新選組&幕末 ばんざい!!

新選組を中心に歴史の舞台を巡ります

アーカイブモード [2009年05月 ] 記事一覧

六角堂 頂法寺

六角堂で親しまれている頂法寺(京都府京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248)です。    聖徳太子は、蘇我氏と物部氏との戦いで、「勝たせていただければ、四天王寺を建立いたします」と如意輪観音に祈りました。 崇仏派の蘇我氏が勝利した後、報恩のため四天王寺を建立しますが、そのための用材を求めてこの地を訪れました。 その際、太子は池で水浴をするためい、傍らの木に衣服とともに持仏の如意輪観音像を収めた箱を掛...

平野神社

桜の名所、平野神社(京都府京都市北区平野宮本町1)です。 太秦・広隆寺は創建当時平野神社近くにあったとされます。 祭神は、 今木神(第一殿) -- 源気新生、活力生成の神  (染織・手芸・衣の神) 久度神(第二殿) -- 竈の神、衣食住の生活安泰の神  (竈・台所・食事の神) 古開神(第三殿) -- 邪気を振り開(晴)く平安の神  (斉火の神) 比売神(第四殿) -- 生産力の神。光仁天皇の妃高野新笠とする説もありま...

蛇塚古墳

秦河勝の墓かもしれない、蛇塚古墳(京都府京都市右京区太秦面影町)です。   京都府下でも最大の横穴式石室をもつ前方後円墳です。 墳丘の長さは約75mあったと推測されていますが、封土は失われて後円部の石室のみが露出しています。 石室の全長は17.8m、玄室の長さ6.8m、玄室の高さ5.2mで明日香村の石舞台古墳に匹敵する大きさです。 床の部分の面積で比較すると日本で第4位の規模になります。 古墳時代後期の6世紀末か...

蚕の社・木島坐天照御魂神社

木島坐天照御魂神社は通称・蚕の社(京都府京都市右京区太秦森ヶ東町50)と呼ばれています。        三柱鳥居 木島神社は、奈良時代以前に創建されたと言われる古社です。 境内に日本に養蚕、機織、染色技術を伝えた秦氏ゆかりの養蚕神社、通称「蚕の社」があることから、こちらの呼び名の方が有名になりました。 境内の元糺の池に明神鳥居を3本組み合わせた珍しい石鳥居(三柱鳥居)があります。 京福電鉄HPなどより ...

広隆寺

京都最古の寺院で、有名な弥勒菩薩半跏像がある、広隆寺(京都府京都市右京区太秦蜂岡町)です。 京都最古の寺院で、聖徳太子建立七ヵ寺の一つです。 また秦氏の氏寺とされ、寺号は創建者である秦河勝の実名「広隆」にちなむといいます。 古くは蜂岡寺と称しました。 秦氏は5世紀後半に朝鮮半島より渡来した有力氏族で、治水・潅漑や養蚕・機織などの進んだ技術を背景に経済力を蓄えました。 山背(山城)国葛野郡が本拠地で、広...

太子道と業平道

太子道と業平道(奈良県生駒郡斑鳩町)についての説明板です。 こんな感じで道があったようです。(太子道一部)この道は推古天皇の頃、聖徳太子が斑鳩宮から飛鳥京へと通われたという道です。 奈良盆地の中央部を通り、ほぼ直線の斜行道路で道が斜めになっているところから、「筋違道」と呼ばれてきました。 太子は片道約20㎞の道のりを調子丸という舎人(従者)を従え、愛馬黒駒に乗り通ったといいます。 今もこの道筋には多く...

龍田神社

法隆寺と関係の深い、龍田神社(奈良県生駒郡斑鳩町龍田1丁目5-6)です。 十代崇神天皇の御代に年穀の凶作が続いた時、帝自ら卜占をもって占い、天神地祗を龍田山の聖地に祀られました。 聖徳太子が16才のとき、法隆寺建立のため橘から、平群川(現在の竜田川)の辺りに伽藍建設地を捜して来ました。 その時、太子は、椎坂山で白髪の老人に顕化した竜田大明神に会い、示してもらった地(斑鳩)を法隆寺建設地としました。 「ここ...

夢幻戦記

栗本薫氏が亡くなられたニュースを見ました。『夢幻戦記』を夢中になって読んだ思い出があります。これは“新選組の沖田総司は夢幻公子の転生した姿であった”という内容で、新選組が舞台ですが、時代小説ではなく、ファンタジーです。新選組のメンバーは総出演して、話も新選組の歴史に沿って進むファンタジーだったような…。読んだのが10年近く前だったので、詳細は忘れてしまっています。当時発売されていた、7巻か8巻までは一...

三井

日本では最古に属する井戸、三井(奈良県生駒郡斑鳩町三井)です。    もとは法輪寺の境内でした。 古代朝鮮の井戸の形式と同じとされます。 日本では最古に属する井戸で“赤染の井”といわれています。 寺の別号三井寺や地名の三井はこの井戸に由来しているといわれています。 厩戸王子が開いた三つの井戸のひとつです。 井戸は深さ4.24m、口径0.9mで、中ぶくれの筒状になっています。 構造は、底の方に4個の石を...

西福寺

西福寺(奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺西1丁目1-18)に、調子麻呂の墓があるともいわれています。 法隆寺中院横の門から出て、西に100mいくと西福寺があります。 調子麻呂の墓があるともいわれている西福寺というのは、このお寺の事でしょうか? 西福寺という名前しかわからないので、法隆寺周辺で西福寺を探したのですが、このお寺しかわかりませんでした。 この付近に調子麻呂のお墓があったのかもしれません。 雰囲気を感じる...

成福寺跡

厩戸王子臨終の地でもある、成福寺跡(奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺3)です。 厩戸王子の臨終の地といわれる葦垣宮跡に家臣によって建立されたと伝えられます。 舒明天皇が病に倒れた聖徳太子を見舞ったのは、この葦垣宮とされ、山背王子をはじめとする太子一族が滅ぼされたとき、蘇我入鹿によって焼かれました。 葦垣宮は斑鳩宮の異称という説もあります。 聖徳太子の本より上宮遺跡公園の斜め前、西側にありました。今は、フェン...

DVD 土方歳三と箱館-函館タクシー

函館タクシーさんが、土方歳三の生き様をテーマにオリジナルDVDを作られたそうです。 「映像で一生涯を通したものを世に出したい」と企画されたそうです。 【内容】 第1部 土方歳三の生き様をまとめたもの(20分) 第2部 インタビュー形式で造詣の深い方々20名程のコメント紹介 函館タクシーやバスの車内で放送されます。 函館タクシーやジャンボタクシーの車内ではポータブルDVDを搭載して、車内で見ることができるそうです。...

上宮遺跡公園

上宮遺跡公園(奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺南3丁目16番) 平成3年のふるさと創世事業の一環として公園建設された際に確認された遺跡です。 奈良時代の宮殿クラスの掘立柱建物跡、平城宮と同文様瓦のほか井戸跡も確認されました。 瓦は、平城宮でつかわれた瓦と同じ版傷(版は木なので乾燥したりつぶれたりして傷が出来ますが、同じ傷ということは、同じ窯で焼いているということになります)をもつものが出土しました。 そのよう...

駒塚古墳・調子麻呂古墳

駒塚古墳と調子麻呂古墳(奈良県生駒郡斑鳩町大字東福寺1丁目4)です。    左奥が調子麻呂古墳、手前が駒塚古墳です。 調子麻呂の墓は、西里の西福寺にあるとも。 聖徳太子の愛馬であった黒駒(烏駒とも)を埋めた塚だと伝えられています。 太子は諸国に命じて、良馬を求められたところ甲斐の国から献上されたのが黒駒です。 多くの“太子伝”にこの馬の伝説がでています。 「太子を乗せ、3日3夜で国中を巡った」 ...

法輪寺

法輪寺(奈良県生駒郡斑鳩町三井)です。 法林寺、法琳寺とも書かれ、地名から三井寺、御井寺ともいいます。 三井は太子が掘った3つの井戸の謂いで、境内裏の集落にその一つが現存し、地名もこれに由来しています。 太子の病気平癒を祈願して626年に太子の子の山背大兄王と孫の弓削王が創建したとも、670年の法隆寺罹災以降に、百済の開法師、円明法師、下氷新物が造寺したとも伝えられます。 三重塔は法隆寺の五重塔、法起寺の...

法起寺

三重塔は創建当時のままという、法起寺(奈良県生駒郡斑鳩町岡本)です。 聖徳太子ゆかりの岡本宮跡に建ちます。 岡本宮は606年、太子が『法華経』を講じた場所としても知られます。 聖徳太子建立七ヵ寺と伝えられますが、『聖徳太子伝私記』所収の「法起寺塔露盤銘文」によれば、683年に太子の遺命によって山背大兄王が寺としたといいます。 かつての地名から、池後寺、池後尼寺とも称します。 1960年に発掘調査が行われ、創建当...

旧中宮寺跡

旧中宮寺跡(奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺東1)です。    中宮寺は、法隆寺東院の東隣りにありますが、その地へは室町時代の移転と伝わり、創建当初は約500m東方の土壇の残る(旧)法隆寺小字旧殿を中心としたこの周辺に造営されていました。 昭和38年に初めて発掘調査が行われ、塔と金堂について多くの知見を得ました。 その後の発掘調査で、寺院伽藍や寺域等が徐々に明らかになっています。 塔跡にはついては、基壇上面の側柱礎...

中宮寺

中宮寺(奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2)です。    戦国時代末期まで、東へ500mの地にありました。 また中宮の寺号は厩戸王子の母穴穂部間人皇女の御所を寺とした説などがあります。 太子建立七ヵ寺の一つで、斑鳩尼寺ともいいます。 創立年代は不明ですが、旧寺地の発掘などから、法隆寺若草伽藍とほぼ同時期に、四天王寺式の伽藍が建立されとみられます。 本尊の木造菩薩半跏像は飛鳥後期の寄木造で、如意輪観音と伝...

中岡慎太郎像

室戸岬に建つ、中岡慎太郎像(高知県室戸市室戸岬町)です。    山の頂上に室戸岬灯台がみえます      正面から       刀を握る左手と後方から背中をみました。             銅像の横に建つ石碑と台座裏           銅像の後ろ側に年表とともに刻まれています 銅像の足元からの太平洋の眺望 乱礁遊歩道の入口に立つ像。 昭和10年に、故郷である安芸郡の青年団によって全国に募金集めがなされ、こ...

余談-法隆寺の七不思議

法隆寺の七不思議については、いろいろな七不思議があるようですが、 法隆寺執事長(現:法隆寺長老)の高田良信氏が以前、本に書かれていた七不思議を紹介しておきます。 1.伽藍の建物に蜘蛛の巣がはらない  蜘蛛の巣ははっているそうです。  高田氏は、蜘蛛でさえ巣をはるのを控えているのだから、人間はなおさらのこと、堂塔を大切にしていこうという、信仰から出た不思議ではないかとされています。 2.地面に雨だれの穴...

2009年 総司忌 最新情報

総司忌の日にち変更を教えていただきました。 6月27日(土)です。 その他には変更はないようです。 あさぎ様 この場を借りて御礼申し上げます。 ありがとうございました。 またご教授いただけますよう、お願い致します。...

新選組&幕末の大ファンですが…

新選組が大好きです。 幕末も大好きです。 古代~明治初期までの歴史も好きです。 新選組と幕末関係で実際に訪れた場所に関してここに書いていますが、 少しまとめる時間がかかりそうなので、 その間の1週間か2週間、少し新選組&幕末から離れて、「聖徳太子」の史跡巡りをしたいと思います。 その間に何かあればもちろん随時、新選組&幕末にもどります。 “昆陽宿跡”と“総司忌”についてが、アップしてあります。 こ...

法隆寺

世界最古の木造建築、法隆寺(奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1)です。 境内は金堂をはじめとする主要な伽藍がある西院と、夢殿を中心とする東院に分かれます。 その周辺には平安後期創立の子院を数多く擁します。 法隆寺の草創の事情は、正史『日本書紀』には伝えられていません。 『日本書紀』に法隆寺の名が見られるのは、606年7月に、太子が岡本宮で『法華経』を講じた賞恩として、推古天皇より下賜された播磨国の水田100...

磐余

磐余(奈良県桜井市谷)という地名を探してみました。 磐余池辺雙槻宮の場所が特定されていません。 名前の由来としては、磐余池の畔に宮を造り、その宮の前に欅の大木が二本そびえていたからだそうです。 磐余池は磐余の里に造られた大池のことです。 磐余とは、現在の桜井市の池之内、橋本、阿部から橿原市の東池尻町を含む同市南東部にかけての古地名です。という事で、磐余池辺雙槻宮の“磐余”という地名を探しま...

上之宮遺跡

聖徳太子が住んだという、上之宮遺跡(奈良県桜井市上之宮)かもしれない場所です。    5世紀後半から7世紀前半にかけて高い身分の豪族が住んでいたようです。 昭和61年から平成2年までの、発掘調査によって発見されました。 古墳時代後期から飛鳥時代にかけての集落遺跡です。 特に四期とよばれる時代の遺構は、四面庇建物を中心とする掘立柱建物群と、それを囲む溝や柵が、東・南側に作られています。 西側には、半円形の排...

2009年 総司忌

2009年の総司忌 ※変更あり日 時 平成21年6月27日 午前11時より焼香。 (日にちが変更されています。)場 所 専称寺(港区元麻布・地下鉄六本木駅、旧テレビ朝日の裏)     午後1時30分から、国学院大学院友会館にて講演。 講 師 伊東成郎氏(歴史作家)      『幕末新選組こぼればなし』(仮) ≪申し込み≫会費 2,000円(含・記念品)        総司忌に参加する事を明記して、定額小為替にて、新人物往来...

酒船石

明日香の謎の巨石、酒船石(奈良県高市郡明日香村岡)です。 約5.3mと2.3mの表面に円形のくぼみと細い溝が刻み込まれた巨石です。 酒絞りの槽とか油を作る用具とも、庭園の流水施設との説もあります。 一部を割り取ったノミ跡は、大和郡山市の郡山城の石垣用に持ち去られた跡です。 ブルーガイドブックス 奈良 大和路より 石舞台古墳から島之庄バス停の交差点まで行き、そこからバス通りを北へ戻って行きます。 約800m行き、天...

石舞台古墳

有名な、石舞台古墳(奈良県高市郡明日香村祝戸)です。    盛土の上に巨大な石塊が横たわっています。 一辺51mの盛土、1個約77tの重さの石塊が2個、これを30個以上の巨石が支え、石室と横穴を造っています。 内部は全長19m、玄室は高さ7.7m、幅3.9m、奥行き7.6mという最大級の古墳です。 上部の盛土がなく、円形か方形かは不明です。 この石室を造る際には七つの墓が壊されたともいわれています。 古墳の主は、このあ...

昆陽宿跡-新選組が長州藩荷物を押収

新選組が長州藩の荷物を押収した昆陽宿跡(兵庫県伊丹市昆陽3~6丁目付近)です。 昆陽は“こや”と読みます。    元治元年7月19日、禁門の変が勃発して、御所へ出動した新選組は21日になって山崎・天王山で真木和泉守らを追討し、その後、下坂して布陣、大坂市中に潜伏する長州兵らの探索を行いました。 7月23日、大坂・八軒家から三十石船に乗り、壬生村の屯所へ帰陣しました。 同日、新選組が探索中に得たと見...

橘寺

聖徳太子生誕地ともいわれている橘寺(奈良県高市郡明日香村大字橘)です。    聖徳太子生誕地として知られ、太子建立七カ寺の一つです。 寺地はもと用明天皇の別宮の上宮があった地で、聖徳太子の別称・上宮太子は、上宮で生まれ育ったことに由来します。 600年7月、太子は天皇に請われて『勝鬘経』を講じ、3日で終えましたが、その夜、天から蓮華が降り、翌朝には千の仏頭が南の山上に現れたので、これを瑞祥として、この地...

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新選組と幕末だらけの本棚
実は二重になっているので、
後ろにも本棚が…。

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