江戸川

2009年03月27日
千葉県流山市流山6の光明院の近くからみた江戸川です。
江戸川2  江戸川3
関東地方を流れる一級河川。
利根川水系の分流で、流路延長59.5km(旧江戸川河口より)、流域面積約200km²です。
茨城県、千葉県、埼玉県、東京都の1都3県に及びます。
Wikipediaより


土方歳三や近藤勇もこの江戸川を渡りました。
この日は雨の為、水量が増していたようですが、普段の水量はどれぐらいなのでしょうか?
簡単に渡れる川ですか。

“箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川”といいます。
これは江戸防衛のために大井川には橋を架けなかったのですが、今見渡しても江戸川に橋がみあたりません。
やはり江戸川も渡りにくい川だったのでしょうか?
浅い川だと濡れながらも、川の中を歩いて渡れますが…。

防衛の為には川は大いに役立ちますが、いざ自分が攻めたり、敗走するとなると大変な難所になってしまいますね。

しかし私がこの江戸川を見て思ったのは、「江戸川って大きい川なんだ。」でした。
次の瞬間思い浮かんだのは、“江戸川乱歩”や“江戸川コナン”という名前でした。
人の名前では耳にしていた“江戸川”ですが、本物の川を見て、「江戸川って本当にあるんだ~。」と変な感心をしてしまいました。


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江戸川

この場所はどこですか?

2009年03月26日
(流山付近4)
   Where is this place?

この写真の場所が全く判りません。
この後、大林院跡かと思われる雨の暗闇の道路の写真を撮ったのです。
なのでその近くの場所で撮ったと思うのです。

なぜ撮ったのか。
場所はどこなのか。

大林院跡のひとつの候補だったのでしょうか?
新選組関係でしか写真を撮らなかったので、なんだかの史跡か説がある場所のはずなのですが。

この不鮮明な写真をみてどこだか判りませんか?
千葉県市川周辺にはほぼ間違いないはずです。

大林院跡?

2009年03月25日
大林院跡(千葉県市川市)については、諸説あるようです。
(流山付近5)
私が千葉の史跡巡りに連れて行って貰った時に、このあたりに大林院があったようだと教えてもらって撮った一枚…だと思います。
雨が降り、日は落ちて真っ暗、とりあえず片手でカメラのシャッターを押したのがこの写真です。
市川市市川1丁目付近だったかな?

水戸佐倉道分間延絵図から、だいたいの位置を推測するそうです。
絵図では「大林房」。現在は普通の住宅地になっているそうです。
歴史博物館では、この普通の住宅地の説のようです。
すぐ南側には手児奈霊神があります。
すぐ北には弘法寺があります。

大林院跡(千葉県市川市市川1丁目24-2)
新政府軍に抗戦するため市川に集結した旧幕臣たちが、慶応4年4月12日に軍議を開いた寺です。
前日から国府台(鴻ノ台)に総寧寺に屯集していた1,400人の兵に加え、この日、旧幕府歩兵奉行の大鳥圭介が1日遅れて、市川宿に到着しました。
大鳥の率いる伝習隊(小川町大隊)は約600の軍勢で、旧幕府脱走軍は合計2,000人余の兵力にふくれ上がりました。

当日の軍議では、全軍を指揮する総督として大鳥圭介が選出され、土方歳三も参謀に就任しています。
新選組隊士は7名しか参加していないのですが、こうして抜擢されたのは、新選組副長として活躍した京都時代の実績が評価されたようです。
また、軍議の結果、全軍は前、中、後の三軍に分けられ、前軍は会津藩士秋月登之助および土方が率い、中、後軍は大鳥直接指揮を執ることになりました。
12日のうちに全軍は市川を出発し、宇都宮、日光方面へ進軍を開始しました。

大林院は、現在廃寺となって建物は残っていません。
市川市真間4丁目の弘法寺の塔頭であったといいますが、弘法寺にも当時の記録や伝承が残されていません。
大林院跡地は、市川市西消防署が建てられています。

土方歳三写真集では、市川市西消防署脇の自然幼稚園前の公園付近を、新選組史跡事典では、市川市西消防署が写真で紹介されています。
新選組史跡事典&土方歳三写真集などより


市川市西消防署と自然幼稚園前の公園を大林院跡として訪れるならば、
JR総武本線市川駅北口を出ます。国道14号を右に曲がると、左斜め前方に西消防署の高い建物があります。
その横の道を入ると、幼稚園前の公園があります。

弘法寺(千葉県市川市真間4丁目4)の辺りに行くならば、JR総武本線市川駅西端から伸びる道をまっすぐ北に直進します。約1㎞、本当に直進のみで弘法寺です。

軍議が開かれ、土方歳三も参加。
参謀に就任しているというと、新選組の史跡としては第一級の史跡ではないですか。
それなのに私の記憶は曖昧すぎです。
反省。それ以前に口惜しいです。
ちゃんとメモを取るなりしておかなかった自分がイヤになります。

写真の場所も不明ですが、お寺に行った帰り道で、駅に向かう途中だった記憶があります。

範囲としてはそれほど広い範囲ではなく、ある程度の範囲で大林院があった場所は推測されているようです。
流山周辺については、確定されている事柄が少ないですね。
近藤勇の陣屋さえも確かなものではありませんでした。
新選組が一番混乱していた時だったのでしょう。
一つ一つを記録に留める間もなく、次から次へと状況が変化していったのでしょう。
その土地に人たちも、いろいろと起こり過ぎて知りえた時には、もうそれは過去のものになっていたのかもしれませんね。

少しずつでも新しい事実がわかればいいのですが。


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布施弁天東海寺

2009年03月24日
布施弁天東海寺(千葉県柏市布施1738)です。
紅龍山1?

紅龍山2?  紅龍山3?
水海道方面へ向かった土方歳三らは、七里ヶ渡しから利根川を越えたのでしょうか?
『谷口四郎兵衛日記』によると、「13日、布施弁天駅泊陣/14日、滞陣」とあります。

JR常盤線北柏駅を降りて、国道6号を東へ約600m、根戸交差点から国道を離れ北へ曲がります。
柏市総合運動場横の分岐を一番右(東)の道路へ。
さらに約1.8㎞、あけぼの山公園の北側にあります。

あるいは、我孫子駅北口より「あけぼの山公園」行にて終点徒歩10分位。
柏駅北口より4番バス停「布施」行にて終点 。

片道は歩いた記憶があります。
烏の大群が電線に止っていて、不気味でした。
幸い3人で歩いていたので、負ける気はしませんでしたが。

さて布施弁天東海寺になぜ行ったのか…。
柏市に住んでいた、新選組仲間に連れて行ってもらったので、ちゃんと判って行っていなかった事がまるわかりですね。すみません。
「土方歳三が泊まった。」というような事は聞いていました。
利根川がすぐそこなので、通り過ぎた可能性はあると思います。

その後、新選組研究家の先生にお会いした時に、聞いてみたのですが、「聞いた事あったかな?すぐに思い出せない。」というような事でした。
なので、新選組研究の中でもまだはっきりと判明していないようでした。
その後の研究でわかったのかもしれませんが、私はそこまでまだ勉強できていません。
すみません。


新選組に関係がある可能性が高いという史跡ですので、紹介しておきます。
詳しいことをご存知の方、ぜひ教えて下さい。


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千葉県柏市

総寧寺

2009年03月23日
総寧寺(千葉県市川市国府台3丁目10-1)です。
安国山総寧寺

安国山総寧寺2  安国山総寧寺3
慶応4年4月11日、江戸城が開城されたとき、新政府軍への抗戦を主張する旧幕臣らが下総市川の国府台(鴻ノ台)に集結しました。
そのさいに兵士たちの宿舎になったといわれています。
兵士の内訳は、伝習隊(大手前大隊)700、七聯隊350、桑名藩隊200、土工兵200の計1,400人余で、新選組からも土方歳三以下7人が参集しました。

新選組本隊は流山から会津方面へ向かっていたため、近藤勇を救出する工作のために江戸に潜入していた土方と、護衛役の島田魁、中島登、沢忠介、漢一郎、畠山芳次郎、松沢乙造ら6人だけが国府台へ向かいました。

国府台に当時、総寧寺は広大な敷地を占めていました。
当時は市立里見公園も含めた一帯がすべて寺の敷地でした。

総寧寺で一泊した旧幕府軍の幹部たちは、翌4月12日に市川宿中心の大林院で軍議を開き、即日、会津、宇都宮、日光方面へ出発しました。
土方らが総寧寺に滞在したのは1日でした。
そのためか、総寧寺には、戊辰戦争時に兵士たちの宿舎となったことは伝わっていません。

維新後、寺域の大半は明治政府に買い取られ、陸軍の兵舎が建てられました。
それらは第二次世界大戦後に取り壊され、昭和34年、一帯は市川市によって里見公園として整備されています。
現存する総寧寺の建物は維新後に建て替えられたものです。
新選組史跡事典より


京成本線国府台駅を北側に出ます。
北に向かって歩きます。和洋女子大学の横を通り、国立国府台病院も通り過ぎると、公民館が左手(西)に見えます。
ここまで駅から約1.5㎞です。
公民館の横手を西に曲がると、約350mで総寧寺の前に着きます。

少し前から雨が降り出しました。
私は雨女ですから…。
土方歳三が1泊した場所です。
このお寺の敷地のどこに滞在したのでしょう。
広大な敷地のお寺だったので、ピンポイントで知ることは無理でしょう。
それに建物も、幕末当時のものではないですからね。
昭和になって整備されているので、もしかしたら風景自体が全く変わっているのかもしれません。
仕方がないですが、やっぱり残念です。

私はこの頃の新選組をあまり勉強していないので、あまり詳しくわからないのです。
浪士隊参加頃までは、やんちゃな青春時代-明るいイメージ。
京都での新選組-輝く絶頂期。
鳥羽伏見の戦い-少し翳りが出てきますが、まだ明るいグレーのイメージ。
箱館・五稜郭-敗者の美学。 なのですが、
帰東から会津までは、-新選組解体、悪足掻きというような、黒の時代というイメージが私の中にあります。
もちろん私の勝手なイメージです。
なので、どうもこの暗くどんよりした思い時期が好きになれなくて、駆け足で見てしまっています。

そんな勉強不足な状態ですから、あちらこちらと廻って、その時は嬉しくて覚えていても年数が過ぎると忘れてしまっているのですよね。

総寧寺のこの風景は覚えていますが、詳しく書けるほど覚えていません。
今度はちゃんと勉強して行きたいです。
是非チャンスがありますように。


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