苦肉の策 忍たま乱太郎-塚口

2011年09月28日
塚口水堂塚口に行きましょう。
塚口を象徴するような場所……、ん~、何処かな……。
塚口町、塚口本町、南塚口町に東塚口町と塚口は広い!
塚口神社とか?

いっそのこと、駅にしよう!!
という事で、阪急電鉄の塚口駅JR西日本福知山線の塚口駅とにしました。

JR塚口  JR塚口2
    JR塚口駅と北側の踏切から駅をみる

阪急塚口2  阪急塚口1
     阪急塚口駅とその前のロータリー


立花地区の大字。
市域中央北部、尼崎から伊丹へと通ずる街道沿いに位置します。
付近には池田山古墳をはじめ塚口古墳群に属する古墳が点在しており、塚口という地名も池田山古墳もしくはこれら複数の古墳を背後にひかえていることに由来すると考えられます。
史料上の初見は「広島別院旧蔵蓮如上人遺文」(宝塚『尼崎市史』第4巻)で、文明15年の内容を記す個所に「つか口」とあります。
中世には応永16年、建立と伝えられる浄土真宗興正寺別院・塚口御坊を中心に、土居(土塁)と堀をめぐらせた寺内町を形成し、一向一揆の拠点の一つでした。

近世初期には幕府領、元和3年、尼崎藩領となりました。
富松井組と三平井組に属しました。
氏神は須佐男神社(近世には牛頭天王社)、寺院は浄土宗願生寺・浄土真宗興正寺派正玄寺。


【塚口城】
戦国時代の史料にみえる城。
塚口は、伊丹から神崎に至る伊丹街道(有馬道)の重要な通過地で中世では在郷町。
塚口御坊と称された浄土真宗興正寺別院の寺内町として栄えました。
天正6年、荒木村重と織田信長との合戦のとき、「塚口は伊丹より尼ヶ崎までの道筋ゆえ、荒木村重塚口を出城に構えられ候…」(興正寺塚口別院由緒/立花志稿)と、この寺内町に前線基地を築いた。
寺内町の周囲には土塁が巡り濠がありました。
土塁は高さ2間半、延長531間、堀幅は2~3間。
同年12月11日の荒木攻めでは信長の軍勢の一部は塚口郷に進駐し、伊丹城の出城をU字形に囲む戦法をとったことで知られます。
Web版尼崎地域史事典『apedia』より


塚口駅といっても、JRと阪急の駅は繋がっているわけでもなく、約1㎞も離れています。
ビックリでないですか?

阪急塚口駅前には、大きなスーパーにショッピングセンターがあり、バスのロータリーもあるのですが、JR塚口駅前には最近ようやくコンビニが1軒できました。
森永製菓や三菱の工場がド~ンと建っています。

JR塚口駅と言えば、福知山線の脱線事故現場直前の通過駅で当時はテレビに多く取り上げられていました。

塚口を堪能しようと思えばやはり阪急塚口の方が便利でしょうね。
そこから北に行けば塚口神社があります。
南に行けば、テニスが強い女子大学(クルム伊達公子選手はそこの高校出身)があります。
JR塚口周辺は工場が多いですが、阪急周辺は住宅街で、大きなお宅も多いです。







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苦肉の策 忍たま乱太郎-猪名寺

2011年09月21日
遅くなりましたが、主人公猪名寺乱太郎の由来、猪名寺です。
JR猪名寺駅、猪名寺の交差点とか候補はあったのですが、やはり猪名寺の地名の由来となった猪名寺廃寺跡(兵庫県尼崎市猪名寺1-41)に行ってみましょう。

猪名寺3  猪名寺2  

猪名寺1
    塔の心柱礎石

猪名寺4  猪名寺5


猪名寺廃寺跡とは兵庫県尼崎市猪名寺にある、飛鳥時代から室町時代にかけて存在した仏教寺院遺跡。
猪名寺の地名の由来となった寺院跡です。

藻川西岸の洪積台地上、現・佐璞丘公園に位置します。

昭和33年までの発掘調査の結果、東に金堂、西に五重塔、これらを回廊が囲む伽藍配置が法隆寺とほぼ同等の寺院でした。
川原寺式軒瓦など出土した瓦片から、創建時期は飛鳥時代後期の白鳳時代とされます。
同様に出土した埴輪類から、寺院建立以前に古墳や住居が存在していた可能性も推定されています。

伽藍は天正6年の荒木村重と織田信長の戦乱[荒木村重の居城「在岡城(有岡城)」攻略の時焼失したと考えられています]により焼失し、廃寺になったと推定されています。

同様に古くからあり、宝暦7年に廃寺跡一画に再興された法園寺が猪名寺であったとする説もあります。

※佐璞丘は、猪名寺の創建に関与した阿倍内麻呂が佐璞射(左大臣の漢名)だったことに由来しているといわれています。
Wikipediaより


園田地区の大字。市域北東部、猪名川と藻川の分岐点の西岸に位置します。
真浄坊遺跡があり、また南清水にかけて弥生後期~奈良時代の中ノ田遺跡があります。
古代の渡来氏族である猪名部の居住する猪名県があったことから、古代にはこのあたり一帯を為奈郷と呼んでいました。
古代寺院である猪名寺廃寺跡がある。為奈(猪名)の地に寺院が建てられたことから、猪名寺が地名となったのでは。
奈良時代には、僧行基が身寄りのない子供や老人を収容する猪名寺給孤独園を建てました。
史料上の初見は、そのことを記した正和5年「行基菩薩行状絵伝」(『尼崎市史』第11巻)です。

塔の心柱礎石が法園寺本堂北側に保存されています。
この礎石は、長径2.5m、短径1.9mの花崗岩の巨石で、上面に柱座孔がくり込まれており、高さ29.7mの三重塔が推定できます。
Web版尼崎地域史事典『apedia』より


JR猪名寺駅を東に降りて、東方向へ歩くと広い道に出ます。
その道を北へ曲がると、郵便局のある猪名寺交差点があります。
その横の細い道をさらに北に進むと猪名寺廃寺跡があります。
大きな木の森という感じが遠くからでもわかります。

猪名寺廃寺跡に行くのは初めてでした。
思っていた感じと違ってました。
もっとこう荒れ果てた、一人でいったら危ないようなイメージでしたが、全然違ってました。
住宅街の中で、綺麗に手入れされていて隣?同じ敷地内と言うのかな?に、お寺もあって、公園になっていました。
平日の昼間に行ったので、誰も遊んでいませんでした。

この写真のように木々が生い茂る場所はフェンスが張ってあって、入る事が出来なかったのが残念です。
木々の中を歩けたら気持ちがいいでしょうね。

と、猪名寺の感想を書きましたが、私が一番驚いたこと、
それは忍たま乱太郎の主人公乱太郎の名字が“猪名寺”だったことです(笑)








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苦肉の策 忍たま乱太郎-食満

2011年09月12日
史跡巡りに行けなくて、このブログの更新もままならず…(涙)

苦肉の策として、忍たま乱太郎に出てくるキャラクター名由来の地でも巡ろうかと思います。
それも“あえて”行くのは無理なので、近くを通った時に寄るなんですが。

最初は、食満 留三郎の“食満”からです。

食満2  食満1

食満”とかいて何て読むかわかりますか?






答えは“けま”です。

地元の人や乱太郎ファン以外では、なかなか読めないのではないでしょうか?
写真が1丁目でなく7丁目なのはご愛嬌という事で。

尼崎市内の藻川の西岸に、上・中・下食満と三つの集落があります。
ケは笥〔け〕から出て(木の音韻変化とも)食物を意味し、ケ(食物)マ(間=土地)と解せられる古代地名(アイヌ語地名説もある)。
藻川の周辺には、猪名寺・椎堂・瓦宮・穴太・額田・久々知・坂部など古代氏族の居住地とみられる集落があり、その一つであろう。
Web版尼崎地域史事典『apedia』より

住宅街と言っていいのかな?
工場地帯ではありませんね。
田んぼもあったり、スーパーもあちらこちらにあったりとやっぱり住宅街ですね。

阪急電鉄の園田駅から尼崎市バスの乗るのが一番行きやすいでしょう。
阪急塚口行や阪神尼崎行の園田支所停留所付近が食満になります。





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