新選組&幕末 ばんざい!!

新選組を中心に歴史の舞台を巡ります

アーカイブモード [2008年11月 ] 記事一覧

草津本陣

草津本陣(滋賀県草津市草津1丁目2-8)には、土方歳三の他、浅野内匠頭、吉良上野介、シーボルト、そして皇女和宮も利用しています。    土方歳三、斉藤一、伊東甲子太郎、藤堂平助の名前があります。        畳廊下        広間     厩 だったかな? 草津は東海道五十三次の一つで、中山道の分岐点でもあり、本陣、脇本陣が各二軒設けられていました。 現在は田中家本陣のみ現存しています。 総敷...

河上彦斎墓-霊山墓地

霊山墓地にある、河上彦斎の墓(京都府京都市東山区清閑寺霊山町)です。 河上彦斎は肥後藩士です。 熊本城下新馬借町に生まれ、父は小森貞助です。 肥後藩の軽輩河上源兵衛の養子となり、掃除坊主や国老付坊主を勤めました。 国学者林桜園に師事して尊王思想の影響を受けました。 轟武兵衛、堤松左衛門らと肥後勤王党を結成しました。 文久2年は、蓄髪を許されて上京、翌年には肥後藩から朝廷に醵出された親兵の一員となりまし...

元治甲子及池田屋の変墓-霊山墓地

霊山墓地(京都府京都市東山区清閑寺霊山町)の元治元年甲子及池田屋の変の人達のお墓です。 龍馬・慎太郎のお墓の向かって右隣にあります。 墓石が並んでいます。 上の段、向かって左から 小橋友之助、安藤誠之助、津田愛之助、青木与三郎、内田弥三郎、中平龍之介、中村恒次郎、原道太、柳井健次、那須俊平、尾崎幸之進、伊東甲之助、半田紋吉、上岡謄治、田岡俊三郎 下の段、向かって左から 福岡祐次郎、河瀬室幸、河瀬太宰、...

源氏物語 宇治十帖-紫式部

源氏物語 宇治十帖 紫式部像(京都府宇治市宇治蓮華 宇治橋西詰) 源氏物語千年紀だそうです。 新選組&幕末とは、う~~~んと、離れていますがメモ代わりに書いています。  宇治橋西詰にある紫式部像あさきゆめみし―源氏物語 (1) (講談社漫画文庫)(2001/08)大和 和紀商品詳細を見る源氏物語 巻一 (講談社文庫)(2007/01/12)瀬戸内 寂聴商品詳細を見る源氏物語 1 (1) (新潮文庫 え 2-16)(2008/08)紫式部商品詳細を見る源氏物...

源氏物語 宇治十帖-夢浮橋

源氏物語 宇治十帖 夢浮橋古墳(京都府宇治市宇治蓮華 宇治橋西詰)     (1992年)      (2008年) のりのしと たづぬるみちを しるべにして       おもはぬやまに ふみまどうかな薫は横川僧都から浮舟であることを確かめました。 僧都に浮舟との仲介を懇願し、仏罰をおそれつつも消息をしたためてもらいました。 薫一行の来訪を知りつつ、浮舟はひたすら阿弥陀仏を念じました。 薫は自分の文に僧都のそれ...

源氏物語 宇治十帖-手習

源氏物語 宇治十帖 手習古墳(京都府宇治市莵道田中)  (1992年)      (2008年) みをなげし なみだのかわの はやきせを       しがらみかけて たれかとどめし横川にはなにがしの僧都と呼ばれる名僧がいました。 その僧の母尼と妹尼が長谷詣の帰途、母尼が宇治で倒れ、僧都が駆けつけた折に、気を失った浮舟を発見しました。 妹尼は亡き娘の生まれ変わりかと驚きました。 僧都の懸命の祈祷により、浮舟は蘇生...

源氏物語 宇治十帖-蜻蛉

源氏物語 宇治十帖 蜻蛉古墳(京都府宇治市莵道大垣内 京都翔英高校横)  (1992年)      (2008年) 蜻蛉古墳の前の道路にはめ込まれていました。 ありとみて てにはとられず みればまた       ゆくへもしらず きえしかげろう宇治では浮舟が行方不明となり、大騒ぎをしています。 薫は母・女三宮のために石山に籠っていましたが、ただ仏に祈るばかりです。 匂宮も床に臥してしまいました。 薫は宇治に赴き、...

源氏物語 宇治十帖-浮舟

源氏物語 宇治十帖 浮舟古墳(京都府宇治市莵道滋賀谷21 三室戸寺)      (2008年) たちばなの こじまはいろも かはらじを       このうきふねぞ ゆくへしられぬ匂宮は浮舟のことを忘れないでいました。 中君に宇治からの便りもあり、薫が宇治に浮舟を囲っていることを聞きます。 匂宮はある夜、薫を装って忍び入りました。 匂宮は翌日も留まり浮舟を慰めます。 しかし京での批難を聞き、しぶしぶ帰りました。...

源氏物語 宇治十帖-東屋

源氏物語 宇治十帖 東屋古墳(京都府宇治市宇治乙方 東屋観音前)  (1992年)      (2008年) さしとむる むぐうやしげき あづまやの      あまりほどふる あまそそぎかな浮舟の母中将君は、常陸介の後妻となっていました。 浮舟には左近少将が求婚していましたが、介の財産目当てでした。 中将君は浮舟を中君に預けることにしました。 二条院の豪華さや薫の姿に中将君は魅了されますが、匂宮の好き心を案じて...

源氏物語 宇治十帖-宿木

源氏物語 宇治十帖 宿木古墳(京都府宇治市)   (1992年) やどりきと おもひいでずば きのもとの      たびねもいかに さびしからまし帝は女二宮を薫にと望み、菊の盛りに花に託して意中をほのめかしました。 薫は亡き大君を忘れかねています。 匂宮は夕霧六君との婚約を承諾させられました。 中君はすでに匂宮の子を宿しています。 薫は中君を慰めているうちに恋情も募ります。薫は中君に腹違いの妹浮舟がいること...

源氏物語 宇治十帖-早蕨

源氏物語 宇治十帖 早蕨古墳(京都府宇治市宇治山田)  (1992年)      (2008年) このはるは たれにかみせむ なきひとの       かたみにつめる みねのさわらび父・姉と先立たれた中君は新春を迎えても、寂しげでした。 山の阿闍梨から蕨や土筆が届いて慰められました。 匂宮は宇治に通う薫と中君の仲を疑い、中君を二条院に移すことに決めました。 薫は今になって、中君のことが惜しまれます。 中君は2月、...

源氏物語 宇治十帖-總角

源氏物語 宇治十帖 總角古墳(京都府宇治市宇治紅斉 源氏物語ミュージアム前&大吉山登山口)  (1992年)     (2008年) あげまきに ながきちぎりを むすびこめ       おなじところに よりもあはなむ八宮の一周忌が近づいてきました。薫は法要の願文を書いたついでに、大君への思いを告白しました。その夜に大君に迫るが拒否されました。 大君は妹の中君を薫にと考えていました。 薫は中君を匂宮に譲れば、大...

源氏物語 宇治十帖-椎本

源氏物語 宇治十帖 椎本古墳(京都府宇治市莵道荒槇 彼方(おちかた)神社前)  (1992年)    (2008年) たちよらむ かげとたのみし しいがもと       むなしきとこに なりにけるかな八宮の姫の話を耳にした匂宮は、長谷詣の帰途に、夕霧の宇治の別邸に立ち寄りました。 薫と匂宮は管絃を楽しみました。 八宮はその音色に感じて文を贈り、二人は八宮を尋ねました。 薫は秋に中納言に昇進しました。 八宮は厄...

源氏物語 宇治十帖-橋姫

源氏物語 宇治十帖 橋姫古墳(京都府宇治市宇治蓮華 橋姫神社)  (1992年) はしひめの こころをくみて たかせさす       さおのしずくに そでぞぬれぬる光源氏の異母弟・八宮は宇治に下がっていました。 宮は仏道に精進しながら、二人の姫を養育していました。 薫はこの宇治を訪れるようになり、ある晩秋の月夜に音楽を奏でる二人を垣間見ました。 薫は、求道への揺らぎを覚えました。 薫は八宮から出家を打ち明け...

日柳燕石旧邸跡

日柳燕石旧邸・呑象楼(香川県仲多度郡琴平町榎井)です。           呑象楼    日柳燕石像 日柳燕石は、讃岐(香川県)琴平の勤王博徒です。 仲多度郡榎井村で質屋を兼ねる富豪の地主加島屋惣兵衛の一人息子として生まれました。 通称加島屋長次郎といいました。 天保元年の14歳の時から琴平の医者三井雪航について学びました。 4年間にわたって漢詩・漢文を修めました。 その他にも書や絵画などにも手を染めました...

月真院

二年坂・産寧坂の北に、御陵衛士屯所・月真院(京都府京都市東山区八坂下河原町463番地)があります。    慶応3年3月20日、新選組を分離した伊東甲子太郎ら15名は、東山泉涌寺の塔頭戒光寺の長老湛然の肝煎によって、孝明天皇の御陵衛士を拝命しました。 6月8日、五条通の善立寺から臨済宗建仁寺派月真院に屯所を移しました。 月真院が高台寺の塔頭であったことから、伊東ら御陵衛士は高台寺党と呼ばれました。 11月18日、闇...

高杉・来島・久坂・寺島・入江・有吉墓-霊山墓地

霊山墓地(京都府京都市東山区清閑寺霊山町)にある、高杉晋作・来島又兵衛・久坂義助・寺島忠三郎・入江九市・有吉熊次郎の墓碑です。 向かって右から、高杉晋作・来島又兵衛・久坂義助・寺島忠三郎・入江九市・有吉熊次郎です。 高杉晋作は、長州藩士です。 高杉小忠太の長男として萩城下菊屋横町に生まれました。実禄150石。 谷梅之助の変名もあります。 藩校明倫館に学び、安政4年吉田松陰の門に入って頭角を現しました。 久...

興正寺

興正寺(京都府京都市下京区七条堀川上ル花園町70番地)は、西本願寺の南隣りにあります。 興正寺事件といわれる出来事がありました。 慶応3年12月7日、天満屋事件の同日同時刻に起きた紀州藩要人暗殺未遂事件です。 天満屋事件が紀州藩の三浦休太郎を狙ったものであるのに対し、家老水野大炊頭が宿舎の興正寺で襲われたものです。 坂本龍馬殺害を紀州藩の手引きによるものと考える集団の犯行と思われますが、実体は不明です...

天満屋騒動之跡

天満屋騒動之跡(京都府京都市下京区油小路通花屋町下ル)。    慶応3年12月7日、京都の旅宿天満屋に滞在中だった、紀州藩周旋方の藩士、三浦休太郎を土佐海援隊と陸援隊を中心にした集団が襲い、三浦の警護についていた新選組隊士達と激闘を展開しました。 三浦休太郎は、京都で幕府と朝廷間の周旋に邁進していた人物でした。 佐幕よりで行動していたため、討幕派から狙われていたといいます。 またこの年、海援隊が運行して...

大村益次郎墓-霊山墓地

霊山墓地(京都府京都市東山区清閑寺霊山町)の大村益次郎の墓です。 大村益次郎については、2008年10月1日の“大村益次郎寓居跡”(大阪市)と“大村益次郎殉難の碑”(大阪市)をご覧下さい。 大村益次郎の最期の言葉はイネ(シーボルトと丸山の遊女其扇(そのぎ)との間に生まれた娘。その後医者となり、益次郎が妻以外に愛したとされる女性。)に言ったオランダ語の「さようなら」だったといいます。 益...

女紅場跡

女紅場跡(京都府京都市中京区土手町通丸太町下ル、電気通信技術史料館)です。 明治5年4月14日、旧岩倉邸内に新英学校と女紅場が開設され、英人ホーンヴィ夫妻が教授となりました。 梅田雲浜の後妻千代子は、女紅場の生徒取締に任ぜられ、娘縫子も英語・裁縫の助教を勤めました。 女紅とは、裁縫・手芸・家事など女子に必要な教養を教えることで、本教場は府立第一高等女学校の前身です。 この後市内各区に女紅場ができ、遊所...

舎密局跡

石長松菊園の南隣にある高校の南端に、舎密局跡(京都府京都市中京区土手町通夷川上ル)の説明板が立っています。 舎密局跡、“せいみきょく”と読みます。 明治維新の後、東京が中心となり、古都京都は寂れ諸産業は衰微しました。 府参事(後の知事)植村正直は、産業振興のために、勧業所・織所・牧畜場などとともに舎密局を建て、明石博高を主任にし、オランダ人ヘールツ、ドイツ人ワグネルの指導で、理化学研究と教...

木戸孝允邸跡

木戸孝允邸跡(京都府京都市中京区土手通竹屋町下ル)の碑があります。    旅館・石長松菊園とその前の碑です。 お宿いしちょうと碑です。 京阪電鉄神宮丸太町駅で降り、丸太町橋を渡ります。 河原町丸太町バス停のある角を南に曲がり、200m歩くと、お宿いしちょうと旅館・石長松菊園があります。 どちらにも同じように碑があります。 この奥に木戸孝允終焉の邸宅跡があります。 やはりこの3点とを結んだ範囲内ぐらいに、お屋...

木戸孝允邸跡

木戸孝允が亡くなった屋敷跡(京都府京都市中京区土手町通竹屋町下ル東側)です。    維新後、桂小五郎は開国和親の方針を採り、版籍奉還、廃藩置県等を達成しました。 岩倉具視の特命全権使節団の副使として欧米を視察し、明治6年7月に帰国しました。 西郷・板垣らによってとなえられていた征韓論には反対しました。 明治8年6月第一回地方長官会議の議長を務め、翌9年3月参議を辞任して内閣顧問とりなり、この年6月の東...

昌念寺-桂小五郎潜居跡之地(?)

「桂小五郎潜居跡之地碑 陸」で書いた碑の東隣に昌念寺(兵庫県豊岡市出石町魚屋)があります。 「桂小五郎の潜伏地で、ここで囲碁を打っていた。」 という記述もあります。 “碑”は建っていませんでした。 しかし、6つしか碑を見つけられなく、パンフレットにも6つしか書かれていません。 ということは、この昌念寺も潜居地として数えて、あわせて7つ(7ヶ所)とするのでしょうか? 1つははっきりとわかりませ...

桂小五郎潜居跡之地-陸

桂小五郎潜居跡之碑(兵庫県豊岡市出石町魚屋)がここにもあります。 辰鼓楼から北に進み西方寺の交差点を、先ほどと反対側の東に曲がります。 100m進んだところの、塀の側面(?)に碑が建っています。...

桂小五郎潜居跡之地-参・肆・伍

桂小五郎潜居跡之碑(兵庫県豊岡市出石町田結庄)が3ヶ所、かたまってあります。    “桂小五郎潜居跡之碑 参” 寿し梅前にある碑です。 “桂小五郎潜居跡之碑 肆” 寿し梅の斜向かいの玩具屋の横にあります。 “桂小五郎潜居跡之碑 伍” 玩具店の横の道を挟んで西隣で、駐車場の辺りにあります。 この3つの碑は、交差点に立って一回転すると、すべて見ることが出来ます。 交差点の3つの...

桂小五郎潜居跡之地-弐

出石にある7つの桂小五郎潜居碑(兵庫県豊岡市出石町田結庄)の1つです。 この碑があった場所がここなのか、不確かになってしまいました。 もちろん出石にある7つの碑の内の1つには、間違いありません。 “勤王志士桂小五郎再生之地”碑からそのまま西へ50m進むと、桂小五郎潜居跡之碑と書かれた、小さな碑があります。 ヨイダマチ通と田結庄通が交わる少し手前の、ヨダイマチ通にあります。 米穀店の斜向かいの割...

桂小五郎潜居跡之地-壱

兵庫にある桂小五郎潜居跡之地(兵庫県豊岡市出石町宵田 中央南側)です。    文久3年8月18日の政変で、七卿とともに京を追われた長州藩でしたが、桂小五郎は京で藩の無実の罪を雪ごうとしましたが、果たせず9月に帰藩しました。 元治元年4月に、京都留守居役として再上洛、この年7月に禁門の変が起こり、長州藩は敗退しました。 しばらく対州藩邸に潜んだ後、小五郎は広江孝助と変名して但馬出石に、荒物屋を装って潜居し...

木戸孝允墓-霊山墓地

霊山墓地の頂上あたりに木戸孝允墓(京都府京都市東山区清閑寺霊山町)があります。 木戸孝允(桂小五郎)は、萩藩医和田昌景次男でしたが、萩藩士桂九郎兵衛の養子となりました。 慶応元年9月、木戸貫治と改名。名は孝允、号は松菊など。 嘉永5年、江戸にて斉藤弥九郎の練兵館道場の塾頭に進み剣名を高めました。 安政4年10月の鍛冶橋土佐屋敷での仕合に坂本龍馬、桂小五郎の名前もあるそうです。 文久3年、京で尊攘運動を進...

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新選組と幕末だらけの本棚
実は二重になっているので、
後ろにも本棚が…。

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