鳥羽水族館

2013年11月17日
鳥羽水族館(三重県鳥羽市鳥羽三丁目3番6号)に行ってきました。

世界屈指の規模を誇る水族館です。
水族館自体も飼育種類数日本一をキャッチコピーとしています。
自然の環境を再現したゾーンが12あり、それらには約1200種類30,000点もの海や川の生きものが飼育・展示されています。
通路は観覧順序を無くした自由通路となっており、通路全長は約1.5km。

絶滅の危機にある希少海洋生物の保護・育成にも力を入れており、スナメリの赤ちゃん誕生、日本初のラッコ2世の誕生、ジュゴン飼育の世界記録11,475日(31年5か月)も保持しています。
世界記録を更新していたオスのジュゴン・じゅんいちは2011年(平成23年)2月10日に推定33歳で亡くなった。

・パフォーマンススタジアム - 人気のアシカ達のショーを見せてくれる。

・海獣の王国 - 12m×13.5m×4.3m(水量約650t)のプールを本物そっくりの岩で覆い、鰭脚類が多く生息する、チリの海岸を再現している。トド、ゴマフアザラシ、ハイイロアザラシを展示。

・古代の海 - カブトガニやオウムガイ、オーストラリアハイギョやチョウザメ、アリゲーターガーといった古代魚、さらにシロワニなどのサメやエイなどいわゆる「生きている化石」を展示。シーラカンスの映像展示もある。

・コーラルリーフ・ダイビング - サンゴ礁を再現し、ナポレオンフィッシュなどの熱帯魚や、ウミガメ、サンゴを展示。

・伊勢志摩の海・日本の海 - スナメリやカニ・ウツボなど、日本近海や伊勢湾に生息する生き物を公開。

マナティ
・ジャングルワールド - アフリカマナティやピラルクー、デンキウナギ、ピラニア、カピバラ[など、アマゾン川流域などの熱帯雨林に住む生き物を展示している。


・森の水辺 - 熱帯雨林の湿地帯や池のほとり、川の岸辺に生息するワニガメやミズヘビなどの爬虫類、ベルツノガエルやヤドクガエルなどの両生類、カブトムシやクワガタムシなどの昆虫類を展示している。

ジュゴン
・人魚の海 - 日本で唯一ジュゴンを展示。アオウミガメも展示している。

パンダイルカ
・極地の海 - 厳しい極寒の世界に生きるラッコ、イロワケイルカ、バイカルアザラシ、クリオネを展示。

・日本の川 - 大きな滝を再現し、ヤマメなど日本の河川に生息する魚を展示。また、マングローブ帯の水槽など亜熱帯の水辺コーナーもありミシシッピワニやヤシガニなどを展示している。

セイウチ
・水の回廊 - モモイロペリカン、フンボルトペンギン、コツメカワウソ、セイウチ、アメリカビーバーを展示。

・特別展示室 - ミズクラゲ、アカクラゲなどのクラゲ類やウィーディーシードラゴン、チンアナゴなど珍しい生物を展示している。

・ザリガニコーナー - アメリカザリガニ、ヤビー、マロンロブスター、ニホンザリガニなど常時、数種類のザリガニを展示。

ダイオウグソクムシ1  ダイオウグソクムシ2
・へんな生きもの研究所 - 2013年7月13日オープン。ダイオウグソクムシ、カエルアンコウ、ウミサボテンなど、変わった生態や形態の生き物を展示。

羽水族館で2007年9月から飼育されているダイオウグソクムシの1個体 (No.1、愛称「1号たん」) は、2009年1月2日に餌を食べて以来、月1度の餌やりにも反応せず、2013年1月に絶食から5年目に達し話題となっている。
もともと飢餓に強いダイオウグソクムシであるが、ここまで長い期間絶食した例はない。
ニコニコ生放送では絶食状態のダイオウグソクムシの様子を長時間配信する企画を行い、思わぬ人気を博す。
それとは別個体であるNo.9、愛称「9号たん」が2013年6月に死亡した際は追悼放送が告知された。
Wikipediaより


30数年ぶりに鳥羽水族館に行きました。
小学校の修学旅行で鳥羽水族館に来て、ジュゴンはずっと記憶に残っていました。
あと2年早く来ていたら、30年ぶりにご対面ってなたのかもしれませんね。
でも、ジュゴンを人魚と間違える…って、あり得なさそうな気がするのですが、でもネッシーや雪男も正体をしるとあり得ない、よく知っている動物かもしれないですよね。
ネッシーは偽物と確定したのかな?
でも池田湖のイッシーがいますね。

鳥羽水族館のどこからでも自由に見られるのも良かったです。
海遊館は構造的に絶対的に順路が決まってますからね。
海遊館は海遊館であの大水槽は魅力的です。
小さな子を連れてだと、空いている所から見られて自由には楽でした。

今回の目的の一つは、ダイオウグソクムシでした。
テレビで何度か見ていたのですが、「うっわぁ~大きい!」という皆のコメントを聞いていて、自分の中である程度の想像をしていまいた。
さあ、ダイオウグソクムシだ!
「え~、小さいやん!?」
これが私の心の叫びでした。
ダンゴムシと比べると、巨大ですが、皆のコメントからもっと巨大な物を想像していました。
絶食中の個体をさがしても、重なり合っているのでよくわからずで、ちょっと拍子抜けでした。

セイウチのショーはベンチに座っていたのですが、前にドンドン人が立って、何も見えず終わってしまいました。
あ~あ。
でも最後は触らせ貰えるんですよ。
私は触れませんでしたが…。
閑散期(があるのか?)に行って、セイウチショーを見てみたいですね。
凄く賢いです。

最初の予習ではそれほど時間が持たないのでは?と思っていたのですが、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
1日、十分楽しめます。

お土産はもちろん、ダイオウグソクムシグッズです。








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鳥羽展望台

2013年11月16日
鳥羽展望台(三重県鳥羽市国崎町字大岳3-3)

鳥羽展望台4

鳥羽展望台2  鳥羽展望台1

鳥羽展望台3

三重県鳥羽市のパールロード沿線にある展望台。
パールロード随一の眺望と称されます。
箱田山の山頂にあり、元旦には初日の出を見に来る客で賑わう。

展望台からは太平洋が一望でき、渥美半島・神島・安乗岬・大王崎のほか、天候次第で富士山や日本アルプスまで見通せるといいます。
敷地内に展望所が点在しています。
展望台のほかに観光施設・食国蔵王と箱田山園地がある。

初日の出の際には午前4時に駐車場が開放され、4,000-5,000人の人出がある。
レストランでは初日の出を眺めながら朝食を摂ることができます。

園内には山口誓子の句碑や、鳥羽市出身の鳥羽一郎・山川豊兄弟の楽曲「兄弟酒」(作詞:星野哲郎、作曲:船村徹)の歌詞が刻まれた本の形の石碑があります。
Wikipekiaより


鳥羽展望台からの風景です。
綺麗な眺めです。

海は綺麗で良かったのですが、展望台では蜂が…それもスズメバチが飛んでいて怖かったです。
大人はスズメバチの怖さを知っていますが、幼児は分からないので、蜂がいようといまいとお構いなしに好きなところに走っていくので、気がきでなくて大変でした。

建物も壁(扉)を開放しているので、中にも飛んでくるしで、どこに逃げようかと思ってしまいました。

初日の出の季節なら寒いけれど、蜂はいなくていいかもしれませんね。






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相差の海

2013年11月15日
相差の海・千鳥ヶ浜(三重県鳥羽市相差町)です。

相差海岸1  相差海岸2

相差朝日 

鳥羽10景に数えられている白砂のビーチ。

穏やかな海です。
時間があれば、海水浴も…と思ったのですが、時期的に幼児が海水浴するには寒いのと、時間的に無理だったので、海岸の散歩のみになりました。
流石に、朝早かったので泳いでいる人はいませんでした。

下の写真は、夕日ではなく“日の出”です。
綺麗な日の出が見られました。
海に写る太陽に光が綺麗でした。

私は日の出より、夕日の方が好きかな…と思っていましたが、朝日もいいかな(笑)
どちらも綺麗!と感動するようなのは滅多に見られないですね。









伊勢神宮-宇治橋からみた風景

2013年11月14日
宇治橋(三重県伊勢市)からみた風景です。

宇治橋より1  宇治橋より2

宇治橋は、三重県伊勢市にある皇大神宮(内宮)の参道口にある橋。
別名御裳濯橋(みもすそばし)。

宇治橋は伊勢の神宮の内宮の参道口にある長さ101.8m、幅8.42mの木造の和橋(わきょう、日本風の橋)で、橋の両側に神明鳥居がある。
五十鈴川に架けられたこの橋は内宮参拝時の記念撮影の名所になっており、内宮のシンボルとされる。
神宮の定義では宇治橋を渡った先は神域ではなく神苑であるが、崇敬者・参拝者は通常神域と扱うことから、一般に「俗界と聖界の境にある橋」とされる。


宇治橋は内宮創建当初には架けられておらず、五十鈴川の浅瀬に石を並べ渡っていたと考えられている。
雨で増水すると渡れなくなり祭事に影響するため、架橋が望まれていた。
斎王が神宮を運営していた時代には朝廷の公費で運営されていたが、五十鈴川への架橋の費用は認められなかった。

内宮前の五十鈴川の橋の最古の記録は1190年代(建久年間)に書かれた『皇太神宮年中行事』の津長神社(つながじんじゃ、現在は内宮摂社)での「橋」となる。
続いて南北朝時代に斎王が廃止されたころの1342年(康永元年)に書かれた『伊勢太神宮参拝記』となるが、いずれにせよどのような橋であったかは記されておらず定かではない。
これ以後は室町時代に度々流されたと記録されていることから、仮橋か水面すれすれ程度の低い橋であったと推測される。
斎王廃止とともに朝廷からの運営資金が滞るようになり、式年遷宮が遅れがちになった。

足利幕府の政権が揺らぎ始め徐々に政情が不安定になると伊勢国国司の北畠氏や志摩国の土豪などが神領(神宮の領地)を取り上げ始めた。
荘園などからの収入が激減した神宮は弱体化し、1429年(正長2年)に外宮の神人(下級神職)と地下人(村人)と合戦が生じた。
これ以降、宇治山田合戦に代表される神領での争乱が多発した。
北畠氏や土豪が争乱に介入して神領を次々に収奪、結果として神宮は困窮を極めた。
外宮では1434年(永享6年)の第39回式年遷宮を最後に中絶となり、内宮では第40回式年遷宮が予定より11年遅れて1462年 (寛正3年)に行なわれたもののこれを最後に戦国時代には中絶され、外宮内宮両宮のすべての宮社が荒廃した。

神宮の荒廃を嘆いた僧尼たちが神宮の許可の得て日本中を回り、五十鈴川への架橋を主とする資金を集め始め、これらの僧尼は勧進聖と呼ばれた。
聖の最古の記録は室町時代の1452年(享徳元年)の賢正と最祥の2人の僧であるが、10年以上の行脚ののちに2人とも行方不明の結果に終わった。

この2人の消息が不明になったころに大橋勧進聖本願坊を名乗る聖が現れ、1464年(寛正5年)に大橋が完成し、荒木田氏経ら10人の禰宜が13,000回のお祓いを行ない、橋が末永く使えるように祈願した。
「大橋」の名はこの時の記録が初出であるが、このころには橋が何回も流されていたため、橋祈祷を行なうことが通例となっていた。
この「大橋」は翌年の夏に洪水で流されてしまったため、仮橋架橋の費用として足利将軍家から100貫匁が大橋勧進聖本願坊を通じて寄進されたが、この仮橋も1年もたずに流されてしまった。

現世と来世の利益を庶民に説いて回った稲苅十穀乗賢という聖が、1477年(文明9年)に宇治橋を造営する資金の調達に成功した。
沙門道順、観阿などの活動がこれに続き、守悦は8年の活動ののちに1505年(永正2年)に御裳濯橋架橋を成功させた。
これら聖は宇治橋だけでなく、風日祈宮参道の風日祈宮橋も造替している。
守悦法師から3代目の清順は1547年(天文16年)に御裳濯橋を造営し、戦国時代末期の1563年(永禄6年)、約150年間途絶えていた外宮の遷宮を再興させた。
この功績で清純は後奈良天皇から慶光院の号を許され慶光院上人となり、守悦は初代慶光院上人と呼ばれるようになった。
1594年(文禄3年)に豊臣秀吉が宮川下流左岸の磯(現在の伊勢市磯町)の100石を慶光院の寺領として与えた。磯の住人には神宮式年遷宮で内宮正殿の御扉木の用材を奉曳(用材を運搬すること)する特権が与えられた。
磯の住民による奉曳は慶光院曵と呼ばれ、慶光院が明治に廃寺となったのちも受け継がれ、第62回神宮式年遷宮での御扉木は2006年に慶光院の子孫と磯の住民などにより宇治橋の前を経由して奉曳された。
天正年間に海賊大名で知られる九鬼嘉隆が宇治橋奉行を務めた。

江戸時代になり大坂夏の陣で豊臣氏が滅んでから4年後の1619年(元和5年)には時の将軍徳川秀忠が宇治橋を造替した。
徳川幕府の政権下で日本の政情が安定すると、御師が活発に活動するようになり、安定した資金調達により式年遷宮は途絶えることはなくなり、宇治橋の造替も滞りなく行なわれた。
お蔭参りが流行したころには宇治橋五十鈴川へ投げ銭をする参拝客が多く、橋の下で投げ銭を網で拾う人が現れ網受けと呼ばれた。
網受けは明治初頭に神域に相応しくないと禁止された。
懐かしむ声により一時的に復活したものの、再び禁止された。

明治初期までは宇治橋の内にも民家があったが、神苑会による神苑整備の一環として退去させられた。
このころに五十鈴川は石垣で護岸され、宇治橋西側が参道口として整備され饗土橋姫神社が山寄りに移動させられ、現在の宇治橋前の景観が整えられた。
Wikipediaより


宇治橋からみた風景です。
清流ではないのですよね。

神社には、禊ぎをする川がありますね。
伊勢神宮の五十鈴川、上賀茂神社の御手洗川など思いだします。

それにしても、この宇治橋の歴史は読んでいておもしろかったです。
宇治橋内にあったという民家は、どういう人たちが住んでいたのでしょう。
信念整備の一環、悲しい理由です。






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伊勢神宮内宮(式年遷宮前)

2013年11月13日
伊勢神宮内宮(三重県伊勢市宇治館町1)

伊勢神宮内宮

伊勢神宮内宮1 

正式名称は地名の付かない「神宮」

太陽を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮は、内宮とよばれます。


天照大神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話に登場する神。
皇室の祖神で、日本民族の総氏神とされています。
『延喜式』では自然神として神社などに祀られた場合の「天照」は「あまてる」と称されています。

記紀によれば太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)の一柱とされる。
信仰の対象、土地の祭神とされる場所は伊勢神宮が特に有名。

『古事記』においては天照大御神(あまてらすおおみかみ)、『日本書紀』においては天照大神(あまてらすおおかみ、あまてらすおおみかみ)と表記される。
別名、大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)。
神社によっては大日女尊(おおひるめのみこと)、大日霊(おおひるめ)、大日女(おおひめ)とされています。

『古事記』においては「天照大御神」という神名で統一されているのに対し、『日本書紀』においては複数の神名が記載されている
。伊勢神宮においては、通常は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、あるいは皇大御神(すめおおみかみ)と言い、神職が神前にて名を唱えるときは天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)と言う。

『日本書紀』ではスサノヲが姉と呼んでいること、アマテラスとスサノオの誓約において武装する前に御髪を解き角髪に結び直す、つまり平素には男性の髪型をしていなかったことに加え、機織り部屋で仕事をすることなど女性と読み取れる記述が多いこと、後述の別名に女性を表す言葉があることなどから、古来より女神とされています。
また一般に大和絵や宗教、日本人が最初に神代の時代を知る小中学校の社会科などでも女神として表されるのが主流である。
言語学的には別名「オホヒルメノムチ」の「オホ」は尊称、「ムチ」は「高貴な者」、「ヒルメ」は「日の女神」を表す。
また、イザナギとイザナミの子のうち、三貴子の兄として(『古事記』ではイザナギとイザナミの最初の子として)「ヒルコ(日ル子)」という男子が生まれている(三年たっても足がたたなかったため、遺棄されてしまった)が、「ヒルコ(日ル子)」と「ヒルメ(日ル女)」の男女一対の言葉の対象性は、「ヒコ・ヒメ」、「ヲトコ・ヲトメ」、「イラツコ・イラツメ」など、古い日本語に伝統的に見られるものでもあり、名前からも女神ととらえることが順当である。
中世には仏と同一視されたり、男神とする説も広まったが、『日本書紀上』日本古典文学大系は男神説を明確に否定している。

天照大神は太陽神としての一面を持ってはいるが、神御衣を織らせ、神田の稲を作り、大嘗祭を行う神であるから、太陽神であるとともに、祭祀を行う古代の巫女を反映した神とする説もある。
Wikipedeaより


外宮から随分距離がありますよね。
さすがに歩いて行くには、時間の関係で無理だったので車で移動しました。

内宮の方が落ち着いた感じがした気がしますが、多くの方がいうような“空気が違う”は感じる事ができませんでした。
私の煩悩が多すぎるのかも…。
子供が迷惑をかけないようにとか、気が気でないのも要因の一つかな。
なんとなく、すごく神聖な場所で、ちょっとの粗相も許されないというイメージがあって、子連れは気付かれしました。
神様は寛容なのかしら?
罰を与えるのは神様ですよね?
仏様は?

ところで凄く下世話な疑問です。
神道の方には不愉快かもしれないです。

伊勢神宮と出雲大社だとどちらが、神の世界では中心なのですか?
伊勢神宮は天照大神という天地創造の神様が主神ですよね。
皇室ともゆかりがありますし。
神様の大元というのでしょうか?

出雲大社は神無月があるように、神様が大集合する月がありますよね。
出雲では神有月というと聞きました。
伊勢の神様は出雲には行かれないのかもしれませんが…。

神様の世界ではそれぞれはどういう位置になるのでしょう。









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