新選組&幕末 ばんざい!!

新選組を中心に歴史の舞台を巡ります

アーカイブモード [2008年08月 ] 記事一覧

岡田以蔵墓

岡田以蔵の墓(高知県高知市薊野・真宗寺山)に行きたかったのです。    雨降りだったのと、墓石同士が近すぎて下がれない等、素人には難しい条件でした。(と、言い訳) この中が墓地です。 岡田以蔵宜振。土佐国土佐郡江ノ口村出身。 武市瑞山に剣術を、徳弘孝蔵に砲術を学びました。安政3年には江戸に出て、桃井春蔵に入門して剣術を学びました。 この時築地の土佐藩中屋敷では龍馬と同宿でした。 文久元年に結成された土佐...

河田小龍墓

河田小龍の墓は等寺院墓地(京都市北区等持院北町)にあります。    等持院西北の山麓、立命館大学の北にある旧墓地内にあります。 写真でみる維新の京都より 「立命館大学の北側」これは大きなヒントです。 大学ならすぐにわかるので、お墓もすぐに判るだろうと思っていました。 しかし、北側にそれらしい墓地はありません。 なんと、大学の中を通らないといけなかったのです。 大学構内に入っていいの? と思いつつも入ってし...

河田小龍宅跡 (はりまや町)

河田小龍宅跡(高知県高知市南はりまや町2丁目2-1)です。  旧浦戸町はりまや町交差点から東へ200m、土佐橋の西端南側。 現在、「花嫁衣裳の寿」「四国トーア」の位置で、南街公民館南街消防署の前です。 碑も何もありません。 この辺りは裏戸町坊片町といわれ、運河に沿った堤防の片側町で、その岸辺に北向きの水天宮が鎮座していました。今、運河を埋め立てた公園の中に有馬神社の祠がありますが、それが現在の水天宮...

河田小龍寓居跡周辺 (築屋敷)

築屋敷の河田小龍の寓居跡(高知県高知市上町3丁目)付近です。  安政元年11月5日の地震による火災で自宅が全焼しました。 そのため築屋敷3丁目で仮住まいをしていました。 近くの本丁筋1丁目に住む龍馬が小龍のもとを訪れ、海外事情を聞いて啓発されたのはこの時であったといいます。 小龍の門人には、近藤長次郎、新宮馬之助、長岡謙吉らがいますが、のちに龍馬の同志となり、神戸の勝海舟塾や亀山社中で活躍しました。...

池内蔵太生誕之地

私が訪れた当時は、S氏、M氏、W氏家の位置に、池内蔵太生誕地(高知県高知市西町20番地から21番地付近)があったそうです。 (参考にした書籍には名前が載っていましたが、ここでは伏せておきます。)     江ノ口川を渡す車瀬橋を北へ渡り西町へ。 その東角の一角辺りといわれています。 藩士才右衛門の子に生まれました。 この付近は下級武士が住む屋敷町でした。土佐勤王党の結成に尽力した同志達が多く、内蔵太もその...

河野万寿弥誕生之地

河野万寿弥誕生之地(高知県高知市上町2丁目1)は第4小学校前にあります。 河野万寿弥は、土佐国高知城下北奉公人町藩士河野嘉三郎長男として生まれました。 学問を江戸の安井息軒に学びました。 文久元年、江戸に居た頃、武市半平太も在府しており、土佐勤王党結成の動きが起こりすぐに加盟しました。 文久2年、五十人組に参加し、江戸に赴き山内容堂の護衛にあたりました。 文久2年3月25日に、坂本龍馬と沢村惣之丞が脱藩...

武市瑞山殉節之地

武市瑞山先生殉節之地(高知県高知市帯屋町2丁目5-18)です。    四国銀行帯屋町支店の東角にあります。 元南会所があった場所で、慶応元年5月11日に武市瑞山らが、切腹した場所です。 前藩主山内容堂は、公武合体論の立場から、土佐勤王党の弾圧しました。 元治元年9月瑞山は投獄され、37歳で没しました。 大正8年9月建立した碑は戦災で無くなり、位置も少し移動して現在の場所に再建されました。 坂本龍馬大事典より 四...

吉田東洋記念之地

吉田東洋先生記念之地(高知県高知市帯屋町2-1 追手前小学校東南角塀の外の路上・ベスト電器高知店の横)というのは、吉田東洋暗殺の地です。    吉田東洋が、土佐勤王党の那須信吾・安岡嘉助・大石団蔵の三人に文久2年4月8日、暗殺された場所です。 この日は城内二の丸で、藩主豊範の為に「日本外史」「信長記」本能寺の変を講義していました。 最後の講義の日で、酒などが出されて亥の刻(午後10時頃)に、帰路に着きま...

板垣退助誕生之地

今日は土佐史跡巡りでお願いします。 あ~、大阪の新選組に行きたかったのに。 後藤象二郎誕生之地から、北に200m行った所に、板垣退助誕生之地(高野寺:高知県高知市本町2丁目3)の碑があります。    乾退助。のちに板垣退助。 土佐国高知城下中島町に300石馬廻り乾正成長男として生まれました。 元治元年9月に就縛した武市半平太ら土佐勤王党の取調べをした中に、後藤象二郎、乾退助もいました。 元治2年1月に江戸に出...

天の岩戸(恵利原の水穴)

天の岩戸といわれる場所は、日本全国にあるようです。 恵利原の水穴(三重県志摩郡磯部町恵利原)もその一つのようです。 天照大神が須佐之男尊の悪事を戒める為、岩戸の中に隠れたという有名な伝説にちなんだ洞穴といわれています。 逢坂山中腹の洞穴から湧き出ており、志摩用水の源泉となっています。 洞穴より湧き出る清水は高さ3m程の禊滝(みそぎたき)と呼ばれる滝になっており、この付近一帯の主要な生活水となる神路ダ...

適塾

適塾(大阪府大阪市中央区北浜3丁目3番地8号)といえば、緒方洪庵を思い浮かべるかもしれません。 しかし、橋本左内、大村益次郎、福沢諭吉、大鳥圭介、高松凌雲らも学んでいました。  大阪大学が管理しているようですね。 私が訪れたのは、少し前ですが、大人220円で参観できました。 当時の刀傷が残っているのを見てワクワクしました。 これは斬りあいをしたのではなく、ふざけてつけたようです。 橋本左内、大村益次郎...

肥前鍋島藩邸跡

蜆橋からすぐ近くに、肥前鍋島藩邸跡(大阪府大阪市北区西天満2丁目)があります。 佐賀藩(鍋島家)の蔵屋敷跡です。 発掘調査により、堂島川から船を引き込む船入りの水門や石垣も発見されています。 堂島ビルの南側を東に入って行くと、大阪裁判所合同庁舎の大きなビルが見えます。 そこが蔵屋敷です。 確かに目の前は堂島川で、船で物資を運ぶには納得です。 大阪のほぼ一等地に藩邸(蔵屋敷)があったのですね。 堂島川を渡...

蜆橋跡

土佐史跡巡りはまだ途中ですが、新選組が恋しくなってきました。 なので少し新選組巡りをしてから、土佐に戻りたいと思います。 蜆橋跡(大阪府大阪市北区曽根崎新地1丁目)のビルにあります。    新選組と大坂力士との乱闘の舞台です。 蜆川が堂島川に合流する地点に掛かっていた橋です。 しかし川が埋め立てられたため、現存はしません。 現在の堂島ビル脇の路地に蜆川が流れていたと思われ、ビルの斜め前方が蜆橋のあった場...

後藤象二郎誕生の地

山内神社から東へ500mに、後藤象二郎誕生の地(高知県高知市与力町5-18)があります。    現在、日本キリスト教団土佐教会と聖泉幼稚園のある場所です。 天神橋から30m坂を下り、土佐電鉄バス停「天神橋北詰前」の東側になります。 後藤象二郎は、少年の頃は保弥太といわれ、父は藩士助右衛門です。板垣退助とは竹馬の友でした。 義叔父吉田東洋に学び、のち江戸で大鳥圭介に英学を学びました。 武市半平太ら土佐勤王党の獄...

山内神社

山内家下屋敷長屋の横に山内神社(高知県高知市鷹匠町2-4-65)があります。 明治4年、最後の藩主(十六代)山内豊範公が、 三代忠豊公から十四代豊惇公までを、当地に社殿を造って祀りました。 昭和7年、歴代藩主を藤並神社に遷座して、 十五代藩主山内豊信公(容堂公)と豊範公を祀り、山内神社としました。 昭和21年、藤並神社・山内神社が戦火により焼失したため、昭和45年、社殿を再建し、両社を併せ、現在に至る。 ...

筆山・筆山墓地

鏡川を渡って、筆山墓地(高知県高知市筆山町)に行く時間がありませんでした。 やはり、2泊3日ですべてを回る事は不可能ですね。 山内神社から、鏡川の向こうに見える筆山を眺めるに留めました。 筆山墓地には、 吉田東洋のお墓があるそうです。 他に、土佐勤王党の岡本恒之助・尾崎幸之進・島村左伝次・田所荘之助・谷嚋太郎・三原兎弥太・山本三治のお墓もあるようです。 山内神社から見ると、筆山はすぐ目の前なので...

旧山内家下屋敷長屋

高知市に初めて行った時、一番最初に訪れたのが重要文化財 旧山内家下屋敷長屋(高知県高知市鷹匠町1丁目3番35号)でした。    この長屋の建つ敷地は、幕末に家臣7人の屋敷地を召し上げて藩主山内容堂の下屋敷が設けられたところです。長屋については記録はないそうです。が、その時建てられたものと思われます。 屋敷は明治維新後、山内家の私邸となり、戦後売却され、現在大部分は三翠園の所有となっています。 長屋は旧屋...

神道無念流 練兵館跡

斉藤弥九郎の創設した神道無念流剣術道場の練兵館跡(東京都千代田区九段北3)です。 北辰一刀流玄武館、鏡新明智流士学館とともに「江戸三大道場」と総称されました。 (しかしこの通称は後世の造語のようです。)  神田俎橋にあったが火災で焼失し、九段坂を800mほど西上した三番町に道場を移しました。 甲良屋敷の試衛館に他流試合の申し出があると、錬兵館に助っ人を要請したそうです。 練兵館の門人らが役目を果たすと...

北辰一刀流 玄武館跡

北辰一刀流剣術・玄武館道場跡(東京都千代田区神田東松下町26、29)は千葉周作によって創設されました。    千葉周作は安政3年に死没しましたが、翌4年、隣家にあった東条一堂の漢学塾、瑤池塾の土地を譲り受け拡張し、後継の三男、千葉道三郎に引き継がれました。 永倉新八は山南敬助と藤堂平助を、北辰一刀流の千葉周作の門人として記録しています。 しかし永倉の記録にしかないので、実際のところは不明です。 山南は小野...

辰ノ口糾問所跡

辰ノ口糾問所跡(東京都千代田区丸の内1-4南西部)は、兵部省に所属し、江戸幕府の評定所の跡地に設置されました。  明治2年、ここに3名の元新選組隊士が送致されています。 勝沼戦争の後に新選組を離れた大石鍬次郎が、当時新政府軍に所属していた、加納鷲雄と三井丑之助によって東京で捕縛されていました。 加納は伊東甲子太郎殺害者を探していたので、大石は厳しい拷問を受けています。 大石が自白したかは不明ですが...

江戸城 坂下門

文久2年1月15日、江戸城坂下門(皇居外苑北)外の広場で、登城中の老中安藤信睦(磐城平藩主)が水戸浪士らに襲撃されました。  五つ時、安藤の行列は平藩上屋敷の北側の登城口を出て、斜め前方約100mの坂下門へ進みました。年始で坂下門前の広場は、多くの大名の供回りなどで大混乱していました。 浪士は高畑房次郎、黒沢五郎、小田彦三郎、川本杜太郎、平山兵介、河野顕三ら6名でした。川辺左次衛門が遅刻しなければ7...

会津藩江戸上屋敷跡

会津藩江戸上屋敷跡(東京都千代田区皇居外苑)は、江戸城西の丸の内桜田門外広場の前にありました。さらに会津藩は上屋敷の北に隣接して、和田倉門の脇に中屋敷がありました。 和田倉橋です。堀の向こう側に和田倉門があります。 新選組は会津藩御預りの為、東帰の折、幹部たちも藩邸を訪問しています。 元治元年9月、隊士募集などのため江戸へ戻った近藤勇が、永倉新八、武田観柳斎、尾形俊太郎と訪れています。 慶応4年1月...

金刀比羅宮

♪ こんぴら 船々 追手に帆かけて シュラシュシュシュ   廻れば 四国は 讃州那珂の郡 象頭山 金毘羅大権現 一度まわれば ♪ で有名な、金刀比羅宮(香川県仲多度郡琴平町892-1)に廻りました。      金刀比羅宮より 大物主神を祀り、琴平神社と称していました。 中古、金毘羅代権現と改称し、永万元年に崇徳天皇を合祀しました。 その後、明治元年に神仏混淆が廃止されて元の神社にかえり、金刀比羅宮と改称...

大豊 杉の大スギ

八坂神社(高知県長岡郡大豊町杉)に「杉の大スギ」という、推定樹齢3000年の杉があります。 昔、須佐之男命(すさのおみこと)が植えられたと伝えられる推定樹齢3000年の巨木です。 この「杉の大杉」は、それぞれ南大杉、北大杉と呼ばれる二株の大杉からなっており、二株が根元で合着していることから、別名、夫婦杉とも呼ばれています。 南大杉は根元の周囲が約20メートル、樹高が約60メートルで、北大杉は根元の周囲が約16.5メ...

道後温泉

道後温泉本館(愛媛県松山市道後湯之町5-6)です。 道後温泉本館は、明治27年に建築された三層楼建物です。 1階の大浴場を神の湯、小さい方を霊の湯といい、浴槽は花崗岩でできています。 泉質は、アルカリ性単純泉。 本館三層楼の屋上にある振鷺閣(しんろかく)は、閣内の広さは約1坪、周囲の窓は赤いギヤマンをはめた障子で、夜になると中央天井の釣ランプをともしたことから、それが赤いギヤマンに反射し、ネオンのない...

三浦啓之助墓

三浦啓之助の墓(愛媛県松山市祝谷東町442 鷺谷共同墓地)が松山市にありました。   新選組食客で、長野県松代出生で父は佐久間象山です。 本名佐久間恪二郎。新選組入隊後、三浦啓之助と称しました。 明治4年に佐久間恪(いそし)と改名、松山では格(まさる)と記録にあります。 明治6年に町人の娘ますと結婚、同9年に男子継述(つぐのぶ)が生まれましたが、明治12年に没しています。ますは静枝と改名し、明治34年に没...

原田左之助奉公の地

久しぶりに新選組関係の史跡です! 原田左之助奉公の地(中島隼太屋敷跡 愛媛県松山市南堀端町1)です。 原田左之助は(もちろん)新選組隊士です。伊予松山藩城下矢矧町(現・松山市緑町1)に下級武士の中間、または小間使いの身分の子として生まれました。 新選組が関わりあった事件のほとんどに名前があります。 隊士として家庭を持ち、29歳で亡くなっています。 明治40年6月15日の『史談会速記録』に左之助を見かけた内藤...

六志士の墓

梼原町での最後は、六志士の墓(高知県高岡郡梼原町)です。       梼原町の滞在時間は3時間弱しかありませんでした。 松山から土佐山田町に行く時に、梼原町経由で行くと私が言い張ったのです。 それで梼原町での史跡巡り、3時間弱を強引に貰いました。 梼原町ではまだ、大越峠や宮野々関所跡など見たい所があったのですが、やはり時間的な事を考えて、今回は町役場周辺だけにとどめました。 東津野村の吉村虎太郎生家も見...

旧掛橋和泉邸

旧掛橋和泉邸(高知県高岡郡梼原町梼原)です。 写真を撮って、その横に立つ説明文も写真に撮っていました。 それが下の写真です。     帰宅後写真を整理していて、どの説明が正しいものなのかわからなくなっていました。 1枚のお屋敷の写真に、説明などの写真が3枚…。 屋敷の写真で取り損ねたものはないはずなのに…。 今回、これを書くにあたって、じっくりと調べて解決しました。 この敷地は津野郷の大...

那須俊平・信吾招魂碑

那須邸跡から道に戻ったすぐの所に、那須俊平・信吾招魂碑(高知県高岡郡梼原町)があります。 邸宅跡のすぐ上にあります。 招魂とは、「死者の霊をまねいて祭ったり鎮めたりすること。」と辞書にあります。 その碑ですから、お墓ではありません。 記念碑に近いものでしょうか。 そう考えると、招魂碑も気にはなりますが、龍馬が泊まったという邸宅跡の方が興味津々となってしまいました。...

左サイドメニュー

My bookshelf

kamaboko

Author:kamaboko
新選組と幕末だらけの本棚
実は二重になっているので、
後ろにも本棚が…。

Basic Calendar

<07 | 2008/08 | 09>
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

最近の記事

ブログ内検索

月別アーカイブ

FC2カウンター

右サイドメニュー

Useful information

Let's go for a trip

国内最大級の旅行予約サイト【楽天トラベル】                               旅行の大バーゲン!格安旅行満載の阪急交通社                          オンライン予約・決済可能な日本旅行「赤い風船」国内宿泊                             スーツケースレンタル・トラベルグッズなら【アイレンタル】

Google Search

カスタム検索

Comrade

にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ ブログランキング・にほんブログ村へ

ブロとも申請フォーム