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江川家住宅(江川太郎左衛門)

2011年04月28日
重要文化財江川家住宅(静岡県田方郡韮山町韮山韮山1番地)です。


江川家2514  江川家1513
        表門

江川家3515
        西蔵
幕末頃の建築だそうです。
正面から見ると将棋の駒のような形をしていることから駒蔵とも呼ばれます。
“四方ころび”といわれる、四方の壁が内側に向かってわずかに傾いた技法で建てられています。

江川家4516
   パン祖の碑
江川英龍は天保13年頃、乾パンのような保存性の高いものを兵糧として焼かせました。
全国パン協会は英龍を“パン祖”として碑を建てました。


NHK大河ドラマ“篤姫”の生家である今和泉島津家屋敷の設定で、表門と主屋で撮影が行われたそうです。

江川太郎左衛門とは伊豆国田方郡韮山(静岡県伊豆の国市韮山町)を本拠とした江戸幕府の世襲代官です。
太郎左衛門とは江川家の代々の当主の通称です。

一般には江川太郎左衛門といえば【江川英龍】を指すことが多いです。
36代当主。
号は坦庵。英毅の子。
洋学の導入に貢献し、民政・海防の整備に実績を挙げました。

天正18年豊臣秀吉による小田原攻めの際には、江川家28代英長は寝返って徳川家康に従い、代官に任ぜられました。
以降江川家は、享保8年から宝暦8年の間を除き、明治維新まで相模・伊豆・駿河・甲斐・武蔵の天領5万4千石分(後26万石に膨れ上がる)の代官として、民政に当たりました。
Wikipediaなどより


江川太郎左衛門(英龍)は安政2年に亡くなっているので、ん~微妙に幕末とずれている?と思っていたら、

英龍は水野忠邦より正式な幕命として高島秋帆への弟子入りを認められる。以後は高島流砲術をさらに改良した西洋砲術の普及に努め、全国の藩士にこれを教育した。佐久間象山・大鳥圭介・橋本左内・桂小五郎(後の木戸孝允)などが彼の門下で学んでいる。

水野忠邦、鳥居耀蔵が失脚した後に老中となった阿部正弘にも評価され、正弘の命で台場を作成した。同様に反射炉も作り、銃砲製作も行った。現在も韮山に反射炉跡が残っている。また、造船技術の向上にも力を注いだ。さらに近代的装備による農兵軍の組織を企図したが、その途上の安政2年(1855年)1月16日に病死。享年55(満53歳没)。跡を継いだ長男英敏が文久3年(1863年)に農兵軍の編成に成功した。また、英敏の跡を継いだ英武(英龍の5男)は韮山県県令となった。

と、Wikipediaにありました。
佐久間象山、大鳥圭介、橋本左内、桂小五郎といえば、幕末の大物ではないですか!
大鳥圭介は新選組と係わりも深い!

歴史は繋がっているなと久しぶりに実感しました。

萩で反射炉をみましたが、韮山の反射炉の方が名前は知られているような感じでした。
全国にそう残っていない反射炉ですから、こちらも是非見たみたいです。

そんな江川家が篤姫のロケ地になっているのは、なにか感慨深いというか、俳優さんたちが羨ましいというのが正直な感想です。









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母成峠-東軍墓所

2011年04月23日
母成峠(福島県耶麻郡猪苗代町母成)の東軍墓所です。

母成峠1536

母成峠2537

母成峠3538 

東軍墓所は母成峠の石碑より徒歩10分ぐらいの所にあります。

私は母成峠を訪れた時に、いくら探しても東軍墓所に行けませんでした。
今度訪れるチャンスがあれば、絶対に行くぞ!
と思っているのですが、なかなか会津に行くチャンスがありません。

関西方面からだと、ちょっと遠いんですよね。
会津には行っても、さらに母成峠はチャンスが少なそうです。
車でしかいけないし…。

でも必ず、もう一度会津に行きたいと思います。
それまではこの写真で我慢、我慢。








掃部山公園-井伊直弼銅像

2011年04月09日
掃部山公園(神奈川県横浜市西区紅葉ヶ丘57)の井伊直弼銅像です。

井伊直弼1554

井伊直弼2555  井伊直弼3556

もと彦根藩井伊家の所有だったことから、井伊掃部頭直弼にちなんで掃部山と呼ばれるようになりました。

明治14年、井伊大老を追慕する彦根藩士有志により開港に際しての功績を顕彰するため記念碑建立の計画を立てました。
明治17年、この地の周辺の丘を求め、掃部山と称し、造園を施しました。
明治42年、横浜開港50周年にあわせて、園内に銅像を建立しこれを記念しました。
大正3年、井伊家より同地並びに銅像を横浜市に寄贈、掃部山公園として公開されました。

完成時の除幕式を中止するよう圧力がかけられ、それでも除幕式を強行すると、その夜のうちに銅像の首が切り落とされていたといいます。
また、戦時中には金属回収のため撤去されました。
昭和29に横浜市により再建れたようです。
台座部分は最初に建てられた時のものが遺っています。
横浜観光コンベンション・ビューローHPなどより

JR根岸線と市営地下鉄線桜木町駅が最寄駅です。
国道16号紅葉坂交差点を左折、一つ目の交差点を右に曲がれば、公園に突きあたる感じに出ます。

私もまだ行ってないのです。
友人が行って教えてくれました。

最初、横浜に井伊直弼像?と思いましたが、開国と関係があるときけばなるほど!と思います。
関西に住む私からすると、井伊直弼=彦根城=滋賀県(=ひこにゃん)になるのです。
後は、桜田門外ですね。
開国というキーワードは抜け落ち気味です。

この銅像のエピソードを聞くと、井伊直弼はやはり悪いイメージが強いのでしょうか。
除幕式の中止といい、首を切り落とされるなんて…。
明治も初期ならまだまだ幕末・維新の名残があると思いますが、後期、それももう大正になろうかという頃でもまだ、幕末の遺恨が残っているのですね。

江戸時代という長~い時間があったのですから、そうそう変化した世の中に順応したり、意識を替えたりするのは難しいとは思いますが、それを行動に移す人達がまだまだいたのですね。

井伊直弼もあの時代、ああするのが一番だと思い行動し、それは一番ではないと思い阻止する人たちがいて、だれもが一番を考えて、それぞれの一番に従って行動したのだと思います。
結果、明治維新を迎える事になって。
もし井伊直弼が違う考えを持って行動したら、明治維新はどうなっていたのでしょう。

幕末だけを見ると、井伊直弼は激動の人生でしたが、彦根城で会うひこにゃんはほのぼのしています。
といっても、彦根城に行った時、ひこにゃんの2回の登場時間と合わずに会えなかったのですが…。







新選組血風録 始まりました

2011年04月08日
NHK BSプレミアムの“新選組血風録”が始まっています。

ドラマに疎い私なので、「知ってる、知ってる。」という俳優さんは数人しかいませんでした。
第1話を見た印象では、超大物と言われる人は新選組隊士の中にはいてないかわりに、突飛な配役もない感じです。
土方歳三を60代の人が演じるとか、どう考えても違いすぎる!って事は感じられませんでした。

その配役がその人物とイメージが一致するかは、人それぞれだと思うのです。
が、ちょっと私のイメージとは違うかもというのもありました。
でもまだ1回目ですから、これからかわっていくかもしれないですね。

日曜の夜にやっている戦国時代のドラマよりは、普通に作られていてよかったです。
突然、亡くなった人が現れたりはしないようです(笑)









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