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三段壁

2009年10月24日
千畳敷と並んで有名な景勝地、三段壁(和歌山県西牟婁郡白浜町三段)です。
白浜 崖
千畳敷の南海岸にそそり立つ高さ50m~60mの断崖。
断崖絶壁の名勝として知られます。
断崖の先端には展望台があるので、雄大な海を見ることができます。

その昔、船や魚の群れ(鯨との説もあり)を見つけるための監視場(見壇・みだん)があり、これが転じて三段壁(みだんべき・見壇壁→みだんぺき→さんだんべき・三段壁)と呼ばれる様になったという説が有力です。
南北2㎞にわたって展開しています。

地下36mには海蝕洞窟が形成されており、断崖上から地中をエレベーターで降りると洞窟内部を観覧できます。(三段壁洞窟 ・ 有料)
Wikipediaより


千畳敷より約1㎞南へ行った場所にあります。

断崖絶壁です。
私は東尋坊に行った事がないので、比べることができないのですが、東尋坊の方がもっと高さがあるのでしょうか?
こうして写真で見ると、東尋坊の方が高くてもっとまっすぐに切り立っているようなイメージがあります。
どちらも怖いことには変わりがないですが…。

千畳敷といい、三段壁といい、自然って本当に凄いですよね。
こういう造形をみると改めて感じます。

このすぐ近くに、海水浴場で有名な白良浜海水浴場があり、白浜温泉があります。
さらに多くのパンダがいる南紀白浜アドベンチャーワールドもあるので、夏休みなどに行かれてみてはどうでしょうか?
海に温泉にアドベンチャーワールドと三拍子揃っているので、どの年代の人でも楽しめると思います。
そしてぜひ自然にも触れてみてください。
って、私は別に和歌山県民ではありません。



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千畳敷

2009年10月23日
千畳敷(和歌山県西牟婁郡白浜町日置)は有名な景勝海岸です。
千畳敷
新第三紀層の砂岩から成る、太平洋に面したスロープ状の岩盤です。
砂岩は非常に柔らかいため、打ち寄せる波の浸食を受け、複雑な地形を形成しています。
その広さはおおよそ4haで、畳を千枚敷けるほどの広さであることが名前の由来になりました。
三段壁・円月島と並んで、白浜町の景勝地として知られています。

普段は岩盤の上を歩くことが出来ますが、天候が悪くなると立ち入り禁止となります。
Wikipediaより


JR紀勢本線白浜駅から、県道31号線を県道214号線に向かって西へ。
藤島交差点を左折して県道33号線を進み、県道31号線を進みます。
大浦交差点を左折して県道34号に向かいます。
かんぽの宿白浜の近くに千畳敷があります。
JR白浜駅から約6㎞です。

和歌山白浜の千畳敷は有名です。
最近は落書きでも有名になってしまっているようです。
気が遠くなるほどの時間をかけてできた自然の造形が、人間の手にかかればあっという間に姿を変えてしまいます。
自然って驚異的な威力をもっているかと思えば、あっけないほど脆いところもあるのですね。
せっかく今まで大切に守って来られた風景なのですから、無意味に壊してしまうこともありません。

もしかしたら龍馬は船でこの沖合を通ったかもしれません。
さすがに千畳敷が見えるほど近くを通ったかは、わかりません。
勝海舟はどうでしょう?



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勝海舟寓居跡

2009年07月27日
和歌山市にある勝海舟寓居跡(和歌山県和歌山市船大工町28)です。
勝海舟寓居跡347
勝海舟は、文久3年4月、海岸砲台検分のため数日間和歌山に滞在していました。

文久3年4月10日、龍馬は勝海舟を訪ねています。
龍馬は16日には越前福井の松平春嶽のもとへ出立しています。

実際の場所は、ここから少し川の方へ行った所だったそうです。
坂本龍馬日記などより


JR紀勢本線と南海電鉄和歌山市駅から、前の道をまっすぐ約200mの交差点にあるお店の前にあります。
JR阪和線・紀勢本線・和歌山線とわかやま電鉄貴志川線の和歌山駅からだと、西口からけやき大通りを和歌山城に向かって歩きます。
お城を過ぎて西汀丁交差点から中央大通りを北へ、川を渡り船大工町交差点で左の道へ入ります。
次の五差路の交差点のお店の前にあります。
約2.5㎞です。

和歌山駅と和歌山市駅だと全然距離が違います。

和歌山にふらっと遊びに行った時に、偶然見つけたのです。
そのため、私はカメラを持っていませんでした。不覚。
携帯のカメラで撮ってもらったのを、貰ったのがこの写真です。
少し前の携帯カメラのものなので、若干不鮮明です。
(当時としてはいいカメラだったはずですが、携帯の進化は早すぎていまでは…。)
それでも、何も手元に残らないより100%嬉しいです。

見つけたときは、“勝海舟だ!!”と叫んでしまいました。
和歌山に勝海舟が来ていたのです。
ところが、帰宅後確認してみると、坂本龍馬も勝海舟を訪ねて来ているのです。
勝海舟の史跡ですが、坂本龍馬の史跡でもあるのです。

確かに和歌山城にも近く、和歌山港もすぐそこです。
滞在するにはいい場所だったのでしょう。

今はお店になっていますが、実際はもう少し川に近い場所だったともいいますので、この場所!と単純に喜べないかもしれませんが、同じ場所を歩いているはずです。
紀ノ川を見たはずです。
思わぬところで同じ空気を感じることが出来ました。


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高野山挙兵

2009年05月05日
新選組隊士であった橋本皆助が、陸援隊に入隊後参加した高野山挙兵の地、高野山(和歌山県伊都郡高野町高野山)です。
高野山1
根本大塔
落雷等の火災にあい現在の大塔は、昭和12年に完成しました。

高野山4
御影堂
弘法大師の持仏堂、念誦堂とされる建物で、本尊に真如親王筆の大師の御影をお祀りしています。
現在の建物は弘化4年の再建です。

高野山2
手前が准胝堂、奥が孔雀堂
准胝堂は、明治年間に再建された新しいものです。
本尊の准胝観世音像は平安初期の作風で、大師自ら彫刻されたと伝えられています。

孔雀堂は、後鳥羽上皇の御願により祈雨の修法をするために正治2年に創建されました。
現在の建物は、昭和57年の再建です。
本尊の孔雀明王像は、仏師快慶の作として有名です。

高野山3

高野山は、約1200年前に、弘法大師(空海)によって開かれた、真言密教の修行道場です。
高野山真言宗の総本山です。
標高は約900mです。

橋本皆助は、新選組隊士。
元大和郡山藩士で、安政年間には江戸詰となっていました。
本名は藤井勇七郎、同藩の橋本家の養子となって、皆助と改めたといいます。
水野弥太郎、水野八郎と改名しました。

元治元年3月、水戸天狗党の同志募集に応じ、脱藩して集義隊に加わりましたが、敗れて京に上り、新選組に加入したといいます。
入隊の時期は、慶応2年9月12日の三条制札事件に出動したさいに、まだ仮同志とされていることから、同年夏以降のことと考えられます。

三条制札事件では、浅野薫とともに斥候をつとめていました。
不審人物が制札に手をかけると、隊士が待機する三条通の酒屋と、先斗町の町会所に通報して、自らも刀を手に現場に走っています。
具体的な行動は伝わっていません。
しかし、働きが認められ、会津藩より褒賞金が与えられ、平隊士に昇格し、伍長とつとめるまでになっています。

慶応3年3月、伊東甲子太郎らが新選組から分離するさいに同行し、御陵衛士の一員となっています。
その後、8月に土佐の中岡慎太郎を隊長とする陸援隊が結成されると、御陵衛士を脱し、水野八郎名前で入隊しました。
鷲尾隆聚のもとに出入りして、その頃に作成された誓約書「有渝新盟」に本名の藤井勇七郎で署名しています。
12月8日には鷲尾隆聚の高野山挙兵に、陸援隊の同志とともに参加し、田中光顕を隊長とする東一番隊の伍長として、水野八郎の名前で記録されています。
翌年1月の鳥羽・伏見の戦いには高野山にいたため参戦していませんが、戦後は京都に戻って幹部隊士とともに軍曹に任命され、二条城中人数取締の役につきました。

その後、軍防裁判所頭取助役兼追捕手取に就任しましたが、明治2年には金銭的錯誤から免職のうえ禁錮となり、3年9月1日に放免、4日に郡山藩への復籍が命じられました。

その翌年の明治4年4月16日に37歳で死亡しましたが、暗殺との風聞も流れたといいます。
墓は奈良県大和郡山市西岡町の常光寺にあり、戒名を利長院義明日正居士といいます。

墓参すると腹痛が治ると言い伝えがあることから、腹部の内臓疾患による病死だったかもしれません。
高野山HP&新選組大人名事典より


南海電鉄難波駅~極楽橋駅の間を特急は1日に4往復、急行は約30分毎に1本の間隔で運行しています。
極楽橋駅からケーブルに乗り換えて高野山駅へ向かいます。
和歌山・奈良方面からは、JR和歌山線橋本駅で南海高野線に乗り換えです。
高野山駅から高野山への入口女人堂まで、約1.6㎞あります。
歩いても行けますが、バスが走っているのでバスを使うと便利です。

高野山は癒されます。
空気が全然違います。
静寂が心身ともに心地いいです。

京都のお寺とは異質なものでした。
あくまでも私見で印象です(実際にそうであるという事とは違います)が、
京都のお寺は、歴史という言葉をかざして、お金にも細かいという印象。
奈良は、素朴で親切な親近感のある印象。
そして高野山は、修行の場であり、お坊さんが弘法大師に寄り添って、人の罪も許そうとしている印象です。
この空気は好きです。

私が最初に高野山を訪れたのは、短大のゼミでの旅行でした。
初めて宿坊に泊まりました。
感動した事が2つ。
ひとつは平安時代頃の書物をガラス越しではなく、目の前数十㎝で何冊も見せていただけた事。
同学校の大学(or大学院か忘れてしまいました)の方の研究の為、教授が1ページずつ写真撮影をしていたところにお邪魔させて頂いたのです。
経典382  巻物383
平安期の経典と巻物だそうです。

ふたつ目は、朝のお勤め、宗教上もちろん強制ではなかったのですが、ほぼ無宗教の私はお勤めに出ました。
6~7人もお坊さんがいたでしょうか。
それだけの方が般若心経を唱えると、ずっと聞いていたいような気になりました。
お腹に響くような…。
8月末に行ったのですが、下界とは5度ぐらい違って涼しかったです。

2度目はつい最近でした、何年経っても変わっていなくてホッとしました。
2度目は親のリクエストで日帰りで行ったので、歴史上の有名人のお墓めぐりなどをしました。

こんな高野山なのに、幕末には挙兵という血生臭い舞台になっていたのです。
想像できません。

橋本皆助という人は、集義隊→新選組→御陵衛士→陸援隊と…、何がしたかったのでしょう。
時代を読む力があったという事ですかね?
高野山のどのあたりで何があったのかまでがわかりません。
新選組の史料だけでは、ここまでが限度でした。
調べてみて、判ったらまた補遺として追加します。


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