富士山&駿河湾夕景

2016年11月04日
富士山を見ながら、白糸の滝を離れました。

富士山

駿河湾夕日

沼津市を目指しながら、富士山を何度も探してしまいます。
やっぱり富士山は特別な何かがありますよね。

沼津に行く途中に“田子の浦”の看板を発見。
あの田子の浦ではないですか。

田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ
  山部赤人

田子の浦と聞いて、この一首がパッと浮かびました。
今まで、この句を聞いてもあくまでも想像でしかなかったのですが、こんな感じで富士を見たのかと思えました。
その場所に行ってみると、詠み人に近い感覚で句を感じられると思うのは私だけですか。
夏だったので、富士の高嶺に雪は降っていなかったのが残念でした。


夜は、敦賀湾に沈む夕日を見ることができました。
見るのなら、私は朝日より夕日の方が好きです。
哀愁を感じる?
その後の星空もきれいですよね。




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お鬢水

2016年11月03日
白糸の滝から上がってくると、駐車場の一角にお鬢水(静岡県富士宮市上井出)があります。

お鬢水3

お鬢水1  お鬢水4

白糸の滝の横、食行身禄の碑の横の坂を上がり駐車場にでました。
道路に向かって歩いていると、看板が目に入りました。
ワクワクしながら向かうと、「頼朝ゆかりのお鬢水」の説明板でした。

降りていくと、小さな池です。
でも、すごく澄んでいてきれいな水が溜まっていました。
説明板によると、頼朝がこの水を鏡代わりにして、鬢を直したそうです。
今でも鏡代わりになりそうなほどにきれいでした。

しか~し、私が池を覗いていると、蜂が……!!
アシナガバチ?
いや、スズメバチみたいなんですけど!
そっと場所移動するも、どうやら蜂に好かれたのかついて来る。
一緒に見ていた子供の方には行かずに私にまとわりついて来るんです。
まあ、子供が無事ならいいのですが。
私は早々に撤収です。

頼朝の頃には蜂はいなかった…でしょうね。
やはり鎌倉時代も蜂はいたんですよね?
スズメバチもいたのでしょうか?
刺されたらどうしていたのでしょう。

昔は、自然も多いけれど、山には動物の食料となるものも多く、人間と動物との済みわけもできていたのかもしれないですね。

この水がいつまでも澄んでいることを願います。





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食行身禄の碑

2016年10月17日
白糸の滝の横に食行身禄の碑が建っています。
白糸の滝から展望台の方に向かう坂道の脇にあります。

白糸の滝7  白糸の滝6

食行身禄】 (じきぎょう みろく)
寛文11年1月17日 - 享保18年7月13日は、日本の宗教家。
富士講の指導者。
本名は伊藤伊兵衛。
伊勢国一志郡(現三重県津市)出身。
伊藤食行とも。

元禄元年に江戸で富士行者月行に弟子入りし、油売りを営みながら修行を積みました。
身禄という名前は、釈迦が亡くなって56億7千万年後に出現して世直しをするという弥勒菩薩から取ったものでした。
身禄は救世主、教祖的な存在として、現世に不満を抱く人々から熱狂的に迎え入れられ、新宗教団体としての「富士講」が誕生することとなりました。

享保18年6月10日、63歳の時、駒込の自宅を出立して富士山七合五勺目(現在8合目)にある烏帽子岩で断食行を行い、35日後にはそのまま入定しました。
その後、開祖角行とともに、富士講の信者の崇敬を集めました。
身禄の後も、身禄の娘、門人によって次々と富士講は増え、「江戸八百八講」と呼ばれるまでになった。
あちこちに富士塚と呼ばれる小型の富士山が築かれ、実際に富士山に登らなくても、富士登山の功徳が得られるとされたのでした。
身禄の教えを受け継いだ各派富士講の一つに、武蔵国足立郡鳩ヶ谷(現埼玉県川口市)の小谷三志の不二道があり、教派神道の実行教、直系は丸山教となって今日に至っています。

身禄は、呪術による加持祈祷を否定し、正直と慈悲をもって勤労に励むことを信仰の原点とした。
また、米を真の菩薩と称し、最も大切にすべきものと説きました。
陰陽思想から来る男女の和合や、身分差別を認めたうえでの四民(士農工商)の協調と和合、更には「世のおふりかわり」という世直しにつながる考えなど、封建社会を生きるうえでの独自の倫理観を持っていました。
身禄の教えはその後の富士講の流行を生み、庶民が徒党を組むことを嫌った江戸幕府からたびたび禁止令を受けたが、その教えは江戸庶民の間に根強く広がりました。

角行】 (かくぎょう)
天文10年1月15日 - 正保3年6月3日は、江戸時代に富士講を結成した人びとが信仰上の開祖として崇拝した人物。
大職冠藤原鎌足の子孫。
長崎の武士の左近大輔原久光の子として生まれる。
俗名、長谷川左近藤原邦武。

角行の伝記には数種あり、それぞれが内容を異にします。
しかし、応仁以来の戦乱の終息と治国安民を待望する父母が北斗星(または北辰妙見菩薩)に祈願して授かった子だとする点や、7歳で北斗星のお告げをうけて己の宿命を自覚し、18歳で廻国修行に出たとする点などは共通して記されました。
そうした共通記事に即して角行の行状を理解すれば、それはおよそ次のようです。

当初修験道の行者であった角行は、常陸国(一説には水戸藤柄町)での修行を終えて陸奥国達谷窟(悪路王伝説で著名)に至り、その岩窟で修行中に役行者よりお告げを受けて富士山麓の人穴(静岡県富士宮市)に辿り着く。
そして、この穴で4寸5分角の角材の上に爪立ちして一千日間の苦行を実践し、永禄3年「角行」という行名を与えられました。
その後、角行は富士登拝や水垢離を繰り返しつつ廻国し、修行成果をあげるたびに仙元大日神より「フセギ」や「御身抜」という独特の呪符や曼荼羅を授かりました。
なお、「フセギ」は、特に病気平癒に効力を発揮する呪符であったらしく、江戸で疫病が万延した際にはこれを数万の人びとに配して救済したといいます。

後継者は日行日玥(にちぎょうにちがん)、赤葉玥心(あかばがんしん)、前野月玥げつがん、村上月心と続いた。
村上月心の死後は、月心の二男、村上光清の光清派と、月行劊忡(そうじゅう)から
食行身禄への身禄派がある。
そこからさらに清康派、伊勢派、出雲派など、俗に「八百八講」と呼ばれる多数の派を生みました。
その中から、食行の女花子に連なるとする小谷三志が神仏混合を拝して神道の一派として不二道を成し、明治維新のころ、そこからさらに分かれて、柴田花守率いる實行教と穴野半率いる扶桑教が生まれました。
角行を開祖とする富士講諸派の母体は、教派神道の實行教と扶桑教へとつながっていきました。
Wikipediaより


ほとんどの人が気づいていなかったのではないでしょうか。
気づいても興味はないかな…。
食行身禄と読んで、名前?何かの行の名前?伝説の何か?と、???が頭の中を駆け巡ります。

富士講というのは、宗教なんですね?
その開祖と同じくらい尊敬されていた人の碑ってことなんですね。
富士講は初めて聞きました。
でも、確かに富士山は霊峰といわれるように、なにか違います。
山脈のように山々が連なっているのではなく、富士山だけが悠々と聳えている姿も惹きつけられます。
形もほぼ左右対称のようで恰好良いですよね。み
そんな富士山に神秘的な力を感じるのは珍しくないですよね。

ずっと見ていても飽きない山です。





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白糸の滝

2016年10月09日
音止の滝を通り過ぎ、白糸の滝まで歩きました。
近いのであっという間に到着です。

白糸の滝1  白糸の滝2

白糸の滝3  白糸の滝5

幅150mの湾曲した絶壁の全面にかかる白糸ノ滝は、本滝の一部を除いてそのほとんどが富士山の湧水。
年間を通じて水温12℃、毎秒1.5トンの湧水が流れ出ているといわれています。



白糸の滝に来たのは3度目? 4度目?
最初に訪れた時がいつかはハッキリわかるのですが…。
それは中学校の修学旅行でした。

行くたびに、明るい空間になっているような気がします。
たぶん修学旅行時は雨で、薄暗い上に崖に囲まれていてさらに暗い空間に思ったのだと思います。

しかし、自然の作り出す景色はすごいですよね。
富士山のすごさと、自然のすごさと、何かわからないすごさを感じます。








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音止の滝

2016年10月03日
2日目は富士山を見に-遠くから眺めるだけです-行きます。
富士山の裾野にある音止の滝(静岡県富士宮市原上井出)を見に行きました。

音止の滝1  音止の滝2

芝川本流の落差約25mの名瀑で。
豪快で雄雄しい滝であり、白糸の滝とは対照的です。
付近には曽我兄弟の隠れ岩、工藤祐経の墓、源頼朝が鬢の乱れを直したという泉があります。

音止めの滝の名前の由来は、かつて源頼朝が挙行した富士の巻狩りの際に、曾我祐成・時致兄弟が父の仇である工藤祐経を討とうとしました。
その密議をしていたが滝の轟音で話が聞き取れない、そこで神に念じたところ、たちどころに滝の音が止んだという伝説による。
曾我兄弟は見事に本懐を遂げました。
Wikipediaより



数年前にも訪れています。
その時はまだ子供はいてませでした。
今回は、子供に滝と富士山を見せようと寄りました。

音止の滝はさすがに話が聞き取れないほどの轟音でした。
それだけ水量が豊富何ですね。
富士山から遥々と流れてきた清流だと思うと、富士山ってすごいです。

音止の滝は上から見るだけですよね?
さあ、白糸の滝を見に行きましょう!!










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