怪物 スイトン

2015年04月13日
蒜山にはあちこちに、トーテムポールの“スイトン”がありました。

神様
道の駅『醍醐の里』のスイトン

蒜山には古くから『粋呑(スイトン)』という怪物がすんでいた。
「スイトン」は人間が考えたり思ったりしていることがみんな分かるのである。
だから、もし悪いことをたくらんだり、他人に迷惑をかけたりした者がいれば、どこからともなくスイーと現れ、トンと一本足で立った「スイトン」にたちまち引き裂かれ、食われてしまったという。
だから蒜山には悪人はいない。
昭和37年12月15日 串田孫一


初めて聞きました、スイトン。
怪物とは妖怪とは違うのかな?
すぐお隣の鳥取といえば“ゲゲゲの鬼太郎”の故郷ですから、この辺りも妖怪の宝庫なイメージです。
でもゲゲゲの鬼太郎にスイトンが出てきた記憶はないので、妖怪と怪物は別物なのかもしれませんね。

妖怪といばえ、今大人気の“妖怪ウォッチ”
もし、この妖怪ウォッチにスイトンをモデルにした妖怪でも出てきたら、スイトンもいきなり全国区かもしれません。
スイトンも忙しくなりますよ。
でも、スイトンは遥か昔から蒜山を護っているのだから、全国区の必要はないか。









鬼女台

2015年04月11日
蒜山高原から大山方面へ向かう途中に、鬼女台休憩所(岡山県真庭市蒜山下徳山1109)で休憩しました。

鬼女台1  鬼女台2

鬼女台3  鬼女台4

鳥取県と岡山県の県境に立つ絶景スポット。
北を見れば鳥取県の名峰・大山を軸にした烏ヶ山、象山、擬宝珠山などの山並みが広がり、振り向けば緑の高原地帯に描き出される蒜山の町並みを一望。
寒暖の差が増す秋の夜明けには、三座より立ち上る朝日と市街地を包む雲海とのコントラストも楽しめます。
岡山・蒜山観光協会HPより


観光協会のHPを見ると、あ~なんて綺麗な風景。
現実は…あ~、雨で雲が…。
何にも見えない(涙)

こういう絶景を見るべき場所が雨というのは、もう全然ダメダメですね。
雨でも風情のあるところはありますが、ここはやはり晴れていて雄大な風景を見ないと満足できません。
その分(?)、人はいなくて独り占めなんですけど。

鬼女台と書いて、“きめんだい”と読むそうです。
西側下の二つの丘が女性の胸部に見えたからとか。
何故“鬼”なんて付けたのでしょう?
女性は怖いというイメージを持つ人が付けたのでしょうか?
凄く面白いエピソードでもあるのかと思いました。





高原の葡萄液 5...

高原の葡萄液 5...
価格:840円(税込、送料別)



蒜山高原

2015年04月10日
蒜山高原(岡山県真庭市)に到着!

蒜山高原3  蒜山高原1
             蒜山ジャージランド

蒜山高原2

標高500mから600m程度の高原地帯であり、西日本を代表するリゾート地の一つです。
日本最大のジャージー牛の牧場なども存在する。
一帯は1936年2月1日に大山国立公園(現在の大山隠岐国立公園)に指定されている。

蒜山高原は約60万年前に火山活動を停止した蒜山三座(上蒜山、中蒜山、下蒜山)の中腹に位置します。
この地を流れている一級河川の旭川は、現在は岡山市を経て瀬戸内海に注いでいますが、大山噴火以前は日本海に向けて流れていて、現在の蒜山高原の南側が湖でした。
大変風光明媚な場所だが、かつては軍用地(昭和初期の陸軍の射爆演習場)でした。

天候がよければ、北北西の方角に中国地方一の標高を持つ名峰、大山を見ることが出来る。
Wikipediaより

蒜山高原に到着も、相変わらず雨です。
滝流しそうめんから止むことなく雨が降り続いています。

蒜山ジャージーランドでも、雨なので外を歩き回る事が出来なくて、休憩所から外を見て「広いな~」。
ここに“ラブリーちゃん”という、額にハートマークが入ったジャージー牛がいます。
見つけられると恋愛運がUP↑するとか…。
探してみたかったのですが、雨で無理でした。
ラブリーちゃん
↑これがラブリーちゃん

翌日、帰路に着く前にもう一度寄ってみたのですが、車を降りたら雷雨になってしまいました(涙)
そう、私は年季の入った雨女
こんな時に、力を発揮したくはなかったです。

今度は、晴れた時に来て、ラブリーちゃんを捜して、思いっきり高原を満喫したいです。











岡山城 剣豪奥村寅吉之碑

2015年01月28日
そういえば岡山城内を歩いていた時、剣豪奥村寅吉之碑なるものを見ました。

岡山城ー剣豪の碑

お手洗いの横に建っていて、お手洗いに行った人を待っていた時に見たのですが、正直にいうと何が書いてあるのかよめませんでした。
唯一読めて、意味がわかったのが“剣豪”とう言葉だけでした。
一緒にいた、甥・姪に聞いても「読めない」と言っていました。

でも“剣豪”ですよ、“剣豪”
沖田総司や斎藤一とか、あの人やあっちの人や、色々と思い出しました。
でも岡山で剣豪ってだれかな?
でも“剣豪”
写真を撮っておかないと後悔することになるかもしれません。

帰宅後さあ、調べようとしましたが、なかなか奥村寅吉に辿りつきませんでした。
そして奥村寅吉に辿りついたものの、奥村寅吉って誰?
幕末以前の人ではありませんでした。
私としては残念でした。


奥村寅吉
明治11年2月10日 - 昭和46年6月1日
日本の剣道家。
流派は直心影流剣術、奥村二刀流剣術。
称号は剣道範士。

奥村二刀流開祖奥村左近太の長男として生まれました。
父の幼名であった寅吉と名付けられます。
4歳から父より直心影流と奥村二刀流を学ぶ。
2年間は面打ちの稽古ばかりさせられたそうです。

明治33年、京都皇宮警察の警手に奉職。
京都皇宮警察の撃剣師範三橋鑑一郎(武蔵流)に師事し、後に武蔵流の免許皆伝を授かる。

明治36年、父より直心影流と奥村二刀流の免許皆伝を授けられ、皇宮警察の剣道師範と大日本武徳会本部の剣道教授を務めました。
大正6年5月27日、皇居吹上御苑での天覧武術大会に出場。
昭和3年2月、皇宮警察を退職し、岡山に帰郷。
大日本武徳会岡山支部並びに関西中学校の剣道教師を務めました。
昭和46年6月1日、死去。享年93。
Wikipediaより







山羽虎夫銅像

2015年01月24日
山羽虎夫とういう方の銅像が、岡山県立図書館の北側、岡山城の内堀脇にありました。

銅像1  銅像2

少し時間は戻りますが、岡山駅からのバスを降りて、お城に向かって歩いていると、お城の堀脇に銅像がありました。
岡山城に関係のある人?
と思い、ワクワクして近づいてみると、洋服を着てる!
流石に江戸時代の人ではないな~と、少しがっかり。
名前が“山羽虎夫”
誰?
聞いた事がない…。
一応、写真を撮って、帰宅後に調べてみよう!!
という事で撮った写真です。

山羽虎夫氏は、日本の国産自動車を初めて走らせた人だったんですね。
凄い!
車の免許を持っていないほどの、車音痴の私にはさっぱりわかりませんでしたが、車好きの人にはたまらない人なんではないでしょうか。
この方がいなければ、日本の自動車業界は今のように世界トップになっていなかったかも…ってことですよね。

こういうビックリする事を知るのも、旅の面白いところですね。

山羽虎夫
日本初の国産自動車を走らせた発明家
技術者であり、発明家。
中区門田屋敷に生まれ、横須賀海軍工廠の見習い工から明治期の先端企業を渡り歩いた後に、区内天瀬(現在の表町3丁目)で電気工場を経営していましたが、中区江並の資産家 森房造氏、楠健太郎氏の依頼を受け、イタリア人技師マンシンの協力なども得て、苦労の末に、明治37年蒸気式乗合自動車を完成させ、天瀬から江並までの約10kmを走らせることに成功しました。
ただ残念ながら、当時の日本のタイヤ技術の問題から、実用化には至りませんでした。
岡山市HP(参考資料 岡山博物図鑑)より 










 | HOME | Next »