新選組&幕末 ばんざい!!

新選組を中心に歴史の舞台を巡ります

アーカイブモード [2009年03月 ] 記事一覧

加納町由来碑

加納町由来碑 (兵庫県神戸市中央区加納町6丁目)があります。 同郷の陸奥宗光と親交があり、モニュメントに刻まれている加納宗七字も宗七宛の陸奥の手紙が原典です。 戦前までは、今の新神戸駅の生田川畔に銅像が建てられていました。戦時中の金属回収でいったん姿を消し、今は東遊園地のフラワーロード側に像があります。加納宗七は、実業家。 宮本助七の次男。 紀伊国和歌山城下分銅町の出身。 紀州藩の御用商人として酒造業や...

西国街道・髭の渡し

西国街道の武庫川を渡るための渡し場、武庫川の渡し、通称・髭の渡し(兵庫県尼崎市常松2丁目468番地先)付近です。    江戸時代に西国街道の武庫川を渡る際、堰堤(ダム)の付近には武庫川の渡しがあり、明治42年に甲武橋がかかるまで渡しは続けられました。 西昆陽村の髭の安兵衛さんの茶屋が近くにあったことから髭の渡しと呼ばれたれたようです。 西行きは西昆陽村と常松村が隔月で、東行きは段上・上大市・下大市村が月番で...

西宮砲台

勝海舟の計画による西宮砲台(兵庫県西宮市西波止町西波止5374の1)です。 国防不安を感じた江戸幕府は、勝海舟の建策をいれて大阪湾沿岸に砲台を築きました。 西宮砲台はそのひとつです。 文久3年に着工し、完成は慶応2年下半期でした。 石造三層の円堡で、内径約17m、高さ約12m、壁厚1.21m(1階底部1.53m)。外部は厚さ9㎝で油石灰5遍塗、上塗薄墨色塗。上塗りの色調は迷彩でしょうか。 1階床叩土、中央に井戸を掘り、一...

東京タワー

東京タワー(東京都港区芝公園四丁目2-8)です。 正式名称は建築主に因み「日本電波塔」です。 放送事業の将来性に着目した前田久吉と鹿内信隆によって計画されました。 当時、相次いで開局する各放送局の電波塔を一本化しようという構想でした。 塔はフランス・パリのエッフェル塔の324mより8.6m高く、当時の自立式鉄塔としては世界最高でした。エッフェル塔をこすためにこの高さになりました。 前田は「建設するからには世界...

浅川-石田散薬(牛革草)

浅川(東京都日野市)です。 浅川だと思います。多摩川ではないはず…。多摩川は、山梨県・東京都・神奈川県を流れる多摩川水系の本流で一級河川。 全長138km、流域面積1,240km²。浅川は、東京都八王子市および日野市を流れる一級河川。多摩川の支流のひとつです。 東京都八王子市・神奈川県相模原市の境目にある陣馬山(857m)や堂所山(731m)に源を発し東へ流れ、日野市石田付近で多摩川に合流します。 小仏峠を源流とする...

江戸川

千葉県流山市流山6の光明院の近くからみた江戸川です。    関東地方を流れる一級河川。 利根川水系の分流で、流路延長59.5km(旧江戸川河口より)、流域面積約200km²です。 茨城県、千葉県、埼玉県、東京都の1都3県に及びます。 Wikipediaより土方歳三や近藤勇もこの江戸川を渡りました。この日は雨の為、水量が増していたようですが、普段の水量はどれぐらいなのでしょうか?簡単に渡れる川ですか。“箱根八里は馬でも越す...

多磨霊園-参考

多磨霊園(東京都府中市多摩町4)の幕末関係のお墓です。 阿部正外の墓(6区1種5側1番) 白河藩7代目藩主。生麦事件の解決にあたりました。明治20年4月24日病没。享年60歳。昭和2年に台東区西福寺より改葬されました。 安藤直裕の墓(4区1種14側) 和歌山藩付家老・田辺藩主。明治18年4月4日死去。享年65歳。千代田区麹町栖岸寺より改葬されました。 池田慶徳の墓(1区1種1側3番) 鳥取藩12代目藩主。京都で急...

この場所はどこですか?

   Where is this place?この写真の場所が全く判りません。この後、大林院跡かと思われる雨の暗闇の道路の写真を撮ったのです。なのでその近くの場所で撮ったと思うのです。なぜ撮ったのか。場所はどこなのか。大林院跡のひとつの候補だったのでしょうか?新選組関係でしか写真を撮らなかったので、なんだかの史跡か説がある場所のはずなのですが。この不鮮明な写真をみてどこだか判りませんか?千葉県市川周辺にはほぼ間違いな...

池上本門寺墓地-参考

池上本門寺墓地(東京都大田区池上本門寺池上1丁目1-1)の幕末関係のお墓です。 阿部正蔵の墓(朗子会館裏手側) 江戸北町奉行。白河藩五代目藩主阿部正定と、七代目藩主阿部正外の実父。北町奉行遠山左衛門尉景元の後任。 嘉永元年8月7日死去。墓碑には生年もなく、過去帳も焼失しているため年齢は不明。 現在、五重塔のそばに阿部一族の墓がまとめられています。 大村藩士の合葬碑(西条藩松平家墓地隣接) 以前は西条藩...

大林院跡?

大林院跡(千葉県市川市)については、諸説あるようです。 私が千葉の史跡巡りに連れて行って貰った時に、このあたりに大林院があったようだと教えてもらって撮った一枚…だと思います。 雨が降り、日は落ちて真っ暗、とりあえず片手でカメラのシャッターを押したのがこの写真です。 市川市市川1丁目付近だったかな? 水戸佐倉道分間延絵図から、だいたいの位置を推測するそうです。 絵図では「大林房」。現在は普通の住宅...

雑司が谷霊園-補遺

雑司が谷霊園(東京都豊島区南池袋4丁目25)のその他の幕末関係のお墓です。 岩瀬忠震の墓(1種1号8側) 幕臣。日露和親条約に調印。日米修好通商条約調印。文久元年7月11日死去。享年44歳。 佐々木一の墓(1種5号27側38・39番) 新選組隊士。並河一。宇都宮市の次男宅で大正15年5月24日死去。享年76歳。 沢為量の墓(1種1号3側) 公家。七卿落ちの沢宜嘉は養子。明治22年8月9日死去。正二位。 中島錫胤の墓(1種...

布施弁天東海寺

布施弁天東海寺(千葉県柏市布施1738)です。    水海道方面へ向かった土方歳三らは、七里ヶ渡しから利根川を越えたのでしょうか? 『谷口四郎兵衛日記』によると、「13日、布施弁天駅泊陣/14日、滞陣」とあります。 JR常盤線北柏駅を降りて、国道6号を東へ約600m、根戸交差点から国道を離れ北へ曲がります。 柏市総合運動場横の分岐を一番右(東)の道路へ。 さらに約1.8㎞、あけぼの山公園の北側にあります。 あるいは、...

染井霊園-参考

染井霊園(東京都豊島区駒込5-5・7-2~4)の幕末関係のお墓です。 染井霊園は明治5年11月に開かれました。 もと播州林田藩建部家と津藩藤堂家の屋敷跡です。 私はまだお参りする機会がないのですが、参考に書き出しておきます。 井上正直の墓(1種イ8号6側) 遠江浜松藩藩主。文久・慶応年間に老中を務めました。明治37年死去。享年68歳。正三位。子爵。 井上正順の墓(1種イ7号6側) 下総高岡藩藩主。明治37年1...

総寧寺

総寧寺(千葉県市川市国府台3丁目10-1)です。    慶応4年4月11日、江戸城が開城されたとき、新政府軍への抗戦を主張する旧幕臣らが下総市川の国府台(鴻ノ台)に集結しました。 そのさいに兵士たちの宿舎になったといわれています。 兵士の内訳は、伝習隊(大手前大隊)700、七聯隊350、桑名藩隊200、土工兵200の計1,400人余で、新選組からも土方歳三以下7人が参集しました。 新選組本隊は流山から会津方面へ向かってい...

青山霊園-補遺

青山霊園(東京都港区南青山2丁目32-2)の幕末関係のお墓です。 これで全部かはわかりませんが、お参りの参考にして下さい。 氏名のみです。 秋月悌次郎の墓(1種ロ12号22側) 会津藩士。明治33年1月5日死去。享年77歳。 有地品之允の墓(1種イ6号6側) 長州藩士。精銃隊を組織。大正8年1月17日死去。享年77歳。「有地家之墓」に合葬。 有村次左衛門の墓(1種ロ12号7/10側) 薩摩藩士。桜田門外で大老井伊直弼の...

光明院-新選組駐屯地跡

新選組が駐留した光明院(千葉県流山市流山6-651)です。    慶応4年4月2日、五兵衛新田から流山に入った新選組の隊士が駐留した場所です。 4月3日、春日部から流山に向かった新政府軍大軍監香川敬三の東征軍部隊は彦根藩二小隊・須坂藩一小隊・岩村田藩一小隊、旗本岡田家(5,000石)の一小隊で編成されていました。 美濃国揖斐の地頭である岡田将監家の一小隊が東征軍の一員として、流山に入り、その隊士だった富田重太...

谷中霊園-補遺

谷中霊園(東京都台東区谷中7丁目5-24)の幕末関係のお墓を判る範囲で書いておきます。 これ以外にもあると思います。 名前だけですが、お参りの参考になればいいのですが。 秋元礼朝の墓(乙14号1側) 館林藩主。明治16年6月13日死去。享年36歳。「秋元氏之墓」に合葬。 秋元志朝の墓(乙14号1側) 館林藩主。明治9年7月26日死去。享年57歳。上野護国院に葬られましたが、大正2年に多磨霊園に改葬。昭和30年代に谷中霊...

流山陣屋・長岡屋跡

慶応4年4月2日、五兵衛新田(現:東京都足立区綾瀬)から流山に移動した新選組の首脳部が駐留した、流山陣屋・長岡屋跡(千葉県流山市流山2-108)です。       昭和38年の司馬遼太郎の『燃えよ剣』によって公にされた「長岡の酒屋」に由来しています。 近藤勇の近習 田村銀之助によれば、「此所(現:流山市立博物館所在地一帯)には田中の陣屋というのがありまして-(略)-」と大正9年に語っていますが、長岡屋は登...

イギリス公使館跡-東禅寺

イギリス公使館跡の東禅寺(東京都港区高輪3-16-16)です。          安政5年7月に締結された日米通商条約により、翌6年6月6日、イギリス初代公使オールコックらがここに駐在して、最初のイギリス公使宿館となりました。 文久元年5月28日、イギリスの仮公使館だった東禅寺に水戸浪士ら十数人が斬り込み、警護の武士らが20人以上の死傷者を出しながら、公使のオルコックを守り抜いた事件がありました。 (第一次東禅...

カカオの実

季節はずれの暖かさで、史跡巡りの途中ですが、ちょっと水分補給の休憩をとらないと。その間に季節の話題をひとつ。春、桜の季節になると、近くのお菓子工場が2日間だけ、お花見の為に構内開放されます。構内に温室があり、そこを覗いてみると毎年“カカオの実”がなっています。  カカオは、中央アメリカから南アメリカの熱帯地域を原産とするアオギリ科の常緑樹です。カカオノキ、ココアノキとも呼ばれる。樹高は 4.5 ~ 10m。...

福沢諭吉墓&アメリカ公使館跡-善福寺

福沢諭吉墓があり、最初のアメリカ公使館跡になる善福寺(東京都港区元麻布1丁目6-21)です。    福沢諭吉は中津藩士。 長崎で蘭学に接し、安政2年より大坂の緒方洪庵の適塾に入門、5年よりは藩江戸中屋敷で蘭学を教えました。 万延元年、軍艦奉行木村喜毅の従僕として遣米使節に加わり咸臨丸で渡米しました、帰国後は幕府の翻訳方をつとめ、文久2年には幕府使節として渡欧し、元治元年に幕臣となり、慶応2年に『西洋事情...

大村益次郎像-靖国神社

靖国神社参道に大村益次郎像(東京都千代田区九段北2 靖国神社参道内)が建っています。    明治15年11月15日、芝の紅葉館で開かれた大村益次郎の祭典の折、靖国神社宮司だった加茂水穂が大村の銅像の建立を提唱したそうです。 大村は蘭学や医学から兵学まで会得した維新期の鬼才で、兵部大輔として新政府に出仕中、明治2年に大坂で死去しました。 大村像の造立委員には長州閥の元勲らが名を連ね、有栖川宮や三条実美らの賛助...

彰義隊戦死者墓

上野公園内には、彰義隊戦死者の墓(東京都台東区上野公園1 上野恩賜公園内)があります。 慶応4年5月15日の上野戦争で戦死した彰義隊士の遺体は、新政府軍をはばかって、上野山内に放置されたままでした。 円通寺の僧侶仏麿は侠客三河屋幸三郎とはかり、火葬を新政府軍に願い出、許可されました。 18日に266名の遺体を集めました。 このうちの一部を当時、山内の山王台にあった長さ55m、幅20mほどのごみ溜め用の穴の周囲で...

西郷隆盛像

上野公園にある西郷隆盛像(東京都台東区上野公園・池之端三丁目 上野恩賜公園内)です。 薩摩藩士。通称を吉之助。 大久保利通とともに討幕を画策して、慶応2年には薩長同盟を締結、同3年12月に王政復古がなると、江戸の藩邸に浪士を結集させて旧幕府を挑発しました。 その結果、庄内藩兵らによる薩摩藩邸焼き討ち事件が勃発し、これが鳥羽・伏見の戦いの引き金となりました。 戊辰戦争では東征大総督府参謀をつとめ、勝海舟...

本傳寺

本傳寺(東京都文京区大塚4丁目42-23)です。 営団地下鉄丸ノ内線新大塚駅を南側の出口(大塚5交差点)から出ます。 南へ400m、消防署(大塚出張所)の交差点を東へ曲がります。 曲がるとすぐに本傳寺があります。 これを書くにあたり、「はて、どうして本傳寺へ行ったのだろう?」となりました。 新選組&幕末関係の本を開いてみても、大塚3丁目の智香寺や5丁目の護国寺などしか載っていません。 もしかして、「――といわれ...

慶養寺

慶養寺(東京都台東区今戸1丁目6-22)は新選組に関係があったかもしれません。    4月10日、江戸城明け渡しの前日、歳三らは酒井邸(東京都千代田区丸ノ内)より今戸八幡別当寺に移りました。 慶養寺がそれだといいます。 土方歳三写真集より 営団地下鉄銀座線、都営地下鉄浅草線、東武伊勢崎線の各浅草駅が近いですか? 駅を降りると国道6号を言問橋西まで北に歩きます。 言問橋を渡らずに、国道から川に近いほうの道を100...

松陰神社駅前看板-東京松陰神社補遺

松陰神社(東京都世田谷区若林4-35-1)に向かう途中、東急世田谷線の松陰神社駅前で見た看板です。 写真入りです。隣に微かに写っている地図も撮っておけばよかったです。後悔です。松陰神社はこの辺りの、ランドマークなのですね。 東京松陰神社の補遺として追加しておきます。...

桜田門

桜田門外の変がおこった、江戸城桜田門(東京都千代田区 皇居)です。 桜田門は、江戸城の内堀に造られた門の一つで、桜田堀と凱旋堀の間にあります。 江戸城には内桜田門と外桜田門の2つが存在しますが、前者は桔梗門とも呼ばれ、単に「桜田門」という場合には後者を指すことが多いです。 安政7年にこの門の近くで水戸藩浪士による、大老井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)が起きました。 井伊邸は現在憲政記念館の建っている...

田村銀之助墓-智香寺

伊庭八郎の死を看取った田村銀之助の墓が、智香寺(東京都文京区大塚3丁目28-7)にあります。 田村銀之助は、陸奥磐城平出身。 田村半右衛門の五男で、兄一郎、録四郎もともに新選組隊士です。 慶応3年秋、江戸で入隊した銀之助は13歳でした。 隊士とはいっても年少のため、実践参加は箱館に渡ってからでした。 『史談会速記録』には、新選組が流山へ転陣する前後のこと、会津から仙台へ落ちる逃避行、さらに箱館五稜郭開城前...

帝国ホテル中央玄関

博物館明治村(愛知県犬山市内山1番地)に移築されている、帝国ホテル中央玄関です。 この建物は、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって設計され、大正12年4年間の大工事の後に完成した帝国ホテルの中央玄関部です。 中央玄関は、軒や手摺の白い大谷石の帯が水平線を強調していて、またその帯が奥へ幾段にも重なっています。 大谷石には幾何学模様の彫刻を施し、レンガには櫛目を入れて、柔らかで華麗な外観を出して...

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新選組と幕末だらけの本棚
実は二重になっているので、
後ろにも本棚が…。

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