新選組&幕末 ばんざい!!

新選組を中心に歴史の舞台を巡ります

アーカイブモード [2009年01月 ] 記事一覧

玉松操邸跡

玉松操邸跡(京都府京都市上京区中立売新町角)は、御所の近くにあります。 慶応3年12月9日朝、語学問所で下された、王政復古の大号令の詔勅の草案は玉松操の作で、その文章の素晴しさは、居並ぶ諸侯の感心するところでした。 玉松操は公卿出身の国学者で、幼時、醍醐無量寿院に入り、大僧都法印となりましたが、僧律改革の意見が入れられず還俗しました。 以後、山本毅軒、玉松操と名乗り、泉州・江州に私塾を開きました。 慶...

藤堂藩邸跡

新選組からみると、鳥羽伏見の戦いで裏切られた、藤堂藩邸跡(京都府京都市中京区堀川通蛸薬師下ル)です。 伊勢の津藩、藤堂家の京都藩邸跡は現在の堀川高校の場所にありました。 支藩伊賀上野の城主、藤堂新七郎は藩兵3,000を率いて、天誅組掃討に当りました。 禁門の変には、伊賀隊が蛤御門南方を警備しました。 この時の火災で藤堂藩邸は焼失しました。 慶応4年鳥羽伏見の戦いの時、藤堂藩は幕軍として、山崎の関門を固めて...

松林院墓地-寺田屋登勢墓

松林院墓地(京都府京都市伏見区鷹匠町)に、寺田屋の女将とせ(登勢)の墓があります。    墓地の入口近く中央北側に東面して立つ五輪石塔で、4人の戒名の中、 「喜道院妙持信女」がとせの戒名です。 とせは寺田屋六代目伊助の妻で、放蕩者の夫に仕え35歳で後家となりましたが、寺田屋の女将として家業に励みました。 義侠心に富み、人の世話をするのが好きで、坂本龍馬など勤王の志士を献身的に助けました。 大津出身。 明治...

浅見絅斎邸跡

浅見絅斎邸跡(京都府京都市中京区錦小路通高倉西入ル南側)です。 浅見絅斎は、近江高島郡太田村出身です。 京で医学を学び医者となりますが、知行合一を説く山崎闇斎に心服し弟子入りしました。 佐藤直方・三宅尚斎とともに崎門の三傑と称されました。 絅斎は師の歿後、錦小路高倉に錦陌講堂を開き門弟に教えました。 絅斎は朱子学にいう正統も真の姿は我が国にのみ見出せる、と大義名分論を説きました。 著書『靖献遺言』は暗...

大黒寺-中村主計墓

大黒寺(京都府京都市伏見区鷹匠町西側)の中村主計墓です。 中村主計は、尊攘派の志士。 肥前島原の有馬村に生まれました。 名は重義。 安政年間、兄太郎が江戸に出て尊攘運動に走り、捕えられて獄中に殺されたのを聞き、慨然として京都に上り、田中河内介(*1)に頼りました。 その後、諸藩の志士と交わり、文久2年伏見の寺田屋事件で逮捕され、身を寄せるところがなく、鹿児島に護送される途中、船中で殺されました。 (*...

大黒寺-山本四郎墓

大黒寺(京都府京都市伏見区鷹匠町西側)の山本四郎墓です。 山本四郎は、薩摩藩尊攘志士で、寺田屋事件に連座、切腹しました。 名は義徳。 もとは神田直助といいました。 文久2年3月の島津久光上京の随行徒士に選ばれなかったので、森山新五左衛門、指宿三次、美玉三平などと一緒に脱藩、大坂の藩邸で待機していました。 そこで病気になり、4月23日の寺田屋結集には参加できませんでした。 同罪として帰国謹慎を命じられまし...

大黒寺-田中謙介墓

大黒寺(京都府京都市伏見区鷹匠町西側)の田中謙介墓です。 田中謙介は、薩摩藩尊攘志士で、寺田屋の変で斬られました。 直之進といい、盛明と称します。 有村雄助、次左衛門、高崎五六らとともに江戸に出て、水戸尊攘浪士と井伊直弼暗殺計画に加わり、決行後薩摩勢の京都決起をはかるため、万延元年2月21日に鹿児島に帰りました。 薩摩では態勢が整わず、京都決起に至りませんでした。 翌文久2年4月、挙兵上京の島津久光を擁...

大黒寺-弟子丸竜助

大黒寺(京都府京都市伏見区鷹匠町西側)の弟子丸竜助墓です。 弟子丸竜助は、薩摩藩尊攘志士で、寺田屋で斬られました。 名は方行。 高城新助の二男で、弟子丸家の養子となりました。 有馬新七、真木和泉らの京都義挙に参加するため、文久2年大坂中之島の魚屋太平の宿に泊まり、4月23日、淀川をのぼって京都伏見の寺田屋に集合しました。 島津久光の命で鎮撫にやって来た大山綱良に斬られ、即死でした。 幕末維新人名事典より...

大黒寺-西田直五郎墓

大黒寺(京都府京都市伏見区鷹匠町西側)の西田直五郎墓です。 西田直五郎は、薩摩藩尊攘志士で、寺田屋で斬られました。 名は正基。 安政末年から江戸詰になっていましたが、橋口壮介、柴山愛次郎の説得に応じ、義挙に参加するために大坂中之島の魚屋太平で待機しました。 文久2年4月23日、伏見寺田屋に集まり、鎮撫使の上床源助の手槍に突かれて絶命しました。 幕末維新人名事典よりNHK大河ドラマ 翔ぶが如く 完全版【第壱集...

大黒寺-森山新五左衛門墓

大黒寺(京都府京都市伏見区鷹匠町西側)の森山新五左衛門墓です。 森山新五左衛門は、薩摩尊攘志士で、寺田屋で負傷し切腹しました。 森山新蔵(棠園)の息子で、名は永治。 精忠組に参加。 文久2年4月、西郷隆盛と上京した父のあとを追い、脱藩して大坂の藩邸に待機していました。 ついで伏見の寺田屋に集まりました。 4月23日、有馬新七を助けようとして、道島五郎兵衛と切り結びましたが負傷し、翌日藩邸で切腹させられま...

大黒寺-柴山愛次郎墓

大黒寺(京都府京都市伏見区鷹匠町西側)の柴山愛次郎墓です。 柴山愛次郎は、薩摩藩尊攘志士で、寺田屋で斬られました。 柴山良庵の二男で、名は道隆。 若くして藩校造士館の訓導に任命された秀才でした。 ほとんど橋口壮介と行動を共にしており、平野国臣との会見、江戸詰任命、江戸で義挙計画の仕上げを行って大坂に乗り込み、九州からの同志の到着を待って伏見寺田屋に集まるまで、柴山と橋口は一緒でした。 寺田屋では鎮撫使...

大黒寺-橋口伝蔵墓

大黒寺(京都府京都市伏見区鷹匠町西側)の橋口伝蔵墓です。 橋口伝蔵は、薩摩藩尊攘志士で、寺田屋で斬られました。 橋口与三次の次男で、名は兼備。 江戸で安井息軒に学んだことがあり、薩摩藩の旧記に詳しかったです。 文久2年4月、江戸から大坂中之島の魚屋太平に行って待機していました。 23日、伏見寺田屋に集まったところを島津久光の鎮撫使大山綱良、鈴木勇右衛門、同昌之助の3人に斬られました。 幕末維新人名事典よ...

大黒寺-橋口壮介墓

大黒寺(京都府京都市伏見区鷹匠町西側)の橋口壮介墓です。 橋口壮介は、薩摩藩尊攘志士で、寺田屋で斬られました。 橋口彦次の子で、名は隷三。 長州の長井雅楽から公武合体策推進の理由を説明されましたが、これには同調せずに、清河八郎を九州に案内して来た平野国臣と義挙の企てを約束しました。 文久2年はじめ、柴山愛次郎とともに江戸詰を命じられ、出府の途中、熊本の河上彦斎、高瀬の松村大成、真木和泉らを訪問し、京...

大黒寺-有馬新七墓

大黒寺(京都府京都市伏見区鷹匠町西側)の有馬新七墓です。 有馬新七は、薩摩藩尊攘志士で、寺田屋の変で斬られました。 伊集院の郷士坂本正直が有馬家の養子になって藩士となりました。 新七は正直の子で、諱は正義、信輝、号は埴鈴子。 江戸に遊学して山口管山に学び、早くから尊王論を説き、仲間から「今高山彦九郎」の名で呼ばれていました。 安政3年江戸藩邸内の学問所教授となりましたが、諸藩の志士と交わり尊攘運動に奔...

大黒寺

大黒寺(京都府京都市伏見区鷹匠町西側)には、九烈士の墓があります。      伏見寺田屋騒動九烈士墓 大黒寺は円通山と号し、真言宗の寺で初めは長福寺といいました。 元和元年、伏見奉行山口駿河守が、薩摩藩主島津侯の懇望で、同藩の武運長久の祈願所となし、本尊の大黒天にちなんで大黒寺と改めました。 一般には薩摩寺と呼ばれました。 境内・墓地には、寺田屋騒動で死んだ有馬新七ら九烈士の墓、宝暦年間、幕命で薩摩藩...

薩摩藩邸跡(錦小路)

旧の薩摩藩邸跡(京都府京都市中京区錦小路東洞院東入ル南側)。 文久3年に相国寺門前の二本松薩摩藩邸が造られましたが、それまでは錦小路の藩邸が主なものでした。 したがって、文久2年4月、島津久光が公武周旋のため兵1,000名を引き連れて上洛した時は、この屋敷に入ったそうです。 写真でみる維新の京都より阪急電鉄烏丸駅の大丸百貨店周辺にありました。書籍に載っていた“薩摩藩邸跡”の写真は、駐車場を主としたものでし...

西郷隆盛寓居跡

鍵直旅館跡と西郷隆盛寓居跡(京都府京都市中京区柳馬場通錦小路上ル東側)は同じ場所になります。 西郷隆盛は安政5年7月16日に京へ着き、吉井友実とともに定宿鍵屋直助方へ入りました。 主君斉彬は大坂で病床にあり、この朝逝去しました。 鍵直には、江戸から帰った伊地知正治・有村俊斎・有馬新七なども泊まり、西郷とともに斉彬の入京をまっていました。 24日に斉彬の死を知った西郷は、悲歎のあまり殉死しようとしましたが...

新選組テレフォンカード 弐

前回に引き続き、新選組のテレフォンカードです。そして土方歳三3連発!!私は右端の、土方歳三史料館のデザインがお気に入りです。2枚買って、1枚は宝箱に入れて、もう1枚はカバンに入れて持ち歩いています。マニアだぁ~(笑) でも、これって基本中の基本ですよね?居合刀 新撰組 一番隊組長 沖田総司の愛刀 菊一文字則宗(セット商品有り)()不明商品詳細を見る居合刀 新撰組 鬼の副長 土方歳三の愛刀 和泉守兼定(セ...

宇郷玄蕃天誅の跡

島田左近と親しかった、宇郷玄蕃天誅の跡(京都府京都市下京区鴨川原松原半丁上ル)がこの辺りです。    文久2年閏8月23日、松原通あたりの鴨川上流左岸の川原に、槍につき刺された首が晒され、札紙には、 「宇郷玄蕃 此者儀、島田と同腹、主家をして不義に陥らしめ、其罪彼より重し、之に依りて天誅を加ふる者也 閏八月廿三日」 とありました。 宇郷玄蕃は、九条家諸大夫、名は重国。 同僚の島田左近に協力して、主の関白...

新選組テレフォンカード 壱

新選組の話題を暫く書いていないので寂しくなってきました。鮮明な写真でないのですが、近藤勇、沖田総司、土方歳三の3枚です。この近藤勇はあまり…。写真の方が好きです。沖田総司は写真がないので仕方がないですね。あのソラマメ君(沖田総司の肖像画)よりは、筆跡のデザインの方がいいです。土方歳三テレフォンカードの残りは、後日また紹介させて頂きます。しかし今、テレフォンカードの使い道は減っています。公衆電話を見...

智積院

土佐藩が屯営したのが、智積院(京都府京都市東山区瓦町)です。    真言宗智山派総本山、五百仏頂山智積院で、豊国社の地に家康の援助で建立されました。 幕末には、当寺の学寮などに土佐藩兵が屯営しました。 藩主山内容堂も文久以来入京し、公武合体に尽力しました。 現在の智積院の本堂は、昭和22年の火災の後、四条の大雲院の本堂が移築されたものです。 写真でみる維新の京都より京阪電鉄七条駅から七条通を東へ突き当たり...

方広寺-国家安泰の鐘

方広寺(京都府京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町527-2)は豊臣家滅亡のきっかけとなった、「国家安泰」の鐘があります。 鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘文(京都南禅寺の禅僧文英清韓の作)が徳川家康の“家”と“康”を分断し豊臣を君主とし、家康及び徳川家を冒瀆するものとされ、大阪の役による豊臣家滅亡を招いたとされています。 この鐘は重要文化財に指定されています。 Wikiped...

お知らせ-携帯電話のフィルタリングが始まるそうです

携帯でサービスを利用されている方へ、 フィルタリング(アクセス制限)についてお知らせします。 フィルタリング(アクセス制限)について 2009年1月下旬から、携帯電話の各社 (au、Docomo、SoftBank) 18歳未満 の利用者の方たちに、 フィルタリング(アクセス制限)が、自動的に適用されます。 ■ フィルタリングって何? 携帯電話のインターネット使用に制限がかけられ、 特定のサイトにしかアクセスできなくなります。 FC2ブ...

大仏殿・方広寺 天誅組出発の地

大仏殿・方広寺(京都府京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町527-2)は、天誅組としてよりも豊臣家滅亡のきっかけとして歴史の時間に習った記憶があります。      今も残る石垣 文久3年8月14日、前侍従中山忠光を大将に、松本謙三郎、吉村寅太郎、藤本鉄石ら幹部を含め38名の同志は、大仏殿に集まり天誅組を結成し、大和に赴き天皇の大和行幸の先駆けとして、討幕の先鋒となるべく出発しました。 天誅組の計画は京都の政...

戯言-刀・白足袋・黒袴

少し休憩を兼ねて、戯言を書きたいと思います。やばい! 嵌りそうです。 私はやはり、刀を差した和装が好きなのだと思いました。 それも幕末-江戸時代後期頃-をイメージ出来るもの。(←↑これらが大事!!) 甥っ子達が来て、アニメを見ていました。 何気なく一緒に見ていたら、ある一瞬の画面で“萌え”てしまいました。 片足のアップ(これだけ書くと変ですが)。 黒い袴から白い足袋に草鞋(?)を履いて...

旧二条駅舎

JR西日本 山陰本線二条駅(京都府京都市中京区西ノ京栂尾町)は、1996年に新しくなりました。    新しくなる前の二条駅 旧駅舎は、荘厳な社寺を彷彿とさせる造りで、貴賓室も設置された立派な駅舎で全国的に知られていました。 当初はレンガ造りの駅が計画されていましたが、二条城の近くでもあることから景観へ配慮して和風建築に改めたとも、東北本線宇都宮駅の駅舎が優美であったため模倣したとも言われています。 1990...

東町奉行所跡

西町奉行所から少し東に行った場所に、東町奉行所跡(京都府京都市中京区押小路通神泉苑西入ル南側)があります。    壬生電話局から天理教会にかけての一帯は東町奉行所跡です。 奉行所は西町と東町があり、老中の支配を受けて市政を掌りました。 東町奉行所の付属地としては、御池屋敷があり、与力(20騎)・同心(50人)が住みました。 東町組与力・森孫六、大河原重蔵は、西町組与力・渡辺金三郎、上田助之丞とともに、安政...

西町奉行所跡

京都の西町奉行所跡(京都府京都市中京区押小路通千本東)の碑があります。    中京中学校と押小路通一帯は、西町奉行所跡で、東部および南部の付属地を古屋敷、三条北を三条屋敷と呼び、与力同心の住居地でした。 西町も東町と同じ職務を行い、東町と隔月交代で任に当たりました。 隔月といっても、新規事件の受理についてで、処理中の作業は常時当りました。 東西奉行所ともに本来の司法・行政・警察などの職務のほか、禁裏の...

京都所司代下屋敷跡

京都所司代下屋敷跡(京都府京都市上京区堀川通丸太町下ル西側)付近です。 下屋敷(千本屋敷)は、奥平信昌の元私邸でした。 東は日暮通から西は千本通まで、北は椹木町通辺りから南は竹屋町通までの敷地、40,000坪の地域でした。 敷地内には縦横に道路がつけられ多くの長屋、小屋等が建ち、馬場、鉄砲場、厩などが設けられたほか、西北隅には火の見櫓がありました。 この千本屋敷には、京都地組と称する所司代附抱え足軽100名と...

京都所司代上屋敷跡

二条城の北に、京都所司代上屋敷跡(京都府京都市上京区丸太町通大宮東入ル南側)があります。    右端の柵の奥に、右の写真の碑があるのがみえますか?    猪熊通にある碑です。 幕末の慶応3年12月9日に、最後の所司代松平越中守定敬が廃されました。 慶長5年9月に就任した奥平美作守信昌以来、58名がその職に就き、近畿や西国に睨みをきかせていました。 所司代という名は、鎌倉幕府で武士を取締る機関を「侍所」とい...

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新選組と幕末だらけの本棚
実は二重になっているので、
後ろにも本棚が…。

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