龍馬の血判発見!!

2013年07月25日
2013年7月25日の朝日新聞 朝刊に“25歳の坂本龍馬 熱き「血判」発見”“脱藩前 砲術家入門時の誓約書”という記事が出ていました。

坂本龍馬が25歳で土佐藩の西洋流砲術家・徳弘孝蔵に入門した際に血判を押した起請文と呼ばれる誓約書が見つかった。
高知県立坂本龍馬記念館(高知市)が24日、発表した。
龍馬の血判はほかに見つかっておらず、貴重な資料だという。

徳弘家は土佐藩の「御持筒役」を務めた家系。孝蔵は藩主の命令で、高島秋帆の流れをくむ西洋流砲術を学んだ。
誓約書の存在は知られていたが、長く所在不明になっていた。
記念館は25日から8月末まで誓約書を展示する。
誓約書には1842~63年に216人が署名したとみられ、龍馬のほか、後に土佐勤王党を率いる武市半平太や、半平太に師事した岡田以蔵、龍馬の兄の権平も名を連ねる。
箱入りの巻物で、幅約19cm、長さ約13.4m。
入門者が「学んだことを一切口外しない」などと誓っていた。
龍馬の署名は、安政6年9月20日の日付。
「坂本龍馬」と諱(実名)の「直陰」の署名があり、諱とその下にある書き判の間に血判が押されている。
江戸での剣術修行を終え土佐に帰国し、脱藩する前だった。
記念館によると、資料を破損するおそれがあり、血判の科学的な鑑定は難しいという。
だが、筆跡には同じころのほかの龍馬の署名と通じる特徴がみられ、京都国立博物館の専門家も「直筆にほぼ間違いない」と判断したという。
今月、所有者から記念館に連絡があった。
所有者との約束で、所有者の情報や再発見の経緯は明かせないという。
森健志郎館長は「龍馬を感じることができ、ファンにはたまらない資料だ」と話す。


龍馬の血判が発見されたそうです。
龍馬ってまだまだ新発見がありますね。

私は武市半平太や岡田以蔵の名前が出ている方に興味がそそられました。
また血判の血を鑑定できれば、龍馬が暗殺された時、そばにあった屏風や掛け軸に飛び散った血と同じかも鑑定できるのに…。

下種の勘ぐりでいえば、万が一直筆でなければ「あ゛~」って事になるから、理由をつけて鑑定しないのでは?なんて失礼な事を考えたり…。
所有者の事も、発見された経緯も明かせないなんて、どういうこと?!って思ってみたりします。
せめてどこの県の人とか、幕末の歴史に深い関係があるかないかとか、発見の経緯の大まかな事とかだけでも教えて欲しいです。

展示は来月末までなんですね。
どう考えても無理だぁ~。
どこかで龍馬展があればまたいつか展示されるかな?










岩崎弥太郎の母の壺-新聞記事

2010年03月02日
NHK大河ドラマ「龍馬伝」にも登場した、岩崎弥太郎の母美和が床下から出してきたが発見されたそうです。

岩崎弥太郎母壺1
2010年3月2日 朝日新聞

あのドラマのあのシーンは実話だったのですね。
中に寛永通宝が177枚も入っていた話を知ると、何か判らないですが、感動してしまいました。

美和は弥太郎が三菱財閥を創設し成功。
お金に困らなくなった時、やはり嬉しかったのでしょうね。
だからと言って、贅沢をしたのかは調べきれていないのですが…。
こういう人は意外と、無茶なお金の使い方はしないような気がします。

弥太郎より長生きされている事を知って、弥太郎亡き後は寂しかったのではないでしょうか?
「龍馬伝」では、弥太郎が苦労する様子が強烈に描かれています。
それだけ苦労させた弥太郎が、やっとお金の心配をしなくてよくなってこれから…という時に亡くなってしまうと、母としてもやりきれなかったのではないでしょうか?

いろいろな思いの詰まった壺には違いがありませんね。



幕末の志士53人がトランプ登場幕末の志士たち・トランプ





高知県産金時芋5kg 約20人前
高知県安芸市で取れた秋の取れたて金時芋。たっぷり20人前の5kg入り
2,980円

室戸岬灯台

2009年10月01日
室戸岬灯台(高知県室戸市室戸岬町6939)です。
室戸岬灯台3  室戸岬灯台1

室戸岬灯台2  室戸岬灯台4
 室戸岬灯台の第1等レンズ

室戸岬灯台より
  室戸岬灯台からの風景

実効光度160万カンデラと光達距離26海里(約48㎞)は、共に日本一。
また、日本に6箇所しかない直径2.6mの第一等フレネル式レンズを備えた第1等灯台でもあります。
更には、日本の灯台50選の一つ。
歴史的価値から海上保安庁によってAランクの保存灯台にも指定されています。

明治32年 初点灯。鉄製で白一色に塗装され、現在も原形を保っています。当初は石油ランプ。
大正6年 電化。
昭和9年9月 室戸台風により灯台レンズが破損したため修理が行われました。
昭和20年3月 太平洋戦争末期、アメリカ軍空母機動部隊が室戸岬沖80㎞に接近。
  アメリカ軍の艦載機による機銃掃射を受け、灯台レンズが破損。
  (現在でも灯台には4つの弾痕が刻み込まれています)
昭和28年10月 日本で初めて電動駆動装置(回転機械制御用の電動駆動機器)の採用。
Wikipediaより


室戸岬の最先端から少し高知市内方面へ走ります。
最御崎寺へ行く、山道へ入って行きます。
急カーブの山道を1.3㎞ほど行きます。
最御崎寺の案内どおりに進みます。
室戸岬灯台には最御崎寺の横を通り抜ける(過ぎる)ことになります。

お寺にお参りして、さらに進むと灯台がありました。
すぐ近くまで行く事が出来ます。
柵の向こうはもう灯台です。
意外と小さく思いました。
しかしレンズは“日本一の一等レンズ”なのです。

灯台は建物の大きさではないのですよね。
中のレンズが左右するという事です。
40㎞以上、50㎞に近いところまで光が届くというのは、JR大阪駅から明石海峡大橋の袂まで光が届くというイメージです。
考えられません。
もちろん海の上という条件が大切なのでしょう。

幕末にはこんな灯台は無かったはずです。
火を焚いてとかだったのでしょうか。
龍馬は船に乗っていますが、夜の航行は怖かったでしょうね。
特に岸に近い付近を航行するには、何も見えないと、陸(崖)と衝突したり浅瀬で座礁したりと、まさに命がけという事になります。
今、龍馬が船に乗っていたのなら、なんて便利なんだと感心していたかもしれません。



とても甘くなって、今が旬!お安くて家庭用にどうぞ!!【送料無料】【訳あり】本場紀州和歌山...

【じゃらん】国内15,000軒の宿をネットで予約OK!5%ポイント還元!

室戸岬

2009年09月30日
中岡慎太郎像に会いに行った時に通った、室戸岬(高知県室戸市)です。
室戸岬2  室戸岬4
安芸山地が太平洋に落ち込む南端。
太平洋に大きく突き出し、紀伊水道と土佐湾を分けます。
泥岩・砂岩・斑れい岩により、海岸段丘や岩礁、奇岩が形成されています。
冬でも温暖で、亜熱帯植物が繁茂。

黒潮の流れる沖合いは台風銀座でもあり、室戸岬は強風で知られています。
昭和9年の室戸台風や昭和36年の第2室戸台風では台風が付近に上陸し、その名を残すこととなりました。
後者では測候所の風速計が壊れてしまい、最大瞬間風速は「84.5m/s以上」と記録されるにとどまっています。
Wikipediaより


交通の不便さ(フェリーやバスの廃止など)が書かれていましたが、まさにその通りの場所でした。
車がないと行けません。
そのかわり、人が少なくて静かで、海は綺麗でゆっくりとするにはいい場所です。

国道55号沿いにバス停留所が点在。
高知東部交通
東洋町・甲浦駅方面
室戸市街地・奈半利駅・安田・安芸駅・安芸営業所方面

高知龍馬空港・高知駅方面への直通便は2007年3月を以って、大阪方面への夜行高速バスは2008年5月を以って廃止。


本当に車の運転が出来ないと行けない場所になりつつあります。
私は免許がないので、私だけでは行けないです。

台風の季節になると必ず出てくる“室戸岬”なのに。
「室戸岬沖○㎞に台風が接近」なんてよく耳にします。
関西の私は特に気にしているからでしょうか?

向かって左の写真に小さく“室戸岬”と書かれた看板が写っています。
お天気が良かったからでしょうか。
すごく海も山も綺麗でした。
この綺麗な海が台風がきたらどんなに荒くれた海になるのか…、想像できないほどでした。
毎年何度も台風の影響を受けていると思うのですが、そんな事は微塵も感じませんでした。

中岡慎太郎の像が近くにありますが、人の訪れが少なくて淋しいですね。
坂本龍馬、武市半平太、中岡慎太郎とみな太平洋の青い海を見つめています。
土佐の生まれの彼らにとっては海は、故郷や幸せを感じさせるものなのでしょう。



懐中電灯に!【多機能携帯充電器】LEDもついた!超小型リチウムイオン充電器モバイルバンク携帯...



中岡慎太郎像

2009年05月19日
室戸岬に建つ、中岡慎太郎像(高知県室戸市室戸岬町)です。
中岡慎太郎像1  中岡慎太郎像4
山の頂上に室戸岬灯台がみえます

中岡慎太郎像7
     正面から

中岡慎太郎像10  中岡慎太郎像11
   刀を握る左手と後方から背中をみました。

中岡慎太郎像8  中岡慎太郎像12
         銅像の横に建つ石碑と台座裏

中岡慎太郎像13  中岡慎太郎像14
       銅像の後ろ側に年表とともに刻まれています

中岡慎太郎像より
銅像の足元からの太平洋の眺望

乱礁遊歩道の入口に立つ像。
昭和10年に、故郷である安芸郡の青年団によって全国に募金集めがなされ、この像が建てられました。


中岡慎太郎は、土佐国安芸郡北川村柏木の出身の土佐藩士です。
光次。道正。迂山。石川誠之助、大山彦太郎、横山勘蔵。

北川郷大庄屋の出でしたが、間崎滄浪や武市瑞山に学問、剣術を学びました。
文久元年8月、土佐勤王党結成時には17番目に血盟しています。
龍馬は9番目に名を連ねています。

翌2年、山内容堂を護衛する五十人組に伍長として参加。
翌3年10月、脱藩して長州の三田尻に至り、五卿の護衛を務めました。
元治元年7月には忠勇隊に属して禁門の変に参加し敗走しました。

元治元年2月ごろから薩長和解の実現に向けて尽力し、龍馬の協力もあって翌2年1月に薩長同盟が締結されました。
3年4月には藩から龍馬とともに、脱藩罪を許され、土佐藩遊軍の陸援隊を組織統率する事になりました。
その後も、薩土盟約の周旋などに活躍しましたが、慶応3年11月15日、京都近江屋で龍馬と会談中を襲われ負傷し、17日に死亡しました。享年30歳。
墓は京都府京都市東山区清閑寺霊山町の霊山墓地。
坂本龍馬大事典より


土佐くろしお鉄道「奈半利駅」から高知東部交通バス「甲浦行き」で55分、「室戸岬」下車すぐ。
↑という事です。
私は鳴門方面に行く予定があり、鳴門から海岸沿いの国道55号を走って、走って、走って室戸岬まで行きました。
2時間半ぐらいかかったでしょうか…。
途中多くのお遍路さんを見かけました。

走っていくほどに海の色が違ってきました。
瀬戸内海の海と太平洋は、海の色も波の様子も違っていました。
室戸岬の端に中岡慎太郎は建っていました。
もっと海、ギリギリのところに建っているのかと思っていました。
山をバックに建っているとは想像もしていませんでした。

桂浜の坂本龍馬は、高い台座の上に海風を受けながら建っています。
須崎の武市半平太像も海と武市像という感じに建っていました。
この中岡慎太郎像は前は海ですが、背に山があるので海よりも山と結びつくような感じで建っていました。
思ったより小さいと思いました。
龍馬と中岡慎太郎をペアで考えていたので、同じような大きさの物が建っていると、どこか勝手に思い込んでいたのかもしれません。
顔も笑顔の写真が印象深かったので、ちょっと違う?って感じでした。

平日のお昼だったので、中岡慎太郎像の周りには5~6人の観光客していませんでした。
写真を撮っていたのは、私を含めて2人だけでした。
ん~、遠すぎてなかなか来られない?

中岡慎太郎はここに建って何を思い、何を見ているのでしょうか?
中岡慎太郎も海の向こうに夢を持っていたのでしょうか?
それでも故郷(正確には室戸は中岡の故郷ではありませんが、土佐・高知という場所として)の海はきっと中岡慎太郎に安らぎを与えているのでしょうね。

室戸岬の中岡慎太郎像は桂浜の坂本龍馬像の方を向いているといわれていましたが、方向的にはずれているという話も聞いた事があるのですが…。
須崎の武市半平太像も見たので、あとは足摺岬のジョン万次郎像ですか?!

夏を過ぎる頃から、台風の発生が多くなります。
「室戸岬沖○○㎞」や「室戸岬に上陸」などと、台風の直撃も多い場所ですが、中岡慎太郎さん頑張って建っていてくださいね。

帰宅するとインフルエンザで大変な事になっていました。


中岡慎太郎伝―大輪の回天中岡慎太郎伝―大輪の回天
(1998/12)
松岡 司

商品詳細を見る


【N95マスク】新型インフルエンザ、鳥インフルエンザ,立体タイプ マスク【3M 8000 N95 :30枚入1箱】 8000N95【N95マスク】新型インフルエンザ、鳥インフルエンザ,立体タイプ マスク【3M 8000 N95 :30枚入1箱】 8000N95
()
不明

商品詳細を見る


土佐くろしお鉄道
室戸市
 | HOME |