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六角堂 頂法寺

2009年05月31日
六角堂で親しまれている頂法寺(京都府京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248)です。
六角堂1

六角堂5  六角堂6

聖徳太子は、蘇我氏と物部氏との戦いで、「勝たせていただければ、四天王寺を建立いたします」と如意輪観音に祈りました。
崇仏派の蘇我氏が勝利した後、報恩のため四天王寺を建立しますが、そのための用材を求めてこの地を訪れました。
その際、太子は池で水浴をするためい、傍らの木に衣服とともに持仏の如意輪観音像を収めた箱を掛けておいたところ、如意輪観音像は重くなり動かなくなってしまいました。
夢告によりその観音がこの地にとどまり衆生を済度することを希望したので、その観音像を現在地に安置し祀る事にしました。

老翁がやってきたので、「この辺りに観音のお堂を建てるにふさわしい木はないか」と尋ねました。
老翁は「この近くに杉の巨木があります。毎朝紫の雲がたなびく霊木です。あの木を使うとよいでしょう」と言って去りました。
その杉の巨木を伐採して六角形の堂を建立したのが始まりといいます。

観音像は、太子の幼少時、淡路島の岩屋で水浴している時に隋から流れついたもので、像高一寸八分、太子の前世の守り本尊であったものと伝承されています。


六角堂3聖徳太子沐浴  六角堂4聖徳太子沐浴
聖徳太子沐浴の池跡
六角堂の北に、太子が沐浴したと伝わる池跡があります。
この池のほとりに小野妹子を始祖と伝える僧侶の住坊があったので「池坊」と呼ばれるようになりました。
池坊の祖先は、朝夕宝前に花を供えてきました。
これがいけばな発祥の地となって行きました。


六角堂2へそ石
へそ石
本堂東側の柵で囲われた中に平面六角形の平らな石があり、「へそ石」または「要石」と呼ばれています。
旧本堂の礎石と伝えられ、頂法寺が平安京造営以前から存在し、位置も移動していないことから、この石が京都の中心であるといわれています。
もとは門前の六角通にあったものを、明治初期にこの場所に移したのです。
石の中央に孔があり、元来は燈籠等の台石であった推測されます。
Wikipediaなどより


阪急電鉄京都線烏丸駅や京都市営地下鉄烏丸線烏丸駅から、烏丸通を北へ400m。
または、京都市営地下鉄烏丸線か京都市営地下鉄東西線烏丸御池駅から、烏丸通を南へ100mです。

華道で有名な池坊のゆかりのお寺です。
六角堂ですから、六角形です。
六角形には、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって生ずる六欲、つまり煩悩を脱して角を無くし、円満になる…、「六根清浄を願う」という祈りを込めて六つの角を造ったといわれているそうです。
しかし法隆寺夢殿、広隆寺桂宮院と八角形だったので、聖徳太子は“八”と結びついているものだと思っていました。

お寺は回りからキュッと挟まれているように建っていました。
太子沐浴の池はあまりに綺麗に整備されていて、聖徳太子を思い浮かべるのは無理でした。
綺麗すぎて、本当に?と思ってしまいうほどでした。
へそ石も残念な事に、六角通から数mとはいえ動かされていました。

聖徳太子の護持仏は秘仏で見ることが出来ないのが残念です。
よくあることですが、秘仏としてお寺の方も見たことがない仏様は大丈夫なのでしょうか?
何が…、木造なら虫食いですとか、保存状態の確認という事です。
千数百年とかの時間、どうなっておられるかもわからないのです。
大丈夫なのでしょうか?
仏様も外の空気を吸ったり、お日様の光を浴びたいとお思いにならないのでしょうか?
そういうものを超越したのが仏様ですか。


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平野神社

2009年05月31日
桜の名所、平野神社(京都府京都市北区平野宮本町1)です。
平野大社205
太秦・広隆寺は創建当時平野神社近くにあったとされます。

祭神は、
今木神(第一殿) -- 源気新生、活力生成の神  (染織・手芸・衣の神)
久度神(第二殿) -- 竈の神、衣食住の生活安泰の神  (竈・台所・食事の神)
古開神(第三殿) -- 邪気を振り開(晴)く平安の神  (斉火の神)
比売神(第四殿) -- 生産力の神。光仁天皇の妃高野新笠とする説もありました。
今木神の今木は今来のことで、渡来人を意味します。

794年、桓武天皇による平安京遷都にともない、平城京で祀られていた今木神・久度神・古開神を遷座・勧請したのに始まります。
元々今木神は平城京の田村後宮に、久度神・古開神は大和国平群郡の式内・久度神社に祀られていました。
比売神は承和年間より祀られるようになったものです。

応仁の乱をはじめ、たびたび社殿が焼失し、そのたびに再建を繰り返し、天文法華の乱によって、社殿および社領は完全に荒廃したといわれます。

2005年まで鳥居の扁額には「平野大社」と銘記されていました。
Wikipedia&平野神社HPより


京福電鉄北野線北野白梅町駅から、西大路通を北へ500mです。

ここが直接、聖徳太子とゆかりがあるのではなく、太秦にある広隆寺が創建された当時はこの神社の近くにあったとされているという、目印のような意味で訪れてみました。
太秦の広隆寺からおよそ5.5㎞離れています。
5.5㎞が近いのか遠いのかは微妙な距離ですね。
移転とするれば、近くでより良い地に移転したということなのでしょう。

この付近に広隆寺があったのですが、今はそれを示すものは何もありません。
このまま南へ行くと、壬生寺の辺りに出ます。
聖徳太子よりも新選組が歩いたかもしれないという思いの方がします。
もしかしたら歩いているかもしれませんよね。
桜の名所ですから、市中見回りや仕事で近くを通ったときは、桜の花を横目にみて歩いたかもしれません。


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広隆寺

2009年05月29日
京都最古の寺院で、有名な弥勒菩薩半跏像がある、広隆寺(京都府京都市右京区太秦蜂岡町)です。
広隆寺1200
京都最古の寺院で、聖徳太子建立七ヵ寺の一つです。
また秦氏の氏寺とされ、寺号は創建者である秦河勝の実名「広隆」にちなむといいます。
古くは蜂岡寺と称しました。
秦氏は5世紀後半に朝鮮半島より渡来した有力氏族で、治水・潅漑や養蚕・機織などの進んだ技術を背景に経済力を蓄えました。
山背(山城)国葛野郡が本拠地で、広隆寺はその氏寺でした。
創建期の伽藍は、現在の平野神社(京都市北区)のあたりにあったといいます。

『日本書記』の603年には、秦河勝が聖徳太子より仏像を賜り、蜂岡寺を造って祀ったとあります。
この仏像が国宝指定第一号として有名な“木像弥勒菩薩半跏像”といわれています。
616年に新羅の使者が奉った仏像と伝えられる“宝髻弥勒半跏像(別名 泣き弥勒)”もあります。

「九条河原里荒見社里」から「五条荒蒔里」(現在地)に移転したとされますが、旧寺所と移転の時期については諸説あります。

10月12日の夜、牛に乗った摩多羅神が槍を携えた四天王を従えて境内を巡り、金堂前の壇上で祭文を読み上げる奇祭「牛祭」が境内の大酒神社で行われます。
聖徳太子の本&日本の国宝015より


蜂岡寺礎石201
右京区役所から出た蜂岡寺の礎石

桂宮院202
桂宮院本堂
建長3年、中観上人により再建されました。
八角円堂の建物で、桧皮葺の緩やかな屋根をもち、しかも軒の反りが強いです。
推古天皇11年に聖徳太子が殿舎を建てられ楓野別宮と名づけられました。
後にこれを寺として桂宮院と号しました。


京福電鉄嵐山本線太秦駅の北側です。
駅を降りると目の前に仁王門が見えます。

太秦という地名の由来は、
秦氏が大和政権に税を納める際、用いた絹が「うずたかくつもられた」ことから、朝廷から「うずまさ」の姓を与えられ、これに「太秦」の漢字表記を当てたという説。
秦氏の拠点であったことから、拠点という語義を「太い」という字で表し、「まさ」は秦氏の「秦」をもって表記し、「うずまさ」と呼ぶようになったという説。
Wikipediaより
などがあります。
歴史か地理かで習った記憶があります。

広隆寺に出かけたのは、いくつか見たいものがあったからです。
まずは仁王門…の前にある、蜂岡寺の塔心礎です。
蜂岡寺のものですから、当時の古いものです。
秦河勝が見た蜂岡寺のものかもしれません。
何年前のものなのでしょう…。

2つ目は、これが本命といってもいいのかもしれません。
“弥勒菩薩半跏像”
霊宝殿に入ると、薄暗い室内に弥勒菩薩半跏像が微笑んでおられました。
元は金箔に覆われていたそうですが、金箔は全部剥がれ落ちていましたが、私は今の方がいいような気がします。
煌びやかよりも落ち着きます。
穏やかな雰囲気の仏像で、ずっと見ていたい…、何度でも見てみたいと思いました。
私もついつい霊宝殿から離れがたく、長居をしてしまいました。
中宮寺の菩薩半跏像とともに、とても惹きつけられる仏様でした。

3つ目は、桂宮院です。
聖徳太子の史跡巡りとして訪れたのならば、聖徳太子をまつる桂宮院は見ないといけません。
が、この桂宮院は4、5、10、11月の日曜・祝日しか拝見できません。
法隆寺夢殿と同じ八角円堂というところが、聖徳太子を思い起こさせますね。
ただし、これは1251年以降に造られたもののようですので、聖徳太子が直接造ったり、関わったものではないのです。
夢殿は瓦の屋根ですが、こちらは桧皮葺なので柔かい印象を受けます。
夢殿の方が、どっしりとしていますね。

そして最後は、上宮王院の聖徳太子立像です。
この立像は、歴代天皇の即位式に用いられた黄櫨染の御袍と同じ物を、その一代を通じて着用しています。
現天皇の即位の後も、古式に則って御袍下賜がありました。
すごく特別な感じがしますよね。
日本では聖徳太子は特異な位置にあるように感じました。
この御袍の下は、彫刻された下着姿だそうです。
そんな事を念頭に置きながらこの立像をみると、御袍を脱がれた姿も見てみたくなりました。
罰当たりですか?

広隆寺は京都にありながらも、JR京都駅や阪急・京阪四条駅周辺とは雰囲気は全く違います。
中心部より人々の生活感がある感じがします。
この広隆寺の裏、北側に東映太秦映画村があります。
時間があれば時代劇に浸ってみてはどうでしょうか?


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(2000/11)
小川 光三

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