新選組&幕末 ばんざい!!

新選組を中心に歴史の舞台を巡ります

アーカイブモード [2009年06月 ] 記事一覧

霊山歴史館 2009年夏季企画展 「新選組 その光と影を追う」

夏の旅行で京都方面にこられるなら、こんな企画展はいかがでしょう。 平成21年8月4日(火)~8月30日(日)まで、霊山歴史館で開催されています。 「新選組 その光と影を追う」 今回は特別展ではなく、企画展ですが「新選組」が登場です。 霊山歴史館JR...

朗読活劇 “燃えよ剣” 新聞記事(インタビュー)

壬生寺での朗読活劇 “燃えよ剣”の新聞記事を見つけました。2009年6月29日付 朝日新聞(大阪)夕刊要潤氏の土方歳三…どうかな?男前ですから、イメージに合うかな?こればっかりは、演じているのを観てみないとわ写真が残る、洋装で演じるそうですが、私は和装の方が好きです。京の漬物詰合せ 夏セット...

中尊寺

源義経を庇護した奥州藤原氏四代のミイラ等が安置されている、中尊寺(岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202)です。 中尊寺は天台宗東北大本山の寺院。 奥州観音札所番外。 山号は関山(かんざん)、本尊は阿弥陀如来、開山は慈覚大師円仁とされます。 藤原清衡が平泉に中尊寺の中興に着手したのは長治2年、50歳の時でした。 金色堂の建立は天治元年で、諸堂の整備も終わり、落慶供養が行われたのは着手から21年後の大治元年で、清衡...

貴船神社 相生の杉

相生の大杉(京都府京都市左京区鞍馬貴船町)です。 同じ根から生えた2本の杉の大木です。 樹齢1000年といわれ、寄り添う姿が、仲睦まじい老夫婦の姿にたとえられ、相生(相老)の杉と親しまれています。 鞍馬寺から山を越えて、鞍馬寺西門に出てきます。 そこから北へ100mの所に、貴船神社があります。 さらに川に沿って北へ向かいます。 川に沿って料理旅館が建ち並んでいます。 夏はこの川に床を作り、涼を楽しみながらのお食...

2009年 総司忌

今年も参加できなかった、総司忌。歳三忌も長い間参加できずにいます。今年の総司忌はどんな模様でしたか?  13年前の総司忌にて...

鞍馬寺 奥の院魔王殿

鞍馬寺(京都府京都市左京区鞍馬本町1074)の山門から貴船に抜けるコースを行くと、一番最後にあるのが奥の院魔王殿です。 本殿から西の貴船神社へ抜ける山道の途中、奇岩の上にある小堂です。 拝殿奥の柵で囲まれた一角には、2億6000万年前に海底が隆起してできた石灰岩の磐座がむき出しになっています。 650万年前に金星から地球に降り立ったという魔王尊を祀っています。 現在の建物は昭和20年に焼失後の再建です。 説明板&...

壬生寺 “朗読活劇 燃えよ剣”

壬生寺で “朗読活劇 レチタ・カルダ 燃えよ剣” というのがあるようです。 日時 7月18日(土) 18:00開演 (17:30開場) 120分 朗読 要潤 氏 問い合わせ キョードー大阪レチタ・カルダとは、イタリア語で「熱い朗読」という意味だそうです。 朗読、芝居、音楽が織り交ぜられ進行する朗読活劇です。 私は、朗読活劇というものを観たことはないのですが、壬生寺で新選組の土方歳三が主役の“燃えよ剣&rd...

鞍馬寺 義経堂

鞍馬寺(京都府京都市左京区鞍馬本町1074)、僧正ガ谷不動堂の斜め前に義経堂があります。 1189年4月、奥州衣川の合戦にて自害したと伝えますが、義経公の御魂はこの山におわし、遮那王尊として護法魔王尊の破邪顕正のお働きを助けているといいます。 この義経堂には遮那王尊をお祀りしています。 説明板より 僧正ガ谷不動堂のほぼ斜め前辺りになります。 ここにも遮那王こと義経が祀られています。 鞍馬山には義経が今もいてる...

鞍馬寺 僧正ガ谷不動堂

鞍馬寺(京都府京都市左京区鞍馬本町1074)の山の中にある、僧正ガ谷不動堂です。 堂内の不動明王は、比叡山開祖伝教大師がここに参篭なされたとき、刻まれたと伝えられます。 また牛若丸が鞍馬天狗より兵法を学んだ舞台は、このあたりであるといいます。 謡曲『鞍馬天狗』では源義経はこのあたりで鞍馬天狗と出会い兵法を学び、そして毎晩その天狗を相手に剣術修行を行ったといいます。 また「義経記」によれば、義経は毎晩貴船...

鞍馬寺 木の根道

鞍馬寺(京都府京都市左京区鞍馬本町1074)寺域に見られる、木の根道です。 岩盤が固いため地下に根を張れず杉の根が顕わになっています。 牛若丸が兵法の稽古をした所といわれています。 遮那王堂・義経背比石からさらに進むと分岐しています。 どちらを行っても、また合流しますが、木の根道は南側にあります。 (もう少し先にもう一箇所、木の根道を見ることが出来る場所があります。) 南側を行くと、途中でさらに南へ下れる...

函館港のシンボル

函館港といえば、五稜郭や亀田八幡宮に近い場所です。箱館史跡巡りで歩いた近くの港です。その函館港のシンボルである巨大クレーンが、老朽化のために撤去されるそうです。えぇ~、函館の景色が変わってしまうの?!と思ったのですが、よくよく考えてみると、土方歳三や榎本武揚、大鳥圭介らが箱館にいた頃は、クレーンなどは無かったのですよね。昭和の風景を惜しむという事になるのですね。“函館港”のシンボルは巨大クレーンだと...

鞍馬寺 遮那王堂

鞍馬寺(京都府京都市左京区鞍馬本町1074)の遮那王堂です。 源義経が31才で亡くなりました。 その魂は遮那王尊として祀られています。 源義経公背比石の横にあります。 義経が祀られているそうです。小さなお社です。義経は、この鞍馬山での生活をどう思っていたのでしょう。人生の最後に振り返ってみて、鞍馬山での生活が一番平和だったと思えたのでしょうか?神戸一の谷や鵯越で戦っている時が、武将としては嬉しかったのでし...

鞍馬寺 源義経公背比石

鞍馬寺(京都府京都市左京区鞍馬本町1074)、遮那王堂の横にある源義経公背比石です。 遮那王と名乗って、十年あまり鞍馬山で修行していた牛若丸が山を後に、奥州平泉の藤原秀衡のもとへ下るとき、なごりをおしんで背を比べた石といわれています。 波乱に富んだ義経公の生涯は、この石に始まるといえましょう。 鞍馬寺奥の院参道の頂上に位置する高さ1,2mほどの石です。 遮那王堂の隣りにあります。 説明板などより 遮那王堂の隣...

鞍馬寺 源義経公息次ぎの水

鞍馬寺(京都府京都市左京区鞍馬本町1074)の本殿横から、門を潜り山へ入って行くとすぐに、義経公息次ぎの水があります。 牛若丸が毎夜奥の院僧正が谷へ剣術の修行に通ったとき、この清水を汲んで喉をうるおしたといわれています。 八百余年後の今も涌き続けています。 説明板より 今も涌き続けています。えっ? 涌いているようには見えませんでした。 せいぜい、チョロチョロ出ている程度でしょうか。 周辺の開発などによって、...

鞍馬寺 本殿前より

鞍馬寺(京都府京都市左京区鞍馬本町1074)の本殿前から、鞍馬の山々を眺めました。 東光坊跡から、九十九折の坂を上って行きます。 九十九折…、地図に書くとしたら、“行ったり来たり”ということですから、直線距離ならすぐなのですが、実際に歩くと何倍も距離が多くなります。 本殿に着くと、そこから見える風景から、どれだけ坂道を上ってきたのかが実感できます。 私は叡山電鉄鞍馬駅からしか歩いていませ...

鞍馬寺 東光坊跡

鞍馬寺(京都府京都市左京区鞍馬本町1074)の境内にある源義経供養塔(東光坊跡)です。 かつて義経が鞍馬寺に預けられ生活していた東光坊があった場所といわれています。 義経は父源義朝が平治の乱で平氏に敗れた為に、義朝の祈祷の師であった鞍馬寺別当東光坊阿闍梨蓮忍に預けられる事となりました。 江戸時代には、かえりみられなくなり廃墟のようになっていたそうですが、昭和15年に整備されこの供養塔が建てられたようです。...

由岐神社 鞍馬寺境内

由岐神社(京都府京都市左京区鞍馬本町1073)は、鞍馬寺境内にあります。     割拝殿(中央が吹き抜けになっていて、左右に床間があります。)  由岐神社の大杉 鞍馬寺の鎮守社です。 祭神は元は宮中に祀られていましたが、都で大地震・天慶の乱が起き、朱雀天皇の勅により、940年、鞍馬の地に遷宮し、北方鎮護を仰せつかいました。 鞍馬の火祭で有名ですが、鞍馬の火祭は、そのときに里人がかがり火を持って神霊を迎えたこと...

鞍馬寺

牛若丸が天狗と修行したという鞍馬寺(京都府京都市左京区鞍馬本町1074)です。 京都盆地の北に位置する鞍馬山の南斜面に鞍馬寺はあります。 鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地として有名で、大佛次郎の『鞍馬天狗』でも知られます。 寺に伝わる『鞍馬蓋寺縁起』では、鑑真の高弟鑑禎が770年に草庵を結び、毘沙門天を安置したのが始まりです。 鞍馬寺本殿金堂の本尊は「尊天」です。 堂内には中央に毘沙門天、向かって右に千...

一の谷 敦盛塚

敦盛の胴が埋められているという、敦盛塚(兵庫県神戸市須磨区西須磨)です。 須磨浦公園の三の谷の西、国道2号線沿いにある大きな五輪塔の石塔で、地上部の高さが約3.5mです。 一の谷の戦いで、16歳の若さで熊谷次郎直実に討ち取られた、平敦盛の供養塔だといわれてきましたが、北条貞時が平家一門を供養するために、1286年に建立し、「あつめ塚」といわれていたのが「あつもり塚」と呼ばれるようになったという説もあります。...

須磨寺

源平の名所、須磨寺(兵庫県神戸市須磨区須磨寺町4-6-8)です。 正式な寺名は上野山福祥寺といいますが、古くから「須磨寺」の通称で全国に知られています。 開創は、平安初期の886年、聞鏡上人が勅命によって、上野の地(現在地)に七堂伽藍を建立し、兵庫の和田岬の海中から出た、聖観世音菩薩を本尊として奉祀したことに始ります。 その後、源頼政や豊臣秀頼による中興も行われましたが、数度、天災人災を受けて、かつて...

芦ノ湖

箱根関所と隣接しているのが芦ノ湖(神奈川県足柄下郡箱根町)です。 箱根山のカルデラ湖です。 神山が約3000年前に水蒸気爆発と火砕流を起こした際、山の一部が大崩壊を起こす山体崩壊が発生し、その結果誕生したカルデラ湖です。 神奈川県南西部にある県内最大の湖。 最大水深 43.5m 平均水深 15.0m Wikipediaより 近藤勇や土方歳三が見たであろう芦ノ湖です! 箱根関所からはこの芦ノ湖を渡る人間がいないかもみていました。...

箱根関所 弐

箱根関所(神奈川県足柄下郡箱根町箱根1番地)です。 江戸口御門 高麗門形式。高さは6.1m。 屋根や外観は「栩葺」、「渋墨塗り」。 江戸方面から来た場合には、この門から中が箱根関所の構内でした。 京口御門の対面側にあります。 大番所・上番休息所 関所の一番主要な建物です。 二棟が継がれています。 街道側が大番所、湖側が上番休息所と呼ばれています。 共に栩葺と言われるうすく割いた杉板を重ねた屋根です。 外観は、...

箱根関所 壱

近藤勇や土方歳三をはじめとし、新選組隊士も通った箱根関所(神奈川県足柄下郡箱根町箱根1)です。    関所の歴史は、646年の「大化改新の詔」に「鈴鹿(伊勢)・不破(美濃)・愛発(越前)」に「関塞(せきそこ)」を置くことに始まったといいます。 鎌倉時代以降の関所は、「関銭」というお金を払わなければ通ることができない所となり、集めたお金でお寺や神社を建設するといった、経済的な施設となりました。 江戸幕府は江...

兼六園 弐 根上松

兼六園(石川県金沢市兼六町1-4)の根上松です。    大小40数本もの根が地上2mまでせり上がった奇観です。 この松は、13代藩主・斉泰が土を盛り上げて若松を植え、根を深く土で覆い、成長後に土を除いて根をあらわにしたものだと伝えられています。 樹高10m、幹周3.86mの黒松です。 兼六園などより JR北陸本線金沢駅や北陸鉄道浅野川線北鉄金沢駅、あるいは北陸鉄道石川線野町駅です。 金沢駅・北鉄金沢駅からは、駅真...

兼六園 壱

加賀100万石に造られた兼六園(石川県金沢市兼六町1-4)です。 徽軫灯籠 霞ヶ池の北岸にある徽軫灯籠は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱に似ているのでその名が付いたと言われています。 高さは2.67mです。 傍らにはモミジの古木があり、曲水には虹橋が架かります。    江戸時代に加賀藩の庭園として造られたのが始まりです。 延宝4年に五代藩主前田綱紀が「蓮池亭」を造り、その庭を「蓮池庭」と呼びました。 こ...

晴明神社

晴明神社(京都府京都市上京区堀川通一条上ル晴明町)。    晴明没後、これまでの偉業に対してなど、生前の官位は低すぎたと感じた一条天皇の命で晴明を祀った神社として、寛弘4年に建てられました。 当初は、晴明神社は晴明が住んでいた屋敷のある場所に建てられました。 東は堀川、西は黒門、北は元請願寺、南は中立売の広大な地域でした。 しかし応仁の乱や秀吉の都市計画などで縮小されてしまいました。 応仁の乱で主要な...

一条戻り橋

一条戻り橋(京都府京都市上京区堀川下之町)です。    安倍晴明が式神を隠していた場所です。 冥界にも通じているといわれていました。 ここに立って願い事を思うと、橋の下にいる式神が通った人の口を借りてお告げを下すといわれています。 戻り橋はかつては土御門門と呼ばれていましたが、三善清行の葬列がこの橋を通ったとき、比叡山の行者だった、子の浄蔵がこの橋の上で必死で加持をして甦らせたことで、戻り橋となったと...

梼原町-龍馬脱藩の道・那須親子・維新の門など

今朝、テレビで高知県梼原町の道路整備の問題についてみました。梼原町といえば、高知県高岡郡梼原町の梼原町ですよね。テレビの内容の道路整備については、(全部をはっきりと見られなかったのですが)9割がた出来ているトンネルが建設中止になっていました。トンネルが出来ると、10分ちょっとで行けるところが、今は約1時間ほどかけて、危険な道を通って行っているというような内容だったと思います。確かに、救急車などの搬送...

安倍晴明邸跡

晴明神社は安倍晴明邸跡(京都府京都市上京区上長者通西洞院東入ル北側の土御門町付近)に建てられているといいますが、現在の場所でいえば少し場所が違っているようです。    当時の晴明邸は、東は堀川、西は黒門、北は元請願寺、南は中立売という広大な規模でした。 しかし、応仁の乱や豊臣秀吉の都市計画などで、かなり縮小されてしまいました。 以前の晴明邸は、今の上京区中立売通新町に位置しています。 京都ブライトンホ...

遍照寺

安倍晴明が広沢僧正を訪ねた遍照寺(京都府京都市右京区嵯峨広沢西裏町14)です。    『今昔物語』の話が事実だとすれば、晴明が式神を使って蛙を殺して見せたお寺になります。 広沢僧正の名前は寛朝といいます。 宇多上皇の孫で、敦実親王と藤原時平の娘を母とします。 遍照寺は989年に広沢池の近くに建てられ、そこに住んだことから、広沢大僧正と呼ばれていました。 真言宗の僧でした。    遍照寺に現在あった池 陰陽師...

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新選組と幕末だらけの本棚
実は二重になっているので、
後ろにも本棚が…。

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