会津藩&長州藩の握手 - 新聞記事

2010年10月21日
2010年10月21日 朝日新聞の記事です。

会津&長州572

握手をしていても怨念は消えないのですね。

※コメントを書く時間が無くて…(涙)

新山口駅

2009年08月18日
下関からの帰りは、新山口駅(山口県山口市小郡下郷1294)で乗り換えでした。
新幹線1
新下関駅から乗ってきた“こだま”です。

新幹線2
   九州新幹線ですね?

新幹線3
九州新幹線と山陽新幹線の2ショット

往路は朝早かったのですが、新大阪駅から新下関駅に乗り換えなしで行ける“レールスター”に乗りました。
帰路は、時間的に乗り換えなしが無理だったので、新山口駅で“レールスター”に乗り換えの新幹線にしました。

人道トンネルで体調を崩した甥は、この頃はもう座っていられず、ベンチで寝ていました。
乗り換えは大変でしたが、指定席を取ってあったので、座席の心配はせずに済んだのが幸いでした。
次の日には、動ける程度には回復していました。

旅行直前に夏風邪(ちゃんと診断済み。新型インフルエンザではありませんでした。)で、高熱を出したりして、絶好調でないところに、蒸し暑い中を走ったのが悪かったようです。
今度は九州新幹線に乗りたいです。



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巌流島

2009年08月17日
今回の旅行のメインが巌流島(山口県下関市大字彦島字船島648)です。
吉田松陰も上陸したそうです。

巌流島1  巌流島2
巌流島船着場から上陸すると、この説明板がお出迎えしてくれます。

巌流島碑1  巌流島碑2
巌流島文学碑・決闘の地木碑
船をイメージした碑には、画家・小舘充臣氏が書いた武蔵・小次郎の姿と、村上元三氏著“佐々木小次郎”の一説が刻まれています。
木碑には、「巌流島 武蔵小次郎決闘の地 慶長17年4月13日(1612年)下関市大字彦島字船島648 昭和61年3月吉日建之」と書かれています。



巌流島
      巌流島の緑

巌流島小船2  巌流島小船1
人工浜に置かれた小船 - 宮本武蔵が乗って来た?

決闘の地をイメージして作られた、90mの砂浜。

巌流島像1  巌流島像2
            宮本武蔵と佐々木小次郎像

三尺一寸(約103m)の太刀を持つ小次郎と、舟の櫂を削った木刀を振りかざし宙を舞う武蔵の姿の像です。

佐々木巌流之碑1  佐々木巌流之碑2
  佐々木巌流之碑

“巌流島”の名前は、敗れた小次郎の剣の流派の名にちなみます。
船島開削工事の完成記念に建立され、明治43年当時は、島の中央にありました。
佐々木小次郎の墓ではありません。


巌流島社
       巌流神社

巌流島より関門橋  巌流島よりタワー
  巌流島より関門橋を眺める   巌流島より海峡ゆめタワー方面を眺める

巌流島上陸認定証411
巌流島上陸認定証
関門汽船待合所で申し込めます。(1枚 100円)

正式な島の名前は船島という無人島です。
島の周囲、約1.6㎞
島の面積、約10.3万㎡ (島の約3分1を下関市、3分の2は民間企業が所有)

宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われたといわれていることで有名です。
当時は豊前小倉藩領の船島でしたが、佐々木小次郎が「厳流」(「岩流」とも)を名乗ったことから巌流島と呼ばれるようになりました。

昔はすぐ隣に岩礁があり、難所として恐れられていました。
豊臣秀吉も名護屋から帰阪途中にここで乗船が転覆し、毛利水軍によって助けられたと言われています。
このとき責任を取って船と運命を共にした艦長・明石与次兵衛の名を取り、江戸時代には『与次兵衛ヶ瀬』と呼ばれたといいます。

岩礁は大正年間、往来する船の増加と大型化に伴い爆破処理されました。
この部分も併せて三菱重工業によって埋め立てられ、現在の巌流島の一部となりました。
この埋め立てによって、もともと1万7000㎡程度であった島の面積は約6倍の10万㎡に広がりました。
第二次大戦後島に移住者があり、一時は30軒に達しましたが、再び減少し、1973年には無人島に戻りました。
近年は狸が生息しているといいます。
Wikipediaより


唐戸から船に乗って巌流島に渡りました。
約10分ほどです。
唐戸の船乗り場に停泊中はよく揺れました。
大丈夫?(転覆ではなく、船酔いの方の大丈夫?)でしたが、動き出すと割りとスムーズでした。

上陸すると本当に何もありません。
真っ平な島で、坂道もないです。
像のある丘ぐらいでした。
お店もありません、トイレはあるのでその点はあんしんですが、真夏は飲み物を忘れると大変です。

船着場から一番奥の方に歩いていくと、小高い丘の上に武蔵と小次郎の像がありました。
小次郎は間近で顔を見ない方が良かったかも。
遠くからみると、すごく巌流島に来た!と思ったのですが、近くでみると小次郎のイメージと違う!!と思ってしまいました。
その丘からさらに奥をみると、小船がちょこんとありました。
すぐに、あ~武蔵が乗ってきた小船をイメージしているのだとわかりました。
ただ、人工浜の波打ち際が砂利(小石)を敷き詰めたものだったので、これじゃあ上陸は無理じゃない?とちょっと興ざめでした。

巌流島からは、関門橋や下関市の町がよくみえました。

この島で武蔵と小次郎は本当に決闘したのですか?
今でも小島と思うのですが、これでも当時より6倍も面積が広くなっているというではないですか。
当時はどれだけ小さかったのか…。
逃げ回る事も無理なほど狭かったのですね。
意外な小ささに驚きました。

幕末の長州藩士の人たちは、巌流島の存在はちゃんと知っていたのですよね。
近くにあると意外と意識しないものですが、巌流島に渡った人はいるのでしょか?
高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、桂小五郎…渡ったという小説も読んだことがないですね。
幕末の志士で(長州藩以外も含む)、巌流島に渡った人には誰がいるのでしょう。
そして巌流島で何を思ったのでしょうか?

帰りに上陸認定証をお願いしました。
翌々日には家に届きました。
いい記念になりました。



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巌流島

関門国道人道トンネル

2009年08月16日
念願の関門国道人道トンネル(山口県下関市と福岡県北九州市)を歩きました。
関門トンネル409

県境1  県境2
トンネル内の県境です。
県境だけでなく、本州と九州との境でもあるわけです。
(デジカメが電池切れの為、携帯カメラで撮影)

関門トンネルスタンプ412
下関と門司でスタンプを押すと、1つのスタンプが完成です。

国道2号のトンネルで、車道と人道とに分かれています。

山口県下関市みもすそ川町から、福岡県北九州市門司区大字門司までの780mを繋ぎます。
通行時間が午前6時から午後10時までで、夜間は閉鎖されています。
歩行者、自転車、50㏄以下の原付用の幅4mのトンネル。
歩行者は無料です。
両端とも国道2号とは別路線に接続しているが、人道も国道2号です。
車道の下部に人道がある2層構造となっていて、地上とトンネルの間はエレベーターを利用します。
県境は海面下58mにある。

歩行者専用道路のため右側通行。
自転車、原付は乗車での通行は出来ません、自転車は下車、原付はエンジンを停止しキーをオフにして下車、ともに押し歩き。
トンネルの構造上最初の約300mは下り坂。
雨・日焼け対策が不要なジョギング・ウォーキングコースとして地元住民に利用されています。


みもすそ川公園の道路の向かい側に入口がありました。
今回の下関旅行、私はこの人道トンネルを歩いて、県境で写真を撮るのが一番楽しみでした。
ず~~~っと昔からの念願が叶う直前です。
が、大事件が発生!
トンネルに入る直前、みもすそ川公園でデジカメの電池が無くなったのです。
え~、どうして!?
電池残量が少しの表示も出ていなかったのに。
周りをみても、コンビにもありません。

妹はデジカメを置いた来たようで、使い捨てカメラを手にしていたのでそれに頼るしかありません。
エレベーターで地下におりると、ムッとした湿気がありました。
エレベーターホールは広かったです。
そこからずっとトンネルが続いています。

高校生はランニングをしていて、ウォーキングしている人も多いです。
感心したのは、自転車の人がちゃんと押して歩いていること(笑)
関西では“ダメ”といっても乗って走る人が多いですからね。
(どうやら放送で注意されるらしいですね。)

県境に着いた時は万歳しそうでした。
これが夢にみていたトンネル内の県境、本州と九州の州境です。
夏休み中でしたが時間が早いからか、ここで写真を撮っている人はいませんでした。
もしかして私達ぐらい?
写真を撮るほうが珍しい?

この上に車道が通っていて、でも海の中なのですよね。
海の中を歩いているなんて不思議な気分でした。

門司側の地上に出て、休憩をしてから戻りました。
次に行く場所があったので、九州探索はまた別の機会に…。
しかし、帰りに甥っ子達は高校生の真似をして走ったのですが、一人が体調を崩して一歩も歩けなくなってしまいました。
妹は甥っ子をおぶわないといけなくなり、私は背中に貴重品のリュック、キャリーバックの上に鞄を2個乗せてキャリーバックを引っ張り、もう一つ鞄を斜め掛けにして、空いた手にもう一つ荷物を持つという大変な事になりました。

あの蒸し暑さがいつもの通りなのか、通風孔の清掃中と出ていたので、たまたま蒸し暑かったのか、どうなのでしょう。
でも、どうしても行きたいという場所に向かいました。



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みもすそ川公園 - 長州砲・壇ノ浦砲台

2009年08月15日
みもすそ川公園(山口県下関市みもすそ川町1番)は、幕末の長州藩の砲台跡でもあります。
砲台1  砲台2

砲台3  砲台4
幕末の下関戦争時に活躍した長州藩の砲台跡であることから、5門のレプリカが海峡に向けて設置されています。

文久3年5月から6月にかけて、長州藩は関門海峡を通る外国船を5回にわたって砲撃しました(攘夷戦)。
翌年8月、アメリカ・イギリス・フランス・オランダの四国連合艦隊17隻が報復のため下関にやってきました。
海峡の最もせまい所に築かれたこの壇之浦砲台は、前田砲台と共に重要な役割を果たしましたが、連合艦隊に大敗し、すべての砲台が占領・破壊されました。
外国の進んだ軍備にめざめた長州藩は、開国・倒幕へと転換し、明治維新を実現する原動力となりました。

長州藩の主力となった加農砲(カノン砲)は青銅製の大砲で、球形の弾丸を発射し、目標を打ち抜いて損害を与えるものでしたが、連合艦隊の新しい大砲は距離・威力ともはるかにすぐれたものでした。

この大砲は幕末に数多くの大砲を鋳造していた長州藩の安尾家に伝わる20分の1の模型を参考に、原寸大に復元したレプリカです。
砲身に刻まれた文字は、パリのアンヴァリッド軍事博物館が所蔵している、これとほぼ同型の長州製青銅砲の砲身を模刻しています。
現地説明板より


天保製長州砲2  天保製長州砲1
天保製長州砲

幕末、関門海峡での6次にわたる攘夷戦は、元治元年8月、長州藩兵と英・仏・蘭・米4カ国連合艦隊との交戦をもって終結したが、同時にこれは明治維新の具体的始動につながった。
この歴史的事件で下関海岸砲台に装備された長州藩の青銅砲は、すべて戦利品として外国に運び去られ国内から姿を消していた。

1966年春、渡欧中の作家古川薫氏がパリ・アンヴァリッド軍事博物館に保管されている、攘夷戦長州砲を発見、以来返還運動が進められたが実現困難のところ、郷土出身の外務大臣安倍晋太郎氏の努力とフランス政府の好意によって1984年6月、貸与の形式で里帰りを見るに至った。
この機会に下関東ロータリークラブでは、フランス政府の了解を得、創立20周年記念事業として、これを原寸大かつ精密に模造し下関市に寄贈した。

同・長州砲は天保15年萩藩の鋳砲家郡司喜平治信安の手になるもので、幕末日本人の対外危機感を象徴する歴史的逸品である。
鎖国に眠っていた日本史がようやく世界史に組み入れられる瞬間を目撃したこの物言わぬ証人を、海峡のほとりへ永久に安置しようとするのは、歴史に富むこの地の発展と世界平和を祈念する趣旨にほかならない。
現地説明板より


幕末ここから外国船に向かって砲撃したのですか。
当時の大砲の威力はどれぐらいだったのですか?
700mは飛んだ?
700mほど飛ぶと、海峡を越えて九州まで届きますが、どうだったのでしょう。

外国船はこの海峡を通るので、700mの射程距離はいらないでしょうが、それぐら飛ぶ大砲でないと外国船を撃つ事ができないような気がしました。
たしかにここで砲台を壊滅させられると、容易に上陸を許してしまいます。
重要な場所だったのはわかります。
しかし海峡がこれだけ狭いと、外国船もすごく近い場所にくるという事です。
威圧感を感じたでしょう。

結局、大砲は戦利品として持ち帰られていますが、そのお陰で新選組は大砲の洗礼を受けなかったのかもしれないですね。
もしこの大砲が長州藩の手元に残っていたら、京都で長州藩がぶっ放していたかもしれません。
京都の治安を守る新選組は大砲の砲撃を受けていたかもしれません。
そうなると、池田屋事変もなく、新選組はたいした仕事をしなかった隊という事になっていたでしょう。
大砲vs刀ではどう考えても大砲の勝ちです。

でも、こんな大砲を幕末当時に造っていたほうが驚きです。
考えた人、それを形にした人、凄いですね~。
全部手作りですよ!
今のようなコンピュータ制御の機械もないですから、ひとつづつ手作りですよね。
すごい!
さすがに大砲は大きすぎて、持って帰りたいとは思いませんでした。

万が一、高杉晋作など長州の有名人のサイン(落書き)でもあれば欲しいです。
そういうのは、博物館などに収蔵されてしまっていますね。



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