 壱

2014年11月01日
岡山城(岡山県岡山市北区)です。

岡山城1  岡山城2


香川県でうどんだけを購入して、岡山まで戻ってきました。
夕方の新幹線まで、岡山城か後楽園に行こうという事になりました。
ん~、岡山駅からは歩くと距離がある?
てっきり駅前かと思っていました。
姫路城の感覚。
でも、大坂城は大阪駅から環状線に乗りますね。

バスに乗って、岡山城まで行きました。
お城に入城する予定はなかったので、お城の下まで行って、後楽園に行こうという事になり、まずは岡山城に向かいました。


岡山城
別名は烏城(うじょう)、金烏城(きんうじょう)

戦国時代に、備前西部から美作、備中に勢力を伸ばした宇喜多氏が本拠としたことで近世城郭の基礎が生まれ、その後小早川氏、池田氏により整備、拡張が行われました。

岡山城は標高が十数メートルの丘が連なる小高い土地に建設されました。

当時、旭川河口部は複数の派川に分岐しており、その中の大洲原と呼ばれる広大なデルタ地帯中央に「岡山」(柴岡山とも)、その西隣に「石山」、さらにその北西には「天神山」(天満山とも)の3つの丘が連なり、各時代ごとに要害として使用されたとされます。
その中の石山にあった石山城に宇喜多直家が入城・改築し、後に子の宇喜多秀家が隣接する岡山に新たに本丸を設け、石山城を取り込む形で城郭が建造され、これが岡山城です。

城の縄張は基本的には梯郭式となっており、三段の城郭配置が西側の一方だけに広がる平山城となっています。
言いかえると本丸の北から東には郭の無い、非常に防備が薄い縄張です。
そのため旭川の流路を変更し、天然の堀として東側の備えに利用したとされます。
さらには郭の代りとして、「後園(後楽園)」が築かれたともされます。
天守は4重6階の複合式望楼型で、特に初重平面形状が歪んだ多角形をしているため、同じく歪んだ多角形平面の天守台を持つ安土城天主を模したものではないかと言われていますが、羽柴秀吉による大坂城天守を模しているという説もあります。
その外観は黒漆塗の下見板が特徴的で、この印象から「烏城(うじょう)」とも呼ばれ、隣県の「白鷺城(はくろじょう)」とも呼ばれる姫路城と対比されることもあります。
元禄時代の古地図からは、五重の濠に囲まれた城郭と、南北3.5km、東西1.3kmにおよぶ城下町の姿が伺えます。

明治時代に御殿・櫓・門の大半が取り壊されました。
堀は内堀の一部を除いてほとんど埋められましたが、街路は江戸時代の位置をほぼ踏襲している個所が多い。
さらに第二次大戦中、空襲のため天守・石山門を焼失。
現在までに2つの櫓、本丸付近の石垣、内堀が残り、戦後に天守・不明門・廊下門・六十一雁木上門・塀の一部が再建されました。
現存する月見櫓・西之丸西手櫓は国の重要文化財に指定され、「岡山城跡」として史跡にも指定されています。
その他、京橋御門が岡山市南区小串に移築され現存しています。
城跡は「烏城公園」として整備される一方、二之丸跡に山陽放送、林原美術館、岡山市民会館が、三之丸跡に岡山県庁、岡山県立図書館などの公共機関がある。

また隣接する大名庭園・後楽園は、水戸・偕楽園、金沢・兼六園とともに、日本三名園として並び称されます。


寛永9年、鳥取から池田光政が31万5千石で入封しました。
光政は、姫路城で生まれたが、父の死後元和元年に鳥取城主となっていた。
以後、幕末まで光政系池田氏の居城となります。
寛文6年~貞享3年にかけて百間川の改修整備が実施され、貞享4年からは光政の子・綱政により14年の歳月をかけて後楽園を造営しました。
周囲を土塁と竹垣で囲み、庭園の形をとるものの城を守る郭の役割を期待していたとされる。
ともに郡代津田永忠によるものであり、永忠は閑谷学校、藩の新田開発などにも手腕を発揮した。

明治時代以
明治2年の版籍奉還により藩主・池田章政は岡山藩知事に任ぜられ、岡山城は藩の府城たる役割を終えて兵部省管轄、つまり存城となった。
明治6年の廃城令により順次建物の取り壊し・堀の埋め立てが行われていき、明治15年頃までには、天守・月見櫓・西之丸西手櫓・石山門を残すのみとなりました。
明治23年、旧藩主池田章政に払い下げられた後、池田家は岡山県に提供し、明治29年には本丸趾に県立岡山中学校が建てられました。
随所にあった堀の埋め立ては何度かに分けて行われました。
こうして昭和初期頃までには城跡と見受けられるのは本丸を残すのみとなり、五重の濠に囲まれた巨大な城郭は市街地へと姿を変えました。
Wikipediaより

岡山藩
外様 31万5千石 居城
文久3年2月に家督を継いだ池田茂政は、水戸の徳川斉昭の第9子。
尊王攘夷を主張し、天皇優位の公武合体を目標とした。
同年の八・一八クーデターによって長州藩を主力とする尊攘派が京都から追放されたとき、藩主茂政は長州藩の暴挙をみとめながらも、寛容の処置を朝廷に懇願する。
さらに元治元年2月、茂政は朝廷に長州藩の毛利敬親父子の宥免を要望し、幕府には攘夷の奉勅をすすめた。
このような長州藩との接触が幕府の嫌疑を買うことになった。
禁門の変がおこると、茂政は長州の行動を非難し、以降の周旋を断った。
第一次征長には積極的ではなかった岡山藩も、征長の勅命を奉ずるために、藩主自らが備前一宮あたりまで出馬、家老池田出羽が広島へ出動する。
第二次征長も同様、茂政は違勅のことを恐れて、やむを得ず備後路まで出兵する。
浅尾騒動には、幕命によって家老池田隼人が400人をひきいて惣社へ赴く。
慶応4年正月、鳥羽・伏見の戦い、兄である前将軍慶喜が朝敵となり、藩内に長州藩の誘導で討幕の機運が盛り上がると、藩主茂政はその政治的立場を失った。
岡山藩は鳥羽・伏見で幕軍に加わった備中松山藩、姫路藩の追討を命ぜられ、その城地引き取りに出動する。
2月に東海道軍の先鋒を承った岡山藩は、570人の藩兵と200人の農兵を送り出し、関東、東北、箱館へと転戦する。
3月、病気を理由に退隠した茂政にかわって、徳川氏とは無縁の岡山の支藩鴨方藩から迎えた章政があとを継ぎ、勤王倒幕の路線を押し進めていった。
幕末維新史事典より









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