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晴明神社

2009年06月11日
晴明神社(京都府京都市上京区堀川通一条上ル晴明町)。
晴明神社1  晴明神社2

晴明神社3
晴明没後、これまでの偉業に対してなど、生前の官位は低すぎたと感じた一条天皇の命で晴明を祀った神社として、寛弘4年に建てられました。
当初は、晴明神社は晴明が住んでいた屋敷のある場所に建てられました。

東は堀川、西は黒門、北は元請願寺、南は中立売の広大な地域でした。
しかし応仁の乱や秀吉の都市計画などで縮小されてしまいました。
応仁の乱で主要な寺社はすべて焼けてしまっています。

それを嘉永6年に当時の氏子達が中心となって、社地社殿を改修して、その後明治11年、明治36年に改修、昭和3年には現在の本殿と社務所が新築され、昭和25年には現在の形になりました。
そのため、当初は晴明の屋敷跡に建てられていた晴明神社ですが、現在はかつての晴明邸とは違う場所に建っています。
(以前は、京都ブライトンホテル付近 別記事参照して下さい)

本殿の北側にある晴明水と呼ばれる堀井からは、霊水が湧き出ていて、この水を飲めば、悪病難疾を平癒させるといわれているそうです。
陰陽師「安倍晴明」超ガイドブック、安倍晴明&陰陽師大全より


一条戻り橋から堀川通を北へ100m歩くと、晴明神社があります。

ビルに挟まれて鳥居が見えてきます。
鳥居を潜ったあたりに、昔の一条戻り橋の欄干が置いてありました。
それでもいつの時代のものかはわかりません。
晴明の時代のものではないですよね?

私が訪れた時は、夕方に近い時間だったからか、訪れている人は少なかったです。
映画や漫画でブームになったので、多くの人がお参りにこられているかもしれません。
霊感のない私がいうのもなんですが、特に何か霊的に感じるものはありませんでした。
安倍晴明ゆかりの神社というので、もっとこう重~い空気とか、異様な雰囲気があるのかと思っていましたが、普通にお参りして来ました。
霊感のある人はどうかはわかりませんよ。

五芒星があちらこちにあり、安倍晴明縁の神社だと実感しました。


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一条戻り橋

2009年06月10日
一条戻り橋(京都府京都市上京区堀川下之町)です。
一条戻り橋1

一条戻り橋3  一条戻り橋2
安倍晴明が式神を隠していた場所です。
冥界にも通じているといわれていました。

ここに立って願い事を思うと、橋の下にいる式神が通った人の口を借りてお告げを下すといわれています。

戻り橋はかつては土御門門と呼ばれていましたが、三善清行の葬列がこの橋を通ったとき、比叡山の行者だった、子の浄蔵がこの橋の上で必死で加持をして甦らせたことで、戻り橋となったと伝えられています。

今の一条戻り橋は新築されていますが、昔の欄干は晴明神社に保存されています。
陰陽師「安倍晴明」超ガイドブックより


晴明邸跡(京都ブライトンホテル)から、西へ歩いて堀川通まで出ます。
堀川中立売交差点から北へ150m、一本北の橋に向かいます。
一条戻り橋です。

一条戻り橋の下には、晴明が式神を隠していたというので、覗き込んでみました。
もちろん式神を見ることはありません。
そんな気配もありません。
当たり前ですね。

橋なので、下は川で水が流れているかと思っていましたが、水はありませんでした。
コンクリートで綺麗になっているので、式神は居心地が悪いでしょう。
きっと晴明の命令があっても、ここは遠慮したいと訴えているかもしれないですね。
当時の一条戻り橋の下はもっと住み心地が良かったのでしょう。

式神がいると思うぐらいには、そういう雰囲気のある場所だったのでしょう。


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安倍晴明邸跡

2009年06月09日
晴明神社は安倍晴明邸跡(京都府京都市上京区上長者通西洞院東入ル北側の土御門町付近)に建てられているといいますが、現在の場所でいえば少し場所が違っているようです。
晴明屋敷跡2  晴明屋敷跡3

晴明屋敷跡1
当時の晴明邸は、東は堀川、西は黒門、北は元請願寺、南は中立売という広大な規模でした。
しかし、応仁の乱や豊臣秀吉の都市計画などで、かなり縮小されてしまいました。

以前の晴明邸は、今の上京区中立売通新町に位置しています。
京都ブライトンホテルのあたりです。
986年の夜、花山天皇は京都ブライトンホテルの辺りで、晴明が式神に命令する声を聞いた事になります。
陰陽師「安倍晴明」超ガイドブックより


京都市営地下鉄烏丸線今出川駅から今出川通に上がります。
烏丸今出川交差点から烏丸通を約500m南へ歩きます。
烏丸中立売交差点から中立売通を西へ300m行くと、京都ブライトンホテルがあります。

この付近が安倍晴明邸があった場所で、最初に晴明神社が建てられた場所です。
京都御苑から300mほどしか離れていません。
花山天皇が晴明が式神に命令する声を聞いたのも、あながち無かったともいえないかもしれません。
天皇はどこかお寺に向かう途中だったようですが、たしかに御所を出たすぐの場所なので、通った可能性はすごく高いです。
それにしても広大な敷地のお屋敷だったのですね。
それだけ力があったという実証でしょうか。

もしそのまま安倍晴明の子孫がその屋敷をずっと、幕末頃まで受け継いでいたら、各諸大名の屋敷なんて比べ物にならない程の広さでした。
幕末・明治維新の力関係も変わっていたかもしれませんね。

安倍晴明の大ファンの方なら、京都を訪れた場合、やはりこのホテルに泊まるのでしょうか?


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遍照寺

2009年06月08日
安倍晴明が広沢僧正を訪ねた遍照寺(京都府京都市右京区嵯峨広沢西裏町14)です。
遍照寺1

遍照寺2  遍照寺4
『今昔物語』の話が事実だとすれば、晴明が式神を使って蛙を殺して見せたお寺になります。

広沢僧正の名前は寛朝といいます。
宇多上皇の孫で、敦実親王と藤原時平の娘を母とします。

遍照寺は989年に広沢池の近くに建てられ、そこに住んだことから、広沢大僧正と呼ばれていました。
真言宗の僧でした。


遍照寺3
   遍照寺に現在あった池

陰陽師「安倍晴明」超ガイドブックより

JR西日本山陰本線嵯峨嵐山駅、嵯峨野観光鉄道(トロッコ列車)トロッコ嵯峨駅から、駅の北側に向かいます。
京福電鉄嵐山線なら鹿王院駅か車折駅が近いと思います。

JR嵐山駅から北へ歩いて、まずは新丸太町通まで出ます。
新丸太町通に出たら、東へ歩きます。約900mです。
広沢南野町交差点から、北へ曲がります。(広沢池方向です)
150mほど北へ歩くと遍照寺があります。

京福電鉄を使うと、鹿王院駅だと駅の東側の道を北へ歩き、新丸太町通まで出ます。
途中JRを越えます。
新丸太町通の嵯峨中前バス停付近に出ると思いますので、そこから東へ400mほどで、広沢南野町交差点です。
そこからは北へ曲がり、150mです。

車折駅も同じく、北へ向かいますが、道が入り組んでいるようですので、とりあえず北へ北へと進んで新丸太町通まで出てください。
広沢南野町交差点付近の丸太町通に出ると思います。
広沢南野町交差点から北へ向かって、150mで遍照寺に着きます。

嵐山から北へ向かって歩きました。
遠かったです。
途中にスーパーなどもあり、観光地から離れ、生活感溢れる場所も通りました。
新丸太町通を東へ歩くのが遠かったです。
本当にあっているのか不安になりながらも、新丸太町通から北へ向かう道へ入ると、また雰囲気が違ってきました。

お寺の山門はこじんまりとしていましたが、中に入ると広い境内でした。
山門を入ったあたりに池がありました。
この池にいた蛙を式神で殺したのではないでしょうが、思わず池を覗き込んで蛙を探してしまいました。
蛙は居ませんでしたが、このお寺に安倍晴明が来たという話しがあるのですね。

どこまでが本当かわかりません。
式神で蛙を殺したことは、ほぼ創作でしょう…。
もしかしたら、昔の人はいろいろな力や能力を持っていたかもしれません。
今の人間が退化しているとか…。

安倍晴明の話は、ある種のファンタジーとして楽しんでもいいのではないでしょうか?
私はもしかしたら本当かも…と思わないでもないですけれど。


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東福寺 遣迎院

2009年06月07日
晴明の埋葬地と伝えられる場所でもあり、屋敷があった場所でもあると伝わる、東福寺 遣迎院(京都府京都市東山区本町15丁目)付近です。
伝 晴明屋敷3
       東福寺門

伝 晴明屋敷4  伝 晴明屋敷6

伝 晴明屋敷7
東福寺門の内側付近にあった竹やぶと石碑群
こんな感じであったのでしょうか?

東福寺南門前の遣迎院の南側にも晴明塚と称するものがありました。

その遣迎院の南側には晴明にちなむ竹林がありました。(上記の事か?)
現在は民家が建てこんで隠滅してしまいました。
この近くには晴明屋敷跡もあります。

東福寺門前の竹林に、一時的に埋葬された記述もあります。


伝 晴明屋敷1  伝 晴明屋敷2

遣迎院境内に晴明社がありました。

安倍晴明読本&陰陽師「安倍晴明」超ガイドブックより


京阪電鉄鳥羽街道駅を下車、駅の南側のすぐそこに遣迎院があります。

埋葬地といわれる場所と、屋敷があったという場所ですが、今はそれがわかるものはありません。
こんな感じかな?と、近くにあった竹やぶを撮ってみました。
竹林が晴明に縁があるとわかっていたのなら、そこだけを残す事はむりだったのでしょうか?
竹林を残せというのは、歴史ファンのエゴでしょうね。
でも、今まで残してきた歴史関係のものを壊すのも、現代人のエゴといえるのかもしれません。

この東福寺も、幕末関係で何度か来ました。
それが安倍晴明関係でも来ることになるとは…。
さすが京都は“都”だったということですね。
長い歴史があったから、いろいろな歴史が重なっていったのでしょう。


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