新選組&幕末 ばんざい!!

新選組を中心に歴史の舞台を巡ります

アーカイブモード [2008年05月 ] 記事一覧

中村半次郎寓居跡

浮蓮亭から高瀬川沿いに、北に向かって進んで行きたいと思います。 四条小橋の東側に中村半次郎(桐野利秋)寓居跡(京都市中京区四条通小橋東詰)があります。 中村半次郎は薩摩藩士です。 示現流の達人で“人斬り半次郎”と呼ばれていました。 島津久光の供をして上京してきました。 四条小橋東詰の煙管屋田村の娘おさとと仲好くなり、禁門の変後は同家に潜伏し、長州の桂小五郎などと密議をしたそうです。 維新後は陸...

浮蓮亭跡

浮蓮亭(うかれてい 京都市下京区 四条小橋高瀬川下ル船頭町) 中井庄五郎と土佐の那須盛馬がこの店で飲食後、四条橋側で沖田総司、永倉新八、斉藤一と斬り合いになったという話があります。 私はいったいどこでこの史跡の事を読んだのか…全く思い出せないのです。 気になります。 この史跡は“確かな話”ではなく、“という話がありますが…定かではありません”という場所です。 でもどこで...

会津藩西郷墓-長谷寺

井上馨の墓を訪ねた長谷寺で偶然見かけました。 しかしこれは墓?顕彰碑? そしてどなたの物? 全く分かりません。 当時の私の走り書きメモに「会津藩老職西郷」とは書いています。 会津藩  西郷  近思  老職  近房  明和  天明  文化  文政 この言葉だけは分かりましたが、それがつなげられません。 ただ会津藩のいつの時代かの、西郷さん関係だという事ですね。 会津藩家老の西郷さんと、薩摩藩の西郷隆盛は、遠...

井上馨(井上聞多)墓-長谷寺

井上馨(井上聞多)のお墓(東京都港区西麻布)にも行きました。 萩藩士井上光亨の次男に生まれ志道慎平の養子になりましたが、井上家の家督を継いで井上姓に戻りました。 明治3年、馨と改名しました。 藩主の側近に仕え、文久2年には尊攘志士たちと交わりました。 同年12月には、高杉晋作らと品川御殿山の英国公使館を焼き討ちしました。 元治元年8月、四ヶ国連合艦隊との下関講和談判に通訳として加わりました。 第一次征長軍...

相楽総三墓-青山霊園Ⅷ

  相楽総三の墓 (1イ-3-1 立山墓地) 相楽総三は本名小島将満、通称四郎左衛門、のち四郎といい、下総(千葉県)北相馬出身の郷士で江戸赤坂に豪邸を持つ小島兵馬の末子です。 草莽の志士、赤報隊隊長。 慶応2年頃から京都に入り、志士と交流を深めました。 長州藩主毛利敬親にも知られました。 伊牟田尚平、益満休之助を通じて西郷隆盛、大久保利通と関東擾乱計画を練りました。 同じ年、伊牟田・益満とともに薩摩江戸...

佐々木高行-青山霊園Ⅶ

佐々木高行 (1イ-21-8-8) 佐々木高行は、土佐国吾川郡長浜村瀬戸出身の土佐藩士です。 慶応3年、薩土盟約の件に関して、龍馬や中岡慎太郎と京都で会談を行っています。 この後、イカルス号事件に際し、龍馬はさらに佐々木との接触を深めています。 さらに土佐商会責任者として長崎行を命ぜられ、龍馬と長崎に向かっています。 長崎では、龍馬と頻繁に交流を続け、龍馬や海援隊士らに、物心にわたって援助しています。 龍...

後藤象二郎墓-青山霊園Ⅵ

  後藤象二郎の墓 (1イ-13-24-1) 後藤象二郎は土佐国高知城下片町出身で、後藤助右衛門の長男として生まれた、土佐藩士です。 義叔父吉田東洋に学びました。 土佐勤王党を弾圧し、武市半平太以下を断罪して公武合体を推進しました。 慶応3年1月、長崎清風亭で坂本龍馬と出会い、意気投合しました。 龍馬に「近頃の人物ニて候」と評されています。 後藤も龍馬を評価して、脱藩罪を解いています。 大政奉還の実現に向け...

篠原泰之進墓-青山霊園Ⅴ

青山霊園には新選組隊士であった、篠原泰之進のお墓もあります。 篠原泰之進の墓 (2イ-12-3-5) 篠原泰之進、篠塚友平、秦河内、秦泰之進、秦林親と名乗っていました。 筑後国生葉郡高見村出身の新選組隊士。 諸国を遊歴した中で、加納鷲雄と出会い、佐野七五三之助らと尊攘活動を約しました。 また加納を通して伊東甲子太郎を知りました。 元治元年、江戸での隊士募集に応じて上京し、入隊に至りました。 のち伊東甲子太...

有村次左衛門墓-青山霊園Ⅳ

有村次左衛門の墓 (1ロ-12-8) 有村次左衛門は桜田門外の変に参加した唯一の薩摩藩士です。 井伊直弼の首を落としましたが、自分も斃れました。 有村仁左衛門兼善の第四子で、兼清といいます。 示現流免許の達人。 井伊の駕籠の左側から近寄り、井伊の頭に手をかけて引き出し、首を落としました。 太刀先に首を刺して高々と天に掲げ、日比谷門に来た時に後ろから頭を切り込まれました。 鍛冶屋橋手前まで来て動けなくなり、...

大久保利通墓-青山霊園Ⅲ

大久保利通の墓 (1イ-2-15~19) 大久保利通は薩摩藩士大久保次右衛門長男として生まれました。通称一蔵。 西郷隆盛とおなじ鹿児島城下の下加治屋町に生まれました。 文久2年、島津久光に随行して上京しました。 勅使大原重徳の江戸下向に久光と共に従い文久の幕政改革を進めました。 禁門の変では、西郷隆盛の上洛を斡旋し、会津と協力して長州軍を敗走させましたが、第一次征長軍解兵のあとは、西郷隆盛、小松帯刀と図っ...

白峰駿馬墓-青山霊園Ⅱ

白峰駿馬の墓 (1ロ-5-8-21) 白峰駿馬は越後国出身の海援隊士です。 文久2年に江戸に出て、勝海舟が頭取の軍艦操練所で学びました。 元治元年4月には神戸に赴き、買うtの海軍塾に入門し、龍馬らと神戸海軍操練所で修行に励みました。 慶応元年閏5月には、亀山社中の結成に参加しました。 翌2年10月に大極丸に野村辰太郎とともに船長として乗り組み、大阪に滞在しています。 翌3年6月に上京して酢屋嘉兵衛方に下宿し...

中江兆民-青山霊園Ⅰ

中江兆民の墓 (1イ-1-24辺り) 中江兆民は、土佐国高知城下山田町出身です。 自由民権運動家。 土佐藩江戸方下横目、中江元助の子として生まれました。 子供の頃、自宅近くの山田町獄舎で平井収二郎らの介錯人なしの切腹をひそかに目撃し、後年、「惨酷なる代はりに尤も立派に見えたり」と記しています。 慶応元年9月、藩から英学勉強の為の長崎派遣の命を受け、幕府外国語伝習所の済美館でフランス語を学んでいます。この...

土方歳三生家

現在土方歳三生家(東京都日野市石田2761)として、私達が訪れているのは、厳密にいえば「生家」ではないそうです。 「生家」は天保11年の洪水で流出し、現在の場所に移ったそうです。 歳三6歳の時です。 「生家」はとうかん森より東北の方向、現在下水処理場がある辺りではないかといわれています。   平成2年に、建物は改築されましたが、玄関横に資料室が作られています。 相撲の稽古をしたという、大黒柱が保存されていま...

とうかん森

石田寺から土方歳三生家に向かう途中で、とうかん森(東京都日野市石田)の寄りました。 宝永5年以前に、土方家一族によってこの地に稲荷が祀られて、土方家の氏神となりました。 土方歳三写真集より 森といっても、巨木が数本あるだけです。ムクノキやカヤの木だそうです。土方家の歴史ですから、ぜひ立ち寄ってみてください。土方歳三・孤立無援の戦士(2003/05)新人物往来社商品詳細を見る...

土方歳三の墓-石田寺

京王線高幡不動駅から、高幡不動尊とは逆方向になります。徒歩で約20分と少し歩きます。 浅川を渡るともう間もなくです。今はモノレールが開通しています。 私はモノレールが出来てからまだ行けていません。 高幡不動の末寺の石田寺(東京都日野市石田145)に、土方家と土方歳三の墓があります。   これは古いお墓になるのでしょうか? 今のお墓は平成12年に建て替えられたものだそうです。 正面中央に「歳進院殿誠山義豊大居士...

高幡不動尊&殉節両雄之碑

京王線高幡不動駅から200m位でしょうか、高幡不動尊(東京都日野市高幡733)に向かいました。 高幡不動尊は土方歳三の家の菩提寺で、過去帳が残されています。  歳進院殿誠山義豊大居士        石田出生    五月十一日 土方歳三殿事         箱館浄土宗称名寺ニ         石碑有之鴻池手代         大和屋友次良建之  広長院釈義操 土方歳三事         是ハ箱館 派箱館御坊      ...

大国魂神社

JR南武戦府中本町駅・京王線府中駅前の大国魂神社(東京都府中市宮町3-1)に足を延ばしておきました。 大国魂神社は近藤勇たち天然理心流の興行の地になります。 日野宿の八坂神社に額を掲げ、天然理心流の存在をアピールした三代目近藤周助は、次に府中宿の大国魂神社(当時は武蔵総社六所宮)で万延元年9月30日に献額しました。 また、この境内で文久元年8月27日に勇の天然理心流四代目襲名披露の野試合が行われました。 こ...

佐藤彦五郎の屋敷跡

大昌寺から東にやはり約250mほど行くと、そば屋「日野館」(東京都日野市日野本町2-15-9)があります。 ここが、佐藤彦五郎の屋敷跡で、天然理心流佐藤道場跡になります。   道場は大正15年に火災で焼失しましたが、長屋門の門扉は冠木門として現存しています。 建物自体は文久3年(近藤・土方上洛後)の棟上だそうです。 この建物のでのエピソードとしては、 正面中央の玄関敷台では、甲陽鎮撫隊進軍時の休息中に病をおし...

佐藤家菩提寺-大昌寺

宝泉寺の東、約250mほどの所に、大昌寺(東京都日野市日野本町2-12-13)があります。 ここは、土方歳三の姉のぶと、その夫の日野宿名主佐藤彦五郎のお墓があります。 佐藤家の菩提寺になります。 彦五郎は土方歳三とは“いとこ”同士にあたり、彦五郎の母、まさは歳三の叔母になります。 佐藤彦五郎は、近藤勇らが新選組を作った後も、物心両面で支援をしました。 甲陽鎮撫隊の勝沼戦では、春日隊を作り参加しま...

井上源三郎生家

宝泉寺から直線距離で約300mもあるでしょうか、少し歩いた所に井上源三郎生家(東京都日野市日野本町4丁目11)がありました。   文久3年に上洛するまで、兄の松五郎ら家族と過ごした場所です。 井上兄弟は、土間や庭で剣術の稽古をしたそうです。 井上家の祖は戦国の頃にこの地に来たと伝えられています。 現在も子孫の方が住んでおられます。 新選組大事典より 宝泉寺からすぐでした。 史料本で見たのと同じ、蔵の外壁の「○...

井上源三郎の墓-宝泉寺

JR中央本線日野駅のすぐ近くに、井上源三郎のお墓のある宝泉寺(東京都日野市日野本町3-6-9)があります。 元徳年間に開創された時は、日野市字姥久保にあったそうですが、天正末期に火災にあい、現在の地に移転されたと伝わっているそうです。 境内は約1,200坪あります。 境内には井上源三郎の墓と、昭和46年に建てられた記念碑があります。   このお寺にお墓のある、井上源三郎は八王子千人同心井上藤左衛門の三男として...

近藤道場撥雲館

近藤勇生家跡の道を挟んだ向かい側に、近藤道場撥雲館(東京都調布市野水)があります。   勇の実父宮川久次郎が始めた天然理心流道場です。 当時はここも宮川家の敷地内でした。 近藤周助も出稽古に来ると撥雲館にも立ち寄りました。 近藤勇の一人娘瓊子と結婚して天然理心流五代目を継いだ近藤勇五郎が引き継ぎました。 撥雲館の命名は旧幕臣山岡鉄舟によると言われています。 近藤勇生家を見ていて、振り向くと「近藤道場撥雲...

近藤勇生家跡

龍源寺から200mほど離れた調布市に、近藤勇生家跡(東京都調布市野水1-6)があります。   昭和18年に、調布飛行場建設の為に、軍部の命により屋敷は解体されたそうです。 なので今は、草木が生い茂り、“産湯の井戸”が残っているだけでした。 残念でなりません。   産湯の井戸 訪れた時が、快晴で爽やかな天気だったからでしょうか、とても清々しい場所という印象が残っています。 京都で恐れられた「近藤勇」...

近藤勇の墓-龍源寺

函館や会津周辺を廻ってきましたが、新選組でいえば「土方歳三」が中心の史跡でした。 近藤勇や沖田総司、また他の新選組隊士に近い史跡も巡りたいと思います。 東京都三鷹市にある龍源寺(東京都三鷹市大沢6丁目3-11)です。 新選組局長近藤勇のお墓があります。 会津でも、土方歳三が建てたといわれる、近藤勇のお墓をみましたが、この龍源寺のお墓が一番感慨深かったです。 故郷の菩提寺に、親族と眠っているからでしょうか...

男体山&草津温泉

東照宮からいろは坂に入りました。 少しドキドキです。 ちょうどいろは坂の凶暴な猿がクローズアップされていたので、その猿が襲ってきたらどうしようかと一人で緊張していました。 1匹だけ見かけましたが、全く大丈夫でした。 途中の明智平から男体山(栃木県日光市)を見ました。 円錐状成層火山。標高2,484m。 中腹に中宮祠、山麓に中禅寺湖、山上に二荒山神社奥宮があります。 男体山という山名は、東北側の山続きの女峰山と...

日光東照宮

いよいよ日光東照宮(栃木県日光市山内)です。   戊辰戦争との関係では、宇都宮城の戦いに敗れた旧幕軍は日光に陣を移し、東照宮を拠点としました。 会津戊辰戦争写真集より また、戊辰戦争で官軍に降伏した会津藩主・松平容保は領内滝沢村の妙国寺に拘禁され、領地を没収されました。のち東京に移され、下北半島に斗南藩を置くことを許されました。 明治5年に謹慎を解かれ、東照宮宮司となりました。明治20年没 幕末維新人名...

中禅寺湖・華厳の滝

東照宮(幕末関連の史跡として)に行く予定でしたが、湯野上温泉や塔のへつりでゆっくりしたので、今からだとゆっくりと見ることができません。 東照宮を翌日にして、華厳の滝(栃木県日光市中宮祠)を見に行きました。 溶岩流の断崖にかかり、高さ約97m、幅約7mです。 中禅寺湖から流れでて、その末は大谷川となります。 霧降滝・裏見滝とともに日光三名瀑の一つです。 確かに水量も豊富で、“豪華”な滝でした。 地...

湯野上温泉&塔のへつり

翌日、会津若松に別れを告げて、次の地へと向かいました。 日光東照宮に行く予定です。途中、いくつかの場所に立ち寄っていきます。 福島県の湯野上温泉(福島県南会津郡下郷町湯野上)に…。 大川(阿賀川)沿いの、混浴岩露天風呂です。 脱衣所も何もありません。 私はさすがに入る勇気はありませんでした。 ナイスバディーなら入ったかも…(笑)   温泉から少し離れて、自然を満喫して時間を過ごしました。 次に...

果報は寝て待て-壱

今回訪れることが出来なかった場所です。 機会を作って、是非行ってみたいです。そしてこの写真と同じ風景を、実際に見てみたいと思います。 JR会津若松駅前の白虎隊の銅像 会津藩校日新館(福島県河東町南高野高塚山10)   会津武家屋敷(福島県会津若松市東山町石山院内1) 会津藩家老西郷邸を中心に、武家の暮らしを再現した建物が並びます。 佐々木只三郎の旧墓碑 京都見廻組を率いて戦った佐々木只三郎は会津藩士・手代木...

果報は寝て待て-陸・郡山市&下郷町など

いよいよ最後です。 【郡山市】 橋本次郎七の顕彰碑 福島県郡山市熱海町石筵原田 観音寺                新政府軍の挑発をうけ、母成峠の道案内をした猟師。 銚子ヶ滝 福島県郡山市熱海町石筵         新選組をはじめとする旧幕軍と二本松藩兵が布陣していました。         間道より進軍した敵兵に背面攻撃を受けて敗走しました。 新選組来訪の地・福良御用場 福島県郡山市湖南町福良字中町51...

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新選組と幕末だらけの本棚
実は二重になっているので、
後ろにも本棚が…。

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