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芦ノ湖

2009年06月15日
箱根関所と隣接しているのが芦ノ湖(神奈川県足柄下郡箱根町)です。
芦ノ湖
箱根山のカルデラ湖です。

神山が約3000年前に水蒸気爆発と火砕流を起こした際、山の一部が大崩壊を起こす山体崩壊が発生し、その結果誕生したカルデラ湖です。
神奈川県南西部にある県内最大の湖。

最大水深 43.5m
平均水深 15.0m
Wikipediaより

近藤勇や土方歳三が見たであろう芦ノ湖です!

箱根関所からはこの芦ノ湖を渡る人間がいないかもみていました。
これだけ広い湖の中、人一人を見つけることはできたのでしょうか?
昔の人は視力が良かったのか、何か“コツ”のようなものがあったのでしょうか?

この日は雨だったので、見通しが悪かったです。
湖をゆっくりと探索する余裕もありませんでした。

箱根といえば関所よりも、箱根駅伝の方が今の人にはピンッとくる言葉でしょうか。
箱根駅伝ミュージアムや箱根駅伝に関する場所(ゴール?スタート地点?)も近くにあるようです。
私は持久力が全くないので、長距離を走る、しかも山道を登るなんて考えられません。
すごいですね~。
今は大学生が走っていますが、江戸時代は飛脚も走って山越えをしていたのでしょうか?
長距離を走れる人を尊敬します。
いやぁ~400mでも尊敬です。
及び、芦ノ湖を泳いで渡ろうとする人。
私は息継ぎが出来ないので、息継ぎ無しで泳げる距離(私は25m~30m)しか泳げないので、ずっと泳ぎ続けられる人(スピードはもっと関係なし)も尊敬です。


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箱根関所 弐

2009年06月15日
箱根関所(神奈川県足柄下郡箱根町箱根1番地)です。
箱根関所4
江戸口御門
高麗門形式。高さは6.1m。
屋根や外観は「栩葺」、「渋墨塗り」。
江戸方面から来た場合には、この門から中が箱根関所の構内でした。
京口御門の対面側にあります。


箱根関所5
大番所・上番休息所
関所の一番主要な建物です。
二棟が継がれています。
街道側が大番所、湖側が上番休息所と呼ばれています。
共に栩葺と言われるうすく割いた杉板を重ねた屋根です。
外観は、渋墨で塗られた黒い建物です。


箱根関所3
遠見番所より
遠見番所は、箱根関所で唯一の二階建ての建物です。
四方に開かれた大きな窓から二名の足軽が24時間交代で、芦ノ湖や街道沿いを見張っていました。


箱根関所6
芦ノ湖畔より大番所・上番休息所方面をみる

箱根関所という場所は、それほど大きな敷地とは思いませんでした。
確かに、通行する人をチェックするだけの場所があればいいのですから、それほど広大な土地が必要ではないわけです。
ここで働いていた人たちも、ここで寝起きする必要は無いわけですよね。
夜勤の人の仮眠設備程度でいいはずです。

門や建物が黒く塗られているのは、威圧感を出すためでしょうか?
こんな小さな役所が、旅をする上での脅威になるとは…。
空港の金属探知機のようなものでしょうか?
何もないのにピーピーと何度も鳴ってくれるあの小さな門と同じです。

遠見番所から芦ノ湖方面を見ましたが、肉眼でしか見ることが出来なかった時代に、芦ノ湖を泳いだりして見つかる人はいたのでしょうか?
夜とかだと、見えないような気がするのですが。
それに山中の抜け道を通って、所謂関所破りをして、処刑された話などがありましたが、こんなに広い
山の中を歩いていて、見つかる事が本当にあるのでしょうか?
と、2つの疑問が…。
意外と見つかるものなのでしょうね。

新選組の探索方にも挑戦してもらいたいものですね。
新選組の探索方より、坂本龍馬の方が上手いかな?
あの梼原などの“龍馬脱藩の道”を通った人ですから。
もしくは、“逃げの小五郎”と異名をとった、桂小五郎もいい勝負が出来そうです。


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箱根関所 壱

2009年06月14日
近藤勇や土方歳三をはじめとし、新選組隊士も通った箱根関所(神奈川県足柄下郡箱根町箱根1)です。
箱根関所1  箱根関所2
関所の歴史は、646年の「大化改新の詔」に「鈴鹿(伊勢)・不破(美濃)・愛発(越前)」に「関塞(せきそこ)」を置くことに始まったといいます。
鎌倉時代以降の関所は、「関銭」というお金を払わなければ通ることができない所となり、集めたお金でお寺や神社を建設するといった、経済的な施設となりました。

江戸幕府は江戸を守るため、全国に関所を設置しました。
江戸時代初期は、軍事的な拠点として機能していましたが、平和な時代になり、治安維持のための警察的機能へと変わっていきました。
明治2年にその役目を終え、廃止されました。

人質として江戸に住まわせていた大名の奥方が国元に逃げ帰ることによって、幕府に対する謀反が起こらないようにすること。
大量の武器が無断で江戸へ持ち込まれないようにすることに、厳しい監視の目を光らせていたようです。
「入鉄砲と出女」といいます。
“出女”の取り調べは、大名の奥方だけでなく、庶民の女性に対しても行われていました。
全国53か所の関所がすべて「入鉄砲と出女」の取り締まりを行っていたわけではなく、それぞれの関所で、独自の取り締まりの方法がありました。

箱根関所は、江戸時代第一の主要道路である東海道を監視するために、設置された重要な関所です。
箱根関所の役割は、関所構内に掲げられた御制札に記載されており、旅人が関所を通るには、様ざまな検査が行われました。
箱根関所では、江戸から関西方面へ向かう「出女」の場合は、幕府の御留守居役が発行した証文(女通行手形)を必ず所持し、手形に記載された内容と持参した女性の特徴が一致しなければ、関所を通ることはできないという、厳しい取り調べが行われていました。

「御制札場」に掲げられていたのは、次の五項目でした。
一、関所を通る旅人は、笠・頭巾を取り、顔かたちを確認する。
ニ、乗物に乗った旅人は、乗物の扉を開き、中を確認する。
三、関より外へ出る女(江戸方面から関西方面へ向かう女性:出女)は詳細に証文と照合する検査を行う。
四、傷ついた人、死人、不審者は、証文を持っていなければ通さない。
五、公家の通行や、大名行列に際しては、事前に関所に通達があった場合は、通関の検査は行わない。ただし、一行の中に不審な者がまぎれていた場合は、検査を行う。

「出女」「手負」「死人」「不審者」以外の者は、無手形でも、関所を通ることができたようです。

このような箱根の関所を近藤勇たちが通った記録があります。

①元治元年10月15日
近藤勇・永倉新八・尾形俊太郎・武田観斎・新人隊士をともない京都へ出立。
近藤は道中、引戸駕籠で箱根関所抔も乗り通行致し、盛んなことでありました。
(加納通広『史談会速記録』一〇四輯)

②慶応元年4月27日
土方歳三、新選組入隊士をともない、江戸を出立する。
慶応紀元乙丑首夏、新撰組副長土方歳三義豊、目付役斎藤一、伊東甲子太郎、東下徴募、同月廿七日召連帰京いたし候新人局列名。
(異聞録)
とあり、陸路東海道を出立しています。
箱根関所HP&新選組日誌などより


小田原駅より箱根町行バス55分、関所跡入口下車2分
箱根湯本駅より箱根町行バス40分、関所跡入口下車2分
という事ですが、私は車で連れて行ってもらったので、詳しい行き方がわかりません。
山と湖に挟まれた、ごく一画開けた場所でした。

相変わらず、私の旅行は雨です。
今回も雨でした。
山の中を走り、開けたと思ったら関所への案内が出てきました。

この箱根関所は、平成19年に復元されたそうです。
『相州箱根御関所御修復出来形帳(慶応元年)』という報告書が、静岡県の韮山町(現・伊豆の国市)で発見された事がきっかけだったそうです。

箱根関所と新選組が関係あるとは、考えていませんでした。
たまたま箱根の関所を通る機会があり、調べてみると通った記録が残っているではないですか。
この山を近藤勇と土方歳三は通っているのです。
建物は復元なので、当時、近藤や土方が見て触った(?)ものとは違いますが、同じような風景を見たのかもしれません。
というか、近藤勇は駕籠から出ていないので風景を見ていない…かも。

清河八郎が募集した浪士隊として、京都へ向かった時は、中山道を通っているので、この箱根は通過していないはずです。
また、鳥羽・伏見の戦い後江戸へ戻る時は、天保山から船で海路戻っているので、この時も箱根は通らずです。
清河八郎は全国を歩いているようなので、それ以外の時に通っている可能性はありますね。
沖田総司は、上洛時は中山道、帰東は病気で船で海路ですから、この箱根の関所を通ったことはなかったと思います。

当時のまま建物が残っていてくれたら一番嬉しいのですが、なかなかそうはいきませんね。
それでも文献から研究されて、同じように復元されているので、近藤勇や土方歳三が歩いている姿をよりリアルに想像できそうです。


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