新選組&幕末 ばんざい!!

新選組を中心に歴史の舞台を巡ります

アーカイブモード [2008年04月 ] 記事一覧

白虎隊の墓

白虎隊の墓(福島県会津若松市一箕八幡弁天下)です。   飯盛山で自刃した16名、その後を追った石川虎之助、不動滝上で遺体が見つかった3名が、飯盛山で自刃したといわれる20名だそうです。 会津戊辰戦争写真集より 白虎隊のお墓の前は、人だかりが出来ていました。 観光バスで訪れた団体さんや、修学旅行生も多いようです。 あまりの人の多さで、ここではゆっくりする事はできませんでした。 白虎隊士の人達も大変です。...

白虎隊士自刃の地

お城が見えるのか、自分の目で確かめたので、白虎隊に思いを馳せたいと思います。 白虎隊士自刃の地(福島県会津若松市一箕町八幡弁天下)には、若松城を望む白虎隊士の像がありました。   白虎隊士は協議の上、お城と運命をともにする事に決し、集団自刃を遂げました。 遅れて飯盛山にたどり着いた石山虎之助も、あとを追って自刃しました。 会津戊辰戦争写真集より 歴史に“もし”は禁句ですが、もしほんの少し何か...

飯盛山より若松城を望む

飯盛山の白虎隊自刃の地に着きました。 白虎隊が見た風景はまさにこんな感じです。 同じ風景を見ています。 今でもちゃんとみることが出来るのですね。 幕末ファンにすると、こんなに嬉しい事はないです。私だけ? 遥か向こうに、若松城が小さく見えます。 赤白ポールの向こうです。 (若松城から見たときも、赤白ポールの向こうにここ飯盛山がちゃんと見えていました。) 天候や時間等、それ以上に今は建物も増え、空気も澄んでい...

さざえ堂-旧正宗寺三匝堂

さざえ堂-旧正宗寺三匝堂(会津若松市一箕町飯盛山) 戸ノ口堰から白虎隊士の墓地に行く途中にあります。 戊辰戦争当時もここにあり、明治23年には観音像のあった場所に白虎隊十九士の霊像が安置され、 白虎隊とは少なからず関係があるので、息抜きをかねて紹介します。 会津さざえ堂は、福島県会津若松市の飯盛山に1796年に建立された、高さ16.5メートル、六角三層のお堂です。正式名称は「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)と...

戸ノ口堰の洞門出口

天寧寺から歩いて、飯盛山の白虎隊自刃の地の麓まで来ました。 この階段を登るのかとみると、隣には有料のエスカレーターがありました。 もちろん私は、階段を登ります。 途中にある戸ノ口堰の洞門出口(会津若松市一箕町八幡弁天下)を見なくていけません。   戸ノ口原の戦いで敗れ、若松方面に逃れた白虎二番士中組は、戸ノ口堰の洞門を潜り飯盛山に出ました。 篠田儀三郎   西川勝太郎   津川喜代美   安達藤三郎 野...

天寧寺-近藤勇墓

ハイカラバスというバスが走っているのですが、1時間に1本しかなく、ちょうど阿弥陀寺滞在時間を短くすると、予定とは逆ですがすぐに来るので、それに乗り東山温泉の手前まで行ける事がわかりました。 本当は会津武家屋敷の方に行き、松平家御廟を訪れる予定でした。 しかしバスの予定で、天寧寺・近藤勇の墓(福島県会津若松市東山町大字石山慶山)に行く事にしました。 もちろん天寧寺は絶対に行く予定でした!新選組、近藤勇...

阿弥陀寺・斉藤一夫妻の墓-弐

鶴ヶ城の近くからバスに乗り、阿弥陀寺へと向かいました。 七日町駅前のバス停からすぐのところに、阿弥陀寺 斉藤一と藤田時尾の墓(福島県会津若松市七日町4-20)があります。   境内に入るとすぐわかりました。 斉藤一といえば、謎の多い人物です。 会津藩のスパイ説も聞いた事があります。新選組に入隊した時期にも諸説あったりします。 それでも最後は会津まで一緒に戦っているので、幕府側の人間だったのでしょう。 そし...

阿弥陀寺・斉藤一夫妻の墓-壱

【斉藤一】  母成峠の敗走後、更に戦う土方に異を唱えて分離し、会津残留を決めました。  会津落城後、藩士たちとともに斗南に移住しました。明治4年に東京に出ました。  藩主松平容保の上仲人、佐川官兵衛、山川浩らの下仲人で、会津藩大目付故高木小十郎の娘・時尾と結婚、藩主の松平容保から藤田姓を賜り、藤田五郎を名乗りました。  明治10年2月、警視局に就職、5月、西南の役に出征、勲章を受けました。  警視局を退...

内藤邸跡

西郷邸の道路を挟んで向かいに会津藩家老内藤邸跡(会津若松市追手町)があります。 現在の裁判所の場所になります。 屋敷跡に庭園が残っています。白露庭と呼ばれているようです。 遠州流庭園だそうです。 戊辰戦争の降伏式がこの庭園で行われたそうです。 実はこの場所は、ノーチェックでした。 西郷邸跡を見て、振り向いたら碑があったのでとりあえず写真を撮ったのです。 “家老内藤”…すみません、勉強不足...

西郷頼母邸跡

お城の前に西郷頼母邸跡(会津若松市追手町)があります。   北出丸の前にあった西郷頼母邸では、薩摩藩士・川島信行が邸内に足を踏み入れたところ、すでに一族21名が自刃していました。 ただひとり16歳の三女・細布子は死に切れずにいました。 川島に敵か味方かを問い、味方との答えに安心して、介錯をうけました。  会津戊辰戦争写真集より この話を聞くと、1986年日本テレビで年末時代劇として12月30・31日に放送された「白...

会津若松城-鶴ヶ城

十六橋から会津若松市内に入りました。 市内は公共交通機関を使った方が便利ですから、バスを使って回ります。 最初に訪れたのはやはり、会津若松城・鶴ヶ城(福島県会津若松市追手町1-1 )です。 会津戦争の象徴的な物です。 飯盛山の白虎隊の「お城が燃えている」はあまりに有名です。 江戸から甲州に向かった斉藤一(山口次郎)や、流山、下館、宇都宮と転戦してきた土方歳三や新選組は、会津支援のために若松城に入城し、松...

十六橋

母成峠から会津若松市内に向かう途中に、十六橋(福島県耶麻郡猪苗代町/会津若松市)があり、もちろん寄って行きます。               猪苗代側からと、会津若松側から   8月22日に母成峠の戦いに敗れ、猪苗代を放棄した会津藩兵は十六橋を渡って若松城下に退きました。敗報を受けた若松城では、十六橋を破壊して新政府軍を阻止するために奇勝隊を派遣し、佐川官兵衛も兵を率いて強清水に出陣しました。 22日夕...

母成峠-弐

母成峠 福島県猪苗代町蚕養ホナリ 母成峠には(大げさにいえば)一生行けないと思っていました。 「女性が歩いて、ひとりで行くのは危険」 と聞いていました。 私は車の免許が無いので、行くとしたら歩いて山登りしか手段がない!という状況でした。 「もし行くのなら、タクシーに頼んで行ってもらいなさい」 といわれていました。 しかし、タクシーで峠越えをしたら、いったいいくら掛かるのか?! それに好きなだけ、頂上で史跡...

母成峠-壱

母成峠 福島県耶麻郡猪苗代町母成 母成峠の戦いについて、新選組史跡事典と新選組大事典より勉強しました。  新政府軍は若松侵攻のため二本松・本宮に3000の兵を終結させ、中山口に400の陽動部隊を進め、残る2600の兵で母成峠を攻略する事に決めました。   母成峠の陣は、石筵の北方2㎞の萩岡に第一台場、さらに北方3.5㎞の地点に中軍山とその両翼に広がる第二台場、ふたつの台場のほぼ中間にあたる八幡山に第二台場の前...

草鞋を脱いで

このまま京都の史跡を巡るか、江戸に行くか、会津もいいかな?と悩んだのですが、会津に決めようかと思います。 前回が黒谷金戒光明寺だったので、会津藩つながりという事です。 京都に行ったり、大坂に行ったり、江戸や会津に行ったりと、決めずに気ままに行くことにします。 会津は1度行ってみたい場所でした。 しかし関西からは交通手段の難しい場所でもあったのです。 特に行きたいと思う場所は、車がないといけないと聞いて...

会津藩本陣・金戒光明寺 清和殿

黒谷浄土宗の本山、金戒光明寺(京都市左京区黒谷町)は会津藩本陣になった場所です。 文久2年12月24日、会津藩主松平容保は、入洛し金戒光明寺の庫裡を宿陣にしました。 以後5年間、京都守護職として務めましたが、終始ここが会津藩の本陣でした。 庫裡は昭和4年に内部が改造され、清和殿として、信徒の集会や宿泊に利用されています。 写真でみる維新の京都より 金戒光明寺の山内は広いです。 JR京都駅や私鉄の駅から少し離...

黒谷・西雲院-会津小鉄墓

会津の小鉄 1845-1885 法然上人が紫雲光明を見たという紫雲石のある西雲院は黒谷山内塔頭の一つです。 京都北白川に勢力を張っていた侠客。 本名を上坂仙吉といい、会津の出身とも大坂に生まれたともいいます。 15歳の頃、人と争い追われて会津屋敷の中間部屋に逃げ込み、会津屋敷に出入りしていた侠客大沢清八に引取られて成長しました。 文久2年、松平容保が京都守護職に任命されて以後、その下にあって尽力する事が多かった...

黒谷墓地-近江屋(井口)新助

近江屋(井口)新助(いぐちしんすけ) 1837-1910 新選組よりファンが多い坂本龍馬ファンの方ならご存知でしょう!   土佐藩御用達の醤油商。 彼の家(近江屋)の二階で、坂本龍馬と中岡慎太郎らが暗殺されました。 その後も新助は勤王に勤めました。 明治43年に没。従五位を贈られました。    写真でみる維新の京都より 高倉永祜のお墓に行く時と同じで、文殊塔の少し手前で南(右)に曲がります。 今度はすぐに曲が...

黒谷墓地-高倉永祜

高倉永祜(たかくらながさち) 1838-1868 公卿。 高倉家三十四代、八一二石永胤の子。 安政2年家督を継ぎ、侍従に任官しました。 慶応2年従三位。 明治元年、北陸道鎮撫総督に任ぜられました。 北陸から越後へ回り、中山道を経て江戸浅草東本願寺に着陣しました。 ついで北陸道鎮撫総督兼会津征討総督の名で東北征討戦に参加、海路北海を回って、越後高田に付き、ここで奥羽征討越後口総督となりました。 高田を本拠地に...

黒谷墓地-今井太郎右衛門

今井太郎右衛門(いまいたろうえもん) 1824-1877 今井似幽・大黒屋とも。 長州藩尊攘派。 国学者似閑の後裔であるため似幽と号しました。 代々長州藩の半座用達を勤めて京都に住みましたが、吉田松陰から強い影響をうけていました。 安政・文久年間、諸藩の志士に自邸を密会場所として提供していました。 桂小五郎を支援していました。 元治元年禁門の変には兵站を受け持ちましたが、家は類焼し丹波に逃れました。 維新以後は志...

黒谷墓地-山崎闇斎

山崎闇斎(やまざきあんさい) 1618-1682 京都の人。 江戸初期の儒者。垂加神道を興し、勤王論の学統の祖となりました。 写真でみる維新の京都より 1665年、会津藩主保科正之の賓師に迎えられ、藩政への助言者として活躍しました。。領内の寺院・神社の整理をおこない、神仏習合を排除しました。 彼の提唱した朱子学を、崎門学または闇斎学といいます。従来の神道と儒学を統合して、垂加神道を開きました。水戸学・国学などとと...

黒谷墓地-赤松小三郎

赤松小三郎(あかまつこさぶろう) 1831-1867 洋式兵学者。 信州上田藩士芦田勘兵衛の二男。のち赤松家を継ぎました。 藩校明倫堂に学んだが、江戸に出て、 内田弥太郎、佐久間象山らに蘭学、西洋砲術を学び、勝海舟に学びました。 海舟が長崎の海軍伝習所に赴任するとき従者として随い、伝習所でさらに西洋兵学と軍事技術を学びました。 帰藩して藩の助教・操練長を兼ね、またイギリス式歩兵制を進言しましたが、採用されません...

黒谷墓地-北垣国道

北垣国道(きたがきくにみち) 1836-1916 但馬の志士。養父郡能座村(兵庫県)の豪農の家に生まれました。 農兵を組織して日本海の海防に備えるなど、急進的な尊攘論を持っていました。 同郷の富農中島太郎兵衛、僧侶本多素行らと計画をすすめ、文久3年には上京して山岡鉄舟、清河八郎らに相談しました。 さらに幕府から農兵募集の許可を得るために、真木和泉、久坂玄瑞に会って朝廷に働きかけたが、果たせませんでした。 だが...

黒谷墓地-千種有功・千種有文 父子

黒谷墓地に眠る、幕末・維新関係者を紹介します。 千種有文(ちぐさありぶみ) 1815-1869 公武合体派と目され尊攘派志士から奸臣として弾劾された公卿です。 文久元年、中山忠能や岩倉具視とともに和宮を供奉して江戸へ下りました。 尊攘派志士からは久我建通、岩倉具視、今城重子、堀河紀子らと三奸二嬪とされて身辺をつけねらわれました。 文久2年、三条実美、姉小路公知、豊岡随資、長谷信篤ら13名の公卿から、久我、岩倉、...

壬生寺墓地 及び 壬生村共同墓地

壬生寺には壬生塚とよばれる一角があります。 近藤勇の胸像や、芹沢鴨や平山五郎、河合耆三郎らのお墓があります。   これらは当初壬生村共同墓地(京都市中京区千本通仏光寺東入ル南側)にありました。   壬生村共同墓地は壬生寺南門の道を隔てた斜め向かいです。 芹沢鴨と平山五郎の墓碑は老朽化の為に建て替えられ、今は二代目の墓石になります。 芹沢と平山は頭を合わせるように葬られたそうです。 八木家の墓所でもあり、...

島原住吉神社

西の出口の北に島原住吉神社(京都市下京区西新屋敷下之町)があります。 「(前略)縁遠き女この社に祈願をかくれば、良縁立ちどころになる(攻略)」と、おびただしい人が訪れ、当時は祭事がとり行われたそうです。 これは明治維新時に廃され、明治19年にふたたび道筋の西の突き当たりに仮祠ができ、明治37年夏に、新しくもとの場所に社殿が建立されました。 この住吉神社の境内に祀られている幸天神で、正月14、15日の両日に&ld...

輪違屋

大門を入ってすぐにあるのが輪違屋(京都市下京区西新屋敷中之町)です。 中之町の通りには昔は妓楼が両側に軒を並べていたそうです。 輪違屋は“置屋”(芸妓を抱えて置き、揚屋(角屋など)に派遣する店)です。 輪違屋は入り組んだ階段など、独特の構造があるそうです。 輪違屋には近藤勇の筆になる屏風が一双所蔵されています。    新選組史跡事典より輪違屋は角屋よりは小さな建物ですが、当時を偲ばせてくれる...

黒谷・会津藩墓地

前回に引き続き、桜の季節に美しかった場所にしました。 黒谷の会津藩墓地(京都市左京区黒谷町121・金戒光明寺内)です。 <黒谷金戒光明寺については後ほどにさせて頂きます。>   文久2年に京都守護職を拝命して入洛した会津藩主松平容保は、黒谷金戒光明寺に本陣を構えました。 以後、慶応4年の戊辰戦争、鳥羽・伏見の戦いまで多くの会津藩士が上京しました。 禁門の変などで亡くなった藩士の墓所となったのがこの地で...

醍醐寺

ちょうど桜が満開の季節なので、秀吉の醍醐の花見で有名な醍醐寺(京都市伏見区醍醐伽藍町)です。   禁門の変で敗走し、興正寺門主にたすけられ、醍醐三宝院に身を隠したのが、長州藩金剛隊士、松渓・千代松・大心・円暁・皆従・恵定ら6名です。 しかしすぐに、探索に来た新選組に捕えられ、六角牢に入れられました。 写真で見る維新の京都より 今回は醍醐寺の写真よりも、桜の写真がメインです。 この桜、醍醐寺の桜ではあり...

角屋

角屋(京都市下京区島原西新屋敷揚屋町)へは、大門から西へ150mほど行った左側にあります。 重要文化財に指定されており、「角屋もてなしの文化美術館」として一般公開もされています。(予約制)   新選組の角屋での話題といえば、 ・芹沢鴨が大暴れし、角屋を営業処分にした。 ・角屋の会合でしこたま飲まされ、泥酔したところを八木家で殺害された。 などが有名です。 玄関口前の柱の傷に「新選組の刀痕」と案内板があるそ...

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Author:kamaboko
新選組と幕末だらけの本棚
実は二重になっているので、
後ろにも本棚が…。

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