新選組を中心に歴史の舞台を巡ります
昌念寺−桂小五郎潜居跡之地(?)
2008年11月20日 (木) | 編集 |
「桂小五郎潜居跡之地碑 陸」で書いた碑の東隣に昌念寺(兵庫県豊岡市出石町魚屋)があります。
昌念寺
「桂小五郎の潜伏地で、ここで囲碁を打っていた。」
という記述もあります。

“碑”は建っていませんでした。
しかし、6つしか碑を見つけられなく、パンフレットにも6つしか書かれていません。
ということは、この昌念寺も潜居地として数えて、あわせて7つ(7ヶ所)とするのでしょうか?

1つははっきりとわかりませんでしたが、この町を桂小五郎が歩いたのは事実なのです。
荒物屋に扮していたというので、今残っている写真とは全く違う格好だったのでしょう。
さすがにその姿は残っていないでしょうね。
桂小五郎潜居跡之地−陸
2008年11月20日 (木) | 編集 |
桂小五郎潜居跡之碑(兵庫県豊岡市出石町魚屋)がここにもあります。
木戸孝允潜伏地6

辰鼓楼から北に進み西方寺の交差点を、先ほどと反対側の東に曲がります。
100m進んだところの、塀の側面(?)に碑が建っています。
桂小五郎潜居跡之地−参・肆・伍
2008年11月20日 (木) | 編集 |
桂小五郎潜居跡之碑(兵庫県豊岡市出石町田結庄)が3ヶ所、かたまってあります。
出石2264

木戸孝允潜伏地2  木戸孝允潜伏地1
“桂小五郎潜居跡之碑 参”
寿し梅前にある碑です。

木戸孝允潜伏地3
“桂小五郎潜居跡之碑 肆”
寿し梅の斜向かいの玩具屋の横にあります。

木戸孝允潜伏地7
“桂小五郎潜居跡之碑 伍”
玩具店の横の道を挟んで西隣で、駐車場の辺りにあります。

この3つの碑は、交差点に立って一回転すると、すべて見ることが出来ます。
交差点の3つの角にあるといっても大丈夫ですね。

こんなに近い場所で、隠れ家を変えてもあまり意味がなさそうな…。
少し他の場所に移って、戻って来たら前の場所の隣だったとか…?
そうでないとおかしいですよね。

この小さな碑を見る人は、ここでもいませんでした。
私が行く場所は、観光地であってもその中でのマニアックな場所だからでしょうか、立ち止まる人を見ることがありません。
この出石でもそうでした。
大きな碑の“勤王志士桂小五郎再生の地”はまだ1組止まっているのを見かけましたが、この小さな碑では誰もみかけませんでした。

観光で来る人なら、辰鼓楼と城跡でしょうね。
桂小五郎潜居跡之地−弐
2008年11月20日 (木) | 編集 |
出石にある7つの桂小五郎潜居碑(兵庫県豊岡市出石町田結庄)の1つです。
木戸孝允潜伏地5
この碑があった場所がここなのか、不確かになってしまいました。
もちろん出石にある7つの碑の内の1つには、間違いありません。

“勤王志士桂小五郎再生之地”碑からそのまま西へ50m進むと、桂小五郎潜居跡之碑と書かれた、小さな碑があります。

ヨイダマチ通と田結庄通が交わる少し手前の、ヨダイマチ通にあります。
米穀店の斜向かいの割烹店の横に建っています。
桂小五郎潜居跡之地−壱
2008年11月20日 (木) | 編集 |
兵庫にある桂小五郎潜居跡之地(兵庫県豊岡市出石町宵田 中央南側)です。
桂小五郎居住跡1  桂小五郎居住跡2
文久3年8月18日の政変で、七卿とともに京を追われた長州藩でしたが、桂小五郎は京で藩の無実の罪を雪ごうとしましたが、果たせず9月に帰藩しました。

元治元年4月に、京都留守居役として再上洛、この年7月に禁門の変が起こり、長州藩は敗退しました。
しばらく対州藩邸に潜んだ後、小五郎は広江孝助と変名して但馬出石に、荒物屋を装って潜居しました。

その時に手引きしたのが、出石の商人・広戸甚助でした。
出石では9ヶ月間の潜伏生活を送っています。
現在、出石には7つの潜居碑があり、何度も隠れ家を変えていたことがうかがえます。

これらの事から、小五郎は慎重な性格のようですが、博打好きで大きな借金も作ったようです。
甚助が博徒だった影響もあるかもしれません。
写真でみる維新の京都&JR西日本平成16年度パンフレットより


JR西日本のパンフレットに書かれている、出石への行き方です。
JR大阪駅から、福知山線特急「北近畿」で豊岡駅へ行き、全但バスで約30分出石営業所まで行きます。
又は、JR姫路駅から特急「はまかぜ」で豊岡駅へ、全但バスで出石営業所で降ります。
車が可能なら、車で行かれた方がいいかもしれません。

出石といえば、出石そばが有名です。
是非出石の皿そばを食べてみてください。

平成の大合併で豊岡市になりました。
豊岡といえば、「コウノトリ」ですね。
盆地なので、夏は近畿地方で一番暑くなります。40度前後のこともしばしばです。
そして冬になると、極寒です。
少し北に上がると、日本海です。
冬は城崎温泉でカニもいいですね。
餘部鉄橋はコンクリートに工事中(もう工事は始まったのかしら?)です。

さて、出石の桂小五郎潜居の地ですが、一番大きな碑「勤王志士桂小五郎再生之地」は、豊岡市出石町宵田にあります。
辰鼓楼から北へ真っ直ぐ歩きます。
西方寺のある角を西へ曲がり、100mほど行ったおそば屋さんの前に碑があります。

この場所に桂小五郎が潜伏したのは信じられませんでした。
ある種の、「そういう噂もあります」話、かと思っていました。
でも違ったのですね。
長州の田舎の方とか、交流のあった有名な志士の故郷とかなら想像しやすいと思います。
でも出石ですよ。
だれも出石なんて思い浮かべませんよね。

私もがそう思うという事は、潜伏は大成功という証ですね。
潜伏なのだから、人に知られては失敗になりますね。
荒物屋を装ったそうですが、店は繁盛したのでしょうか?
幾松が接客に長けているでしょうから、看板娘ならぬ看板奥様で繁盛でしょうか。