御礼

2011年12月31日
今年1年もありがとうございました。

何度か訪れてくれた方、1回だけのご縁だった方、いろいろな方々が訪れて下さった事が嬉しかったです。

まだ自分の時間が取れず、“ブログを更新したい!”と心の中では泣きながら、子育てに翻弄されていました。
来年は今年よりも大きくなるはず(なってくれないと困ります 笑)で、1週間に1回か2回かでも自分の時間が取れるといいなと思っています。

史跡巡りはもう数年先になるのかな?

龍馬避難の材木小屋跡の碑もできているようなので、その碑も見に行きたいです。
新選組の史跡を改めて廻るのが夢だし。

どうなるのか私自身想像もついていませんが、カメよりも遅い歩みでも続けていこうと思っているので、またフッと思い出した時でも構いませんので、覗いてみて頂けると嬉しいです。







霊山歴史館 武市半平太像

2011年12月28日
霊山歴史館に新たな像が登場!

今回は“武市半平太”です。
武市1
2012年1月号 会報“維新の道”より

武市半平太像2
高知県須崎市横浪県立自然公園の武市半平太像
(2008年7月26日参照)

顔の感じは似てる気がします。
確か武市さんは自画像が残っていましたよね。
でも写真は無かった…。

自画像も痩せこけたような様子ではなかったですか?
でも像を作ると同じような顔になる…。
同じ武市半平太像をつくるのだから同じ顔になって当然ですが、でも写真ではない自画像で此処まで似るのですね。
ということは、武市半平太はこんな顔をしていたということですか!

この記事を書いていたら、なんだかまた須崎の武市半平太像に会いに行きたくなりました。

抜けるような青空に、きらきら光る海。
そのなかに立つ武市さん。
周りには何もなく、もしかしたらこのまま忘れさられるのでは?と、少し心配になる武市さん。
龍馬より人気が少し薄い武市さん。
でも土佐藩の中では、気になる存在なんですよね。

大河ドラマの影響できっとファンもふえたでしょね。







近藤勇の漢詩の掛け軸 発見!

2011年12月27日
近藤勇の漢詩の掛け軸が発見されていました。

京都 霊山歴史館会報“維新の道”2012年1月発行に記事が載っていました。

近藤勇発見1
2012年1月付 維新の道

文久3年に詠まれた漢詩だという事です。

この掛け軸が発見された事は全く知りませんでした。
新選組オタクとしては失格だぁ~。

詩の内容をみるといまひとつピンっときません。
なんというか回りくどいというか…。
近藤勇の印象と違います。
私がまだまだ近藤勇という人を理解していないのかな?

龍馬ブームの時、坂本龍馬の新発見が多くありましたが、新選組関係の新発見もまだまだありそうですね。
できれば、土方歳三の埋葬場所発見とか、沖田総司の写真発見とか、隊士が使っていた物が見つかったとか、そういう大発見があれば楽しいでしょうね。

この掛け軸は秋の特別展に展示されていたようですが、これからは随時公開されるようなので、またみに行きたいと思います。











溜息…ふぅ

2011年12月15日
最近は、史跡の更新よりも“しばらく お待ちください”ばかり書いている気がします。

今年ももう少しで終わりますね。
今年も全くどこにも行けず…(涙)

夏に子供がようやく1歳になったばかりで、史跡巡りに行けないのはわかっているのですが、やはりちょっと寂しいです。
来年は、近くでいいので史跡巡りにいけるかな?

新選組とはいいません、幕末関係だと嬉しいけれど幕末と限定もしません、何か歴史を感じられる所にお散歩にでも行けたらいいな。
そういえばNHK大河ドラマ“平清盛”は神戸が舞台になったりするんですよね。

今年もあと3週間、2回更新できるかな?









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実写版 るろうに剣心

2011年12月05日
2011年12月3日の日刊スポーツに載っていた記事です。
相変わらずスキャナーが…(涙)
記事をカメラで撮ったので、それで頑張ってみて下さい。

るろ剣 実写

いかがでしょうか? 佐藤健氏の緋村剣心。

この写真だけで判断するのは無謀ですが、やっぱりなんか違う…。
美男子すぎるのかな?
もっと大人っぽいけど、子供っぽい…。
ん~難しい。

私の佐藤健氏の印象はけっして悪いものではありません。
NHK大河ドラマの岡田以蔵も“違う!”なんて思いませんでしたが、今現在の剣心はちょっと。

以蔵は実在の人物でしたが、剣心は漫画の中の人物で人間としての実像が無い分、実写で撮ると違和感が余計にでるのかのしれませんね。

後は、それぞれのキャラクターがどう演じられているのかと、技をどうCG合成せれているのかですね。
あまりにちゃっちい合成や、違和感だらけの作り方だと幻滅しそうです。








苦肉の策 忍たま乱太郎-久々知

2011年12月01日
久々の更新は、忍たま乱太郎編です。

尼崎市久々知です。

久々知1  久々知2

久々知兵助の名字の由来となった地名です。
“くくち”と読みます。

そんなに難解な地名ではないと思っていましたが、難解な部類に入るみたいですね。

写真は山手幹線の交差点なので、なんの変哲もない風景で面白みがないので、自分的にも納得いってないのですが…(苦笑)
久々知だと近松門左衛門の墓(2009年7月16日参照)の方がいいかもしれない。

小さな工場が多くあります。
でも工場街という雰囲気ではなく、大きな家も多く、静かな住宅街という雰囲気です。
近松公園という大きな、緑豊かな公園や周りには神社やお寺が多いです。

近松公園はお花見スポットです。
春に是非来てみて下さい。

小田地区の大字。
市域中心部やや東に位置する。
地名は、杣山の管理にあたった古代氏族・久々智氏の居住地であったことに由来するという説があり、猪名川または武庫川の舟運により上流で切り出された木材が運ばれ、この地域で集積・加工された可能性があります。
史料上の初見は建久2年「観福寺大般若経奥書」(『尼崎市史』第4巻)で久々智村とあります。
橘御園の荘域に属したほか、下坂部荘に属したとされています。
南北朝~戦国時代の争乱に際して、諸将がしばしば陣を構えました。

近世初期には幕府領または大坂城代領・大坂定番領、元禄7年(あるいは貞享3年とも)武蔵国忍藩阿部氏(忠吉系)の領地、文政6年幕府領、文政11年、尼崎藩領となりました。
村高は「慶長十年摂津国絵図」「元禄郷帳」「天保郷帳」のいずれにも1,165石とあります。
大井組に属しました。
氏神は須佐男神社(近世には久々知妙見)。
寺院は真言宗善通寺派円安寺・臨済宗大徳寺派正眼寺・日蓮宗広済寺。
広済寺は元来妙見宮の神宮寺であり、近松門左衛門ゆかりの寺院として名高く境内には近松の墓があります。
Web版尼崎地域史事典『apedia』より







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