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ブルーベリー狩り

2015年04月12日
鬼女台を出発して、目的地の奥大山ブルーベリーファーム(鳥取県日野郡江府町御机字笠良原739-43)に向かいました。
途中に“サントリー天然水”の工場の横を通りました。
あの“奥大山”バージョンの工場なんですね。
500mlの天然水、近畿では奥大山なんですよ。
でも、なんとなくサントリーの天然水というと、「南アルプス」のイメージです。
ちなみにハウスといえば「六甲」
近すぎて、六甲の水がおいしいなんて思いもしませんが、西宮や神戸灘は日本酒が有名なくらい水がおいしいんですよね。

サントリー天然水工場を通りすぎるとすぐに、ブルーベリーファームがありました。

ブルーベリー狩り

前日はずっと雨、当日も雨の止み間に運よく到着出来た感じで、お客さんがほとんどいません。
もちろん下は土ですから、グジュグジュです。
カートでブルベリー狩りの区域に連れて行ってもらいました。

当日は2種類のブルーベリーがありました。
一列ずつ交互に違う種類が植えてありました。
1パック600円で詰め放題、その合間に食べ放題。

ブルーベリーの木は初めてみました。
たくさん身がなっていますが、お腹一杯食べられるって感じでもなく、でも普段食べないくらいはたべました。
もう少し天気がよければな~。
今回の旅行は、これに尽きます。

1時間ぐらいブルーベリー畑にいたでしょうか。
ブルーベリーを堪能しました。









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JR鳥取駅 幕末の鳥取藩

2013年09月13日
JR鳥取駅です。

鳥取駅

鳥取藩
外様
32万5千石

藩主池田慶徳は水戸の徳川斉昭の第五子。
文久2年に上京し、公武間の斡旋につとめた。
藩内には尊攘を唱える改革派と守旧派との激しい対立があった。
翌年8月、京都留守居の河田左久馬を隊長とする尊攘派が、藩主の側用人黒部権之助らを血祭りに挙げた。
藩内抗争は鳥羽・伏見の前まで続けられたが、河田らは長州へ走り、河田自身は東山道征討総督の参謀として活躍しています。
しかし、鳥取藩は禁門の変で長州藩と敵対し、第一次征長には大西儀左衛門のひきいる600人を浜田へ派遣、第二次征長にも出雲今市へ出動する。
このため、藩主慶徳はのちの新政府で要職に就けなかったいわれる。
鳥羽・伏見の戦いに際しては、家老荒尾成章の決断によって政府軍につき、藩内勤王派が力を盛り返した。
東海道鎮撫使は、先鋒の前隊として岡山、佐土原、大村、水口、膳所諸藩の767人を擁し、熊本藩283人を本体とした。
その後隊をつとめたのが鳥取藩兵410人である。
その後、江戸、奥羽、北越へ転戦した。
一方、接収後の桑名城の監守をつって、とめている。
戊辰戦争での活躍によって、鳥取藩兵は賞典を受けている。
幕末維新事典より


鳥取駅には乗り換えでしか行けなかったので、鳥取城址まで足を延ばせませんでした。
鳥取駅と岩井温泉や鳥取砂丘のあるあたりは全然違いますね。
行きは鳥取駅から山陰本線に乗って、岩美まで行きましたが、すぐに街並みから田舎の風景に変わりました。
ギャップが凄い!

鳥取駅前を見て、姫路駅前に似てる?
と思いました。
大阪や神戸ではないんです。
もう少し地方都市なんですよね。

鳥取といえば、龍馬の北辰一刀流の千葉重太郎が鳥取藩の仕事をしていましたよね。
フッと思い出しました。
千葉重太郎に縁の深い鳥取と思えば、これは幕末に大いに関係があるではないですか。
本当に思わぬところで幕末(龍馬関係)に結びついたものです。

近くて遠い鳥取なんですよね。

今度は是非、涼しい鳥取砂丘に行ってみたい&史跡巡りもしてみたいです。






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制札場跡

2013年09月08日
制札場跡(鳥取県岩美郡岩美町岩井)がありました。

御制札場跡 

高札とは、古代から明治時代初期にかけて行われた法令(一般法、基本法)を板面に記して往来などに掲示して民衆に周知させる方法です。
なお、特定の相手や事柄を対象として制定された法令(特別法)を記した同様の掲示を制札(せいさつ)と呼ぶが、その実際の運用上は厳密に区別されていたとは言い難かったようである。
Wikipediaより


明石屋さんの前、ゆかむり温泉の横にありました。
御湯神社の祠の前に、制札場跡の碑がありました。が、御湯神社は少し離れた場所にあるようなので、分祀されているのかもしれないですね。

宿泊後、鳥取砂丘に行く為のバスを待っている時に気付きました。
みなが集まるゆかむり温泉の所にあれば、多くの人が目を留めますものね。









鳥取砂丘でラクダに乗ろう!

2013年09月06日
鳥取砂丘でラクダに乗れることは有名ですが、私も乗ってきました。
旅行の前に「ラクダに乗れるよ」と教えると、子供はもう乗る気満々。
「ラクダ」「ラクダ」と言っていました。

正直、本物のラクダを目の前にしたら怖がるだろうな~と思っていました。
でも一瞬固まった?と思ったものの、すんなりとまたがりました。

ラクダに乗って数分歩くというのもあったのですが、今回は乗って写真を撮るだけのコースにしました。

このラクダさん、名前を「カナエ」といいます。
一緒にこの旅行を楽しんでいる姪(子供の従姉)も「かなえ」という名前で、あまりの偶然に二人で笑ってしまいました。
人間のかなえちゃんは、ラクダに乗るのは嫌と、砂の美術館に行っていたのでいなかったのが残念。

さてラクダのカナエちゃんは、ピクリとも動きません。
写真撮影専門のラクダで、一番お年のようですが、この暑さの中大変でしょうね。
前のグループの撮影時、一度足を少し動かしたけれど、私たちの時はピクリともせず。
本当に頑張ってます。

ラクダの背は意外と高くて、固かったです。
動物特有のにおいはありましたが、気になるほどでもなく、たくさん写真を撮ってもらって第一目的は完了しました。

小さな子供でも、怖がりさえしなければ大丈夫ではないでしょうか?というのが私の印象です。
ダメな場合は、お店の方が言ってくれるでしょう。

楽しくて、この旅行で一番印象に残りました。

ラクダ
写真は、遠くから撮ったラクダの風景です。
乗っているのは私ではありません。
写真の向かって左端に少し写っているのが「カナエちゃん」のはずです。


らくだや”さん
9:00~16:00  冬季(12月~2月末) 9:30~15:30

らくだの横に並んで撮影  1人 100円
らくだにまたがって撮影  1人 500円
(お手持ちのカメラで)   

遊覧(1人乗り)※大人・子供共通料金 1,800円
遊覧(2人乗り)※大人・子供共通料金 3,000円
※らくだの遊覧の方は撮影は自由

※雨天、強風、雪などの悪天候の場合は休止いたします。
急な休止の場合がありますので、詳しくは売店へお問合せ下さい。
※盆、ゴールデンウィークの遊覧はお子様優先とさせていただく場合があります。
※小さなお子様でも怖がらなければ一人でもお乗りいただけます。(1人で座れるお子さん)








鳥取砂丘

2013年09月05日
今回の旅行の目的地鳥取砂丘(鳥取県鳥取市福部町湯山)に行きました。

鳥取砂丘3

鳥取砂丘2  鳥取砂丘1

鳥取砂丘は、鳥取県鳥取市の日本海海岸に広がる広大な砂礫地で、代表的な海岸砂丘。
日本三大砂丘の1つです。
山陰海岸国立公園の特別保護地区に指定されており、南北2.4㎞、東西16㎞に広がる日本最大の観光砂丘です。
(内陸にある砂丘を含めると青森県の猿ヶ森砂丘が最大になる)
昭和30年、国の天然記念物に指定されました。

中国山地の花崗岩質の岩石が風化し、千代川によって日本海へ流されたあと、海岸に集まったものが砂丘の主な砂となっています。
海中の砂を海岸に向けて流れ寄せる潮流と、海岸線に堆積した砂を内陸へ吹き込む卓越風の働きで形成されています。

砂丘は千代川の東西に広がっていますが、通常「鳥取砂丘」というと、千代川の東側の545haの「浜坂砂丘」を指します。
砂丘によって海から切り離されて出来た湖である多鯰ヶ池がすぐ南東にあります。

最大高低差は90mにもなり、すり鉢に似た形に大きく窪んだ「すりばち」と呼ばれる地形も有名で、特に大きなすりばち(「大すりばち」などと呼ばれる)は40mの高さにもなります。
すりばちの斜面にあり、流れるように砂が崩れ落ちた形が簾を連想させる「砂簾」といった模様や、風速5~6m程度の風によって形作られる「風紋」と呼ばれる筋状の模様も有名です。

鳥取砂丘には、3本の砂丘列が日本海とほぼ平行に走っています。
鳥取砂丘が天然記念物に指定される前までは、陸側の砂丘列から数えて、第一、第二、第三砂丘列と呼称していました。
現在では逆に海側から、第一、第二、第三としています。
これには、砂移動の減少が原因で陸側の砂丘列が消滅してしまった場合でも呼称に都合が良いよう、という理由があります。

平成23年6月23日、砂丘の西側で植物の観察に訪れていた市内の住民が人の腕のようなものを見つけ、同年6月30日、砂丘を管理する鳥取県砂丘事務所を通じて警察に通報しました。
警察が現場付近を捜索したところ、深さ30cmから40cmの砂の中から4体の人骨が頭を西に向け縦1列に並べられた状態で発見されました。
発見現場は観光客が訪れる場所より西側におよそ1.5㎞離れており、ふだんは人があまり訪れない所。

発見された人骨は鳥取大学医学部で鑑定され、同年8月2日、鳥取県警は江戸時代後期から明治時代初期に埋葬された30代から40代の男女3体、20代~50代の男性1体と見られる計4体の人骨であると鑑定結果を発表しました。
死亡原因は不明。
事件性はなく、埋葬された理由も不明。
海難事故で埋葬された遺体と推定されることが鳥取県警により公表されました。

砂丘に埋葬された理由について、地元では明治時代初期と大正時代にコレラの流行を記録した文献が残っており、死亡したコレラ患者を伝染病予防のため砂丘に埋葬したと推定することもできます。
また頭を西に向けた理由については、西の方角に仏教の浄土があるという思想が関係しているのではないかと推測されます。
Wikipediaより



「暑い!」「暑い!!」「暑い!!!」
35度超えの日に鳥取砂丘はきつ過ぎです。
焼けつくような太陽に、砂はフライパンの上の様に熱せられていて、どうしていいのかわからないような暑さでした。

長靴の貸し出しを知らなかったので、サンダルで砂丘を歩いたので砂が入るたびに走りまわりました。
幸い、子供は靴下に靴だったので、やけどしそうな熱さはありませんでした。

広い!
と感動する前に、暑い&熱いしか出てきません。
頂上(?)を目指した途中で、子供の熱中症を心配して「引き返そう」と言ったのですが、「行く!」と泣いていうので抱っこしていこうとしたら、私の方が気分が悪くなって「危ない!」になってしまいました。
幸い大丈夫でしたが、本当にどうしようかと思いました。
当の子供は一番元気に登頂し下山して、その後も走り回っていました。

春か秋かに行くのがいいですね。

でも本当に砂、砂、砂でしたが、ちょっと横を向くと草が生えている一帯があったりと、意外と狭いなと思いました。
それでも海はきれいだし、快晴だったので(写真参照してください)空と海との境が分らないぐらい真っ青でした。
確かに大自然。
天然記念物ですよ。

ここに落書きする人がいるなんて…。
といっても、風ですぐに消えないのかな?
ゴミを捨てる人がいなかったのが凄くよかったです。
もしかしたら地元の方が毎日綺麗に掃除されているのかもしれませんが、ゴミは見る事が無かったです。

今度は真逆の冬に行って、雪の砂丘を見るのもいいかもしれないですね。







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