新選組&幕末 ばんざい!!

新選組を中心に歴史の舞台を巡ります

アーカイブモード [2008年12月 ] 記事一覧

土方歳三人形&ありがとうございます

2008年 ありがとうございました。 本日の史跡巡りは小休止です。 土方歳三人形です。 似ているような、似ていないような…。 洋装の土方歳三は、ポスターやテレカ以外では珍しくありませんか? 五稜郭で買ったのだったかな? 箱の中に大事になおして(しまって)ありました。 先日、探し物をしていて、久しぶりに戸袋を開けて発見しました! 何年ぶりかに再会した、土方歳三さんです。 今年の2月にブログを初めて、もうす...

冷然院跡

冷然院跡(京都府京都市中京区竹屋町通堀川西入ル)の前を通りました。 平安前期~中期、冷然院があったところである。 弘仁年中(810~824年)嵯峨天皇の離宮として造営されたのがはじめで、林泉を前に数十の建物が建ち、天皇は、しばしば行幸になって、華麗な詩歌の宴を行い、譲位後は、後院(上皇の御所)として使用されました。 嵯峨天皇の後、冷然院は皇室の重要な財産として伝えられ、代々天皇の離宮・後院として使用...

勧進橋

鴨川に架かる勧進橋(京都府京都市伏見区深草西河原町/京都府京都市南区東九条柳下町)です。    東洞院通は南進して竹田街道となり、鴨川を渡って竹田を経て伏見に至ります。 鴨川に架かる橋を勧進橋(銭取橋)といい、昔は通行料を取りました。 池田屋事件後、長州軍は京へ向けて進発を開始しました。 押し寄せくる長州勢の入京を阻止するため、元治元年6月24日、新選組にも会津藩より竹田街道の警備要請がなされ、新選組は九...

豊後橋(現:観月橋)

豊後橋(京都府京都市伏見区豊後橋町)も鳥羽伏見の戦いに登場します。    豊後橋は宇治川に架かる橋です。 明治6年に再建され、観月橋と呼ばれるようになりました。 秀吉が、奈良へ行くのに宇治を経由していたのを、豊後橋を架けて、小倉堤を築き、堤上の道を行く大和街道を新設しました。 宇治川も北へ迂回させ、左岸に槙島堤を築きました。 鳥羽伏見の戦いの時、正月5日に長州藩兵と薩摩藩兵の一部は、淀方面の幕軍の背後か...

浅見絅斎墓-西大谷墓地

西大谷墓地には、浅見絅斎墓(京都府京都市東山区五条橋東6丁目)もあります。 清水へ至る道から東へ分かれて行くと、東北端に近く、清水の塔の望まれる辺りに南面して、浅見絅斎の墓があります。 浅見絅斎は、江戸中期の朱子学者です。浅見は山崎闇斎の門人三傑の一人で、大義名分を説きその学説は望楠軒に引き継がれ、その著『靖献遺言』は、幕末の志士に深い影響を与えました。屋根が付いているので、こちらは島田左近墓より...

島田左近墓-西大谷墓地

西大谷墓地に島田左近墓(京都府京都市東山区五条橋東6丁目)があります。    西本願寺の祖廟・大谷本廟です。 本堂に東に親鸞廟と、歴代法主の廟があります。 南谷の中央あたり、木立の中でも目立ちます。 写真でみる維新の京都より 京阪電鉄清水五条駅から五条通を東へ600mで東山五条交差点です。 分岐が複雑な交差点ですが、まっすぐ進む方向に西大谷があります。 多くのお墓がありますが、島田左近のお墓は本当に目立ちま...

島田左近殺害之地

二条大橋の近くが、島田左近殺害之地(京都府京都市中京区木屋町通二条 善導寺前)です。 ビルとビルの間に見えるのが善導寺です。善導寺前というので、この道路の付近ということでしょうか。  善導寺です勤王の志士から恨まれていた(清水寺の項を参照してください)島田左近は、清河八郎、村上俊五郎、小河弥右衛門ら寺田屋騒動の残党からも狙われていました。 また久坂玄瑞、入江九一、寺島忠三郎らが、堺町丸太町下ルの左近...

島田左近邸跡

島田左近邸跡(京都府京都市中京区堺町通丸太町下ル半町西側)です。 清水寺に石灯籠を献納した、島田左近の邸宅跡です。 ※清水寺の項目で、島田左近の略歴を書きました。 写真でみる維新の京都より 京都御苑堺町御門から南北に伸びる道が堺町通です。 堺町御門を出て、目の前の丸太町通を渡ります。 そこから半町(約55m)南へ行った西側です。 この辺りは、地元の方の家が密集しています。 御所に近いですが、大通りではないの...

清水寺

有名な清水寺(京都府京都市東山区清水)です。                 島田左近献納の石灯篭 十一面千手観音を本尊とする、音羽山清水寺は、北法相宗総本山で、本堂の懸崖舞台は有名です。 延暦17年創建です。 山門に並び立った石灯籠は、九条家家士で、井伊直弼の家臣長野主膳と謀って、主人九条関白を親幕派に転じた、島田左近の献納したものといわれています。 島田左近は、九条家諸大夫です。 出自も生い立ちも明ら...

成就院

清水寺一山九院の本坊・成就院(京都府京都市東山区清水、清水寺山内)は、本堂の手前、北方にあります。 先師蔵海の後を嗣いで、成就院の住職となった忍向(月照)は、勤王の志厚く、近衛家に出入りし、尊攘の志士と交わったため、幕府に睨まれ薩摩に下りました。 忍向の弟も蔵海の弟子となり、僧信海となり、兄の去った後寺務を預かった近藤正慎の亡き後、成就院の住職を嗣ぎました。 清水寺へ向かう途中、左の道を行くと、月照...

高台寺表門

高台寺表門(京都府京都市東山区下河原町)が残っています。 高台寺表門で、この門から参道が続いていたそうです。 その坂道を登った所に中門があり、そこから北方向へ方丈へ繋がる石畳がありました。 今、駐車場となっているあたりには、塔頭や天満宮があったそうです。 青龍寺の向かいに、門だけが柵に囲まれて建っています。 仮に門を潜れたとしても、建物は何もありません。 最初に見た時、いったい何の門なのだろう?と不思...

翠紅館跡-料亭大和

青龍寺の並び、東へ200mの場所に、翠紅館跡(京都府京都市東山区高台寺桝屋町)の料亭大和があります。 文久3年正月27日、翠紅館内、送陽亭に長州はじめ尊攘派の志士たちが集まり、将軍家茂に対して、攘夷期限を決定せよとの要望書を呈出しよううと、会議を開きました。 さらに洛中において、攘夷倒幕派のリーダーとなった長州藩の志士たちは、加茂・石清水への行幸の後、いよいよ討幕御親征の機は近づいたと、大和・伊勢への行...

青龍寺

見性山青龍寺(京都府京都市東山区八坂南町)になります。 近藤正慎の墓と記念碑があります。 浄土宗鎮西派のお寺で、本尊は伝教大師作といわれる伽羅観音です。 本堂前の念仏石は、鐘代わり石とも呼ばれ、隕石であるともいわれています。 近藤正慎は、清水寺の寺侍です。 丹波南桑田郡山本村の郷士栗山瀬平の二男です。 11歳で入寺、山内金蔵院の住職までしていましたが、天保13年還俗して近藤某の養子となり、成就院忍向(月照...

噲々堂

料亭、噲々堂(京都府京都市東山区八坂下河原)がありました。                   噲々堂があった付近 秀吉夫人高台院を慰めたという、通称山猫と呼ばれた円山芸者は、その旧風と品格を愛されて、幕末維新の志士たちは八坂辺りもの料亭に来ては、山猫を招き興じました。 噲々堂は池大雅の門人謙(貞吉)の開いた酒店に由来しています。 当時円山公園から八坂下河原にかけて軒を並べた料亭の一...

大雲院

大雲院(京都府京都市東山区祗園円山町)に佐土原藩士招魂碑があります。 天正18年以来、寺町通四条下ルにありました。 昭和47年に祗園閣(山鉾に似た建物で、大倉喜八郎が別荘内に昭和3年に建てた)のある現在地に移ってきました。 境内には佐土原藩士の招魂碑が再建されました。 墓地内には信長・信忠を祀る碑や、石川五右衛門の墓もあります。 寺町四条の旧地に残っていた四塔頭も、それぞれ諸方に移転を終え、隣接墓地内の有...

四条隆謌卿夫妻墓-妙傳寺

七卿落ちのひとり、四条隆謌夫妻の墓が妙傳寺(京都府京都市左京区東山通二条下ル東側)にあります。 四条隆謌は、尊攘派の公卿で、維新後は陸軍将官となりました。 父は代々庖丁道を司る四条隆生です。 文久2年12月国事御用書記になり、翌年には国事寄人に任命され、攘夷監察使として播磨国明石に出張するなど、攘夷決行に力を尽くしました。 八月十八日の政変で三条実実らとともに長州に下りました。 官位を剥奪され、謌と改名...

墨染

墨染(京都府京都市伏見区墨染町)周辺です。    前述の近藤勇狙撃地を丹波橋筋付近と記述した書籍を見る前は、この墨染交差点付近を狙撃地とした書籍を見ていました。 どちらがより正確なのかは、私自身で研究していないのでわかりません。 先生方の研究を参考に歩いています。 墨染交差点は、京阪電鉄墨染駅の前にあります。 その道を約1㎞南へ行くと、丹波橋筋の狙撃地になります。 1㎞の誤差(?)が大きいのか小さいのか...

近藤勇狙撃の地

近藤勇狙撃の地(京都府京都市伏見区丹波橋筋付近 伏見街道)はこの辺りです。 慶応3年12月18日、近藤勇が布陣していた旧伏見奉行所から二条城へ、馬で出向いた帰途に、御陵衛士の残党の待ち伏せに遭い、馬上右肩を狙撃され、負傷しました。 これは、新選組から分離した御陵衛士伊東甲子太郎、藤堂平助、毛内有之助、服部武雄の4名が、同年11月18日の夜、新選組によって殺害されたことへの復讐でした。 伊東を失った同志達は、...

防長殉難者の墓・崇忠之碑

防長殉難者の墓・崇忠之碑(京都府京都市東山区本町東福寺恵日山南岳)です。  墓石が並んでいます。1枚目の写真の右より後ろに、天皇陵が見えます。      崇忠之碑            大石灯籠東福寺南端、六波羅門を出て、左方坂道を辿ると、月輪南陵と仲恭天皇九条陵へ参る為の分岐に着きます。 この道は、戊辰の役で宇治川右岸千両松辺りで戦死した、石川厚狭介ほか48名の長州藩士の墓石の並ぶ処に通じています...

善慧院-東福寺塔頭 参

東福寺塔頭の一つ、善慧院(京都府京都市東山区本町15丁目)です。 退耕庵の南にあるのが、尺八道場で有名な明暗寺です。 明治4年、虚無僧寺と呼ばれた東山池田町の明暗寺を合併して以来、晋化尺八流の中心となりました。 境内墓地には、但馬矢名瀬町出身の吉井義之の墓があります。 吉井義之は、但馬の志士です。通称貞七あるいは定七といいます。 維新のさい、三宅弥右衛門と改名しました。 但馬朝木郡梁瀬村(兵庫県)の荒物...

退耕庵-東福寺塔頭 弐

東福寺塔頭、退耕庵(京都府京都市東山区本町15丁目)です。    東福寺塔頭で、海蔵院の末です。 東福寺四十三世性海雲見の開山です。 本尊は千手観音菩薩です。 東福寺中の北端に位置し、本町街道の近くにあります。 鳥羽伏見の戦いの時には、長州藩の本陣となりました。 防長殉難者の菩提所となっています。 毎年11月には長州藩戦死者の供養が行われています。 写真でみる維新の京都よりJR奈良線・京阪電鉄東福寺駅から、北...

即宗院-東福寺塔頭 壱

見たくても見られない田中新兵衛のお墓のある、即宗院(京都府京都市東山区本町15丁目)です。    「西郷隆盛密議の地」 清水寺成就院の僧月照は勤王として活躍し、和歌のつながりで近衛家に出入りして、尊王志士と交わり西郷と志を一とした。 安政5年、井伊直弼は尊王攘夷運動に対して大弾圧を行った。 この頃水戸藩への朝廷密使事件があり、西郷は京都で井伊打倒の秘策を進めていた。 この時、僧月照と西郷は、当即宗院山中...

東福寺

紅葉で有名な東福寺(京都府京都市東山区本町15丁目)です。      日本最古の三門 京都五山の一つとして、750年の歴史があります。 禅宗(臨済宗)の大本山、慧日山東福寺は伏見街道東方の山麓に広大な境域を占め、25の塔頭があります。 本堂の南、境内南端の三門は、日本最古の三門で国宝です。 三門の右手山寄りに建つ石碑は、防長忠魂碑です。 大正6年11月、長藩殉難の士の五十回忌に建てられました。 表に戊辰戦争の概...

城東練兵場跡

会津藩の調練場、城東練兵場跡(京都府京都市左京区川端通荒神口上ル)です。    荒神橋の東詰に立つ京都織物会社の建物は、昭和43年に閉鎖された会社の名残りで、今は京都大学の東南アジア研究センターです。 この辺りと、南の京都大学病院の一帯は、文久4年2月に会津藩の調練場なり、会津藩兵の洋式調練が行われました。 戊辰戦争後は軍務官の調練場となり、慶応4年4月以降、官軍の東征に従うため、洋式調練した在京の諸藩...

六角獄舎跡

六角獄舎跡(京都府京都市中京区六角通大宮西入ル 因幡町)に行きました。       向かって左の碑に刻まれているのは、右の写真です。 六角牢は東西69m、南北53m、面積3,660㎡で、現在の六角通の南側、神泉苑通から財団法人盟親のあたりにありました。 中は揚り屋、本牢、切支丹牢などに分かれていましたが、文久以来の国事犯の収容で牢内は一杯になっていたといいます。 元治元年7月19日、長州勢が京都に攻め込んできたこ...

梁川星巌邸跡

詩人 梁川星巌邸跡(京都府京都市左京区川端通丸太町上ル)があります。 鴨川の東岸、丸太町上ル三軒目は、梁川星巌の寓居-鴨沂小隠-があった所です。 西岸の頼山陽の山紫水明処と相対していました。 梁川星巌は、詩人で尊攘派の志士です。 美濃国安八郡曽根村の豪農稲津丈太郎長高の長子です。 幼名善之丞、長澄、長じて名を卯、字を伯兎、詩禅と号し、のち改めて名を孟緯、字を公図または無象、通称新十郎、星巌と号しました...

吉田松陰歌碑

京都府立図書館の前に吉田松陰歌碑(京都府京都市左京区岡崎成勝寺町)が建っています。 吉田松陰の「奉拝鳳闕詩」の石碑です。 吉田松陰が、嘉永四年藩主に従って東遊した際、神戸湊川神社へ参詣したときの感激を詩作したものです。 松下村塾門下生野村靖ら長州藩出身者により建立されたそうです。平安神宮の応天門を出て真っ直ぐす進むと、岡崎公園に入ります。そこに府立図書館があり、その前に碑が建っています。平安神宮(岡...

安祥院-梅田雲浜墓

安祥院(京都府京都市東山区五条通東大路東入ル遊行前町)には、梅田雲浜の墓があります。    日限地蔵こと一名木食寺、安祥院は五条坂から清水新道の三叉路左手にあります。 安政の大獄の最初の犠牲者梅田雲浜の墓があります。 本堂裏手墓地の南側中程に南面する墓は、雲浜の遺髪を埋めたものです。 遺体を葬った墓は、海禅寺(東京都台東区松が谷)にあります。 梅田雲浜は、若狭小浜藩士でのち浪人。 矢部議比の二男として小...

福勝寺-古高俊太郎墓

古高俊太郎墓のある福勝寺(京都市上京区七番町千本出水西入ル)です。    古高俊太郎正順は、薪炭商桝屋喜右衛門になりすまし、その家は志士の連絡場所と隠れ家になりました。 しかし新選組の捕えられ、古高は壬生に引き立てられて、拷問を受けました。 池田屋に集い、古高奪還を議していた志士達は、新選組に踏み込まれ壊滅的な犠牲を出しました。 古高は六角牢内で7月20日に斬殺されました。享年36歳。 遺髪の墓は、寺内墓地...

本満寺

新選組の史跡、本満寺(京都府京都市上京区寺町通今出川上ル 鶴山町16)です。    慶応3年4月14日夜、田中寅三が新選組を脱走しました。 加賀出身で、隊の剣術師範を務める品行方正な隊士でしたが、日ごろより過激な攘夷論を唱えていました。 伊東甲子太郎らの新選組分離派に参加しようとしましたが、分離後の互いの隊士の受けれは認めないという約定により加入を許されませんでした。 寺町の本満寺に潜伏しているところを、...

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Author:kamaboko
新選組と幕末だらけの本棚
実は二重になっているので、
後ろにも本棚が…。

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