阿倍王子神社

2009年06月04日
安倍氏の氏神を祀っている阿倍王子神社(大阪府阿倍野区阿倍野元町9-4)です。
阿倍王子神社1

阿倍王子神社2  阿倍王子神社3
熊野街道(現:阿倍野街道)に面していて、古くから熊野信仰の中継点として栄えていました。

奈良時代には氏寺の阿倍寺があり、伝説では「阿倍寺千軒坊」と称されたといいます。
境内には葛之葉稲荷神社が鎮座します。
安倍晴明読本および安倍晴明&陰陽師大全より


安倍晴明神社の南隣です。
60mほどは離れていて、二つの神社の間に路地に入る道が2本あります。

現在、北にある安部晴明神社はこの阿倍王子神社の末社となっています。
安倍晴明関係の史跡はありませんが、安部氏の氏神様の神社ですから縁の神社です。

さすがに安倍晴明に縁の二つの神社です、占いが行われていました。
私は占ってもらわなかったのですが、晴明の力で先を見通されていたかもしれません。


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安倍晴明

叡福寺-上の太子 聖徳太子御廟

2009年05月06日
聖徳太子の廟所・磯長陵がある叡福寺(大阪府南河内郡太子町大字太子2146)です。
叡福寺2139  叡福寺1138
河内三太子のひとつです。
羽曳野市野々上 野中寺(中の太子)
八尾市太子堂 大聖勝軍寺(下の太子)
南河内郡太子町 叡福寺(上の太子)

598年、聖徳太子が諸国の巡察を行った際、この地に五色の瑞光を見て、619年に自ら横穴式石室の廟所を築造しました。
直径50m、高さ10mの円墳です。
622年2月、太子が没してこの廟に葬られると、推古天皇は太子追福のため香華所として坊舎を建立しました。
これが叡福寺の起源とされています。

724年、聖武天皇の勅願により東西両院を造営しました。
東の伽藍を転法輪寺、西の伽藍を叡福寺と称しました。
弘仁年間には空海が、1191年には親鸞が参籠し、日蓮なども度々訪れたそうです。

承安年間、平重盛によって堂宇の修築がされました。
1574年の兵火により諸堂を焼失しましたが、1603年、後陽成天皇の勅で豊臣秀頼が聖霊殿を再建、その後、他の諸堂も再建されました。

廟は「三骨一廟」とも呼ばれ、太子、太子の母・穴穂部間人皇后、太子の妃・膳菩岐々美郎女が合奏されています。
墳丘の周囲には結界石が二重にめぐらされており、内側のものは空海が作ったとされます。
外側は寛保年間に造られたといわれ、『浄土三部経』の経文が刻まれています。
かつては墓の上に「大乗木」という梓の木があり、間人皇后埋葬の際、太子が轅を挿し大乗の法を説いたものが後に生い茂ったとされています。
聖徳太子の本より

案内142
近畿日本鉄道南大阪線上の太子駅にある周辺案内板

近畿日本鉄道南大阪線上ノ太子駅から少し歩きます。
南側のロータリーがある方へ降ります。
ロータリーを出て左へ、上ノ太子駅前東交差点から南阪奈道路をくぐり、まっすぐに歩きます。
国道166号へは出ません!
道なりに真っ直ぐ、右折も左折もなしです。
約2㎞、ひたすら真っ直ぐです。
叡福寺東交差点まで出ると、右に曲がります。
右に曲がり広場を過ぎた所が叡福寺です。

もう少し頑張って歩けば、小野妹子墓(2009年3月6日参照)に行けます。

関西に住んでいながら、聖徳太子のお墓が大阪にあるとは知りませんでした。
漠然と、あるとしたら“奈良”だと思い込んでいました。
それ以前に、聖徳太子のお墓あるのか?なんて考えもしていませんでした。
どこか伝説の人、架空&想像上の人物というような、超絶したものがありました。
お札の人!昭和生まれの人は、やはり聖徳太子はありがたみのある人でしょう(笑)
まさかお墓があるとは…。

住宅街を抜けると、叡福寺がありました。
すごく静かな場所。
観光地ではないですね。
聖徳太子という、だれもが知っている人のお墓ですが、すごく静かでした。
土方歳三、沖田総司といっても、知っている人の割合の方が少ないと思いますが、聖徳太子といえば8割から9割の人が知っているでしょう。
なのでもっと、観光地化された場所で、人も多いのかと思っていました。

お墓といっても、幕末維新の人のお墓とは違い、古墳・廟ですので墓石はありません。
屋根の付いた入口(? 何というものでしょうか?古墳には詳しくないので…。)という、立派なものはありました。
棺が納められるのは、もっと彼方なのですよね。
幕末人のお墓参りをして、目の前のお墓の下に眠ってる。と感慨に耽るのはとまた違って、このどこかに眠っている…なのですね。

さて、私がなぜ聖徳太子史跡巡りをしようとしたかというと、もともと幕末以外でも歴史は好きでした。
もちろん新選組や幕末が一番好きです。
山岸涼子氏の「日出処の天子」を読んで、すごく新鮮な聖徳太子に会ったからです。
この作品は、法隆寺や聖徳太子を信仰する人たちからは、太子を冒涜しているというような抗議があったらしいと聞きました。
太子が同性しか愛せず、超能力者だという設定です。
でも妙にしっくりするストーリーで、すごく魅きつけられたのです。

私は気になると、自分でその関連史跡に行って、その場所を自分の目で見たくなります。
歴史上の人物と同じ場所に立って、いろいろと共有してみたいというのでしょうか。
という事で、聖徳太子の史跡巡りを2~3回おこなったというわけです。
まだまだ行って見たいところはありますが、新選組&幕末優先なので、これからに取ってあります(笑)


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小野妹子墓

2009年03月06日
小野妹子墓(大阪府南河内郡太子町山田 科長神社内)です。
小野妹子墓2141  小野妹子墓1140
推古天皇陵の東にある科長神社の石段を登ると、太子町を一望できます。
そこに直径15m、高さ3mの楕円状の小塚があります。
聖徳太子が派遣した遣隋使として有名な小野妹子の墓です。

雑木林のようですが、春は桜、秋は紅葉の名所として有名です。
地元では「いもこいさん」と呼ばれ、親しまれています。
エアリアマップ旅・王・国 大阪より


近畿日本鉄道南大阪線上ノ太子駅から少し歩きます。
南側のロータリーがある方へ降ります。
ロータリーを出て左へ、上ノ太子駅前東交差点から国道166号を南へ歩きます。(竹之内街道)
ずっと国道166号を歩き続けます。
1.8㎞近く歩くと、太子町交番前交差点で国道166号と、主要地方道32とに分かれますが、さらに国道166号を歩きます。
700m程のところで、3つ目の信号のある交差点にでます。
そこを南に曲がり、400m程で曲がってから1つ目の信号があります。
そこを東に入っていくと、小野妹子の墓まであと300mです。
遠いです。

途中で聖和台の住宅地へ曲がり、住宅街を南下すれば聖徳太子の墓のある叡福寺へ行く事ができます。
そこからなら主要地方道32まで南下して、東へ歩くと太子町交番前交差点に出ます。

私は叡福寺からずっと歩いたのですが、車が使える人は、道の駅 近つ飛鳥の里太子からだと、1㎞弱でいけると思います。
お墓の近くに駐車場があったかはわかりません、私が歩きな為…。

この周辺は、推古天皇陵、用明天皇陵(聖徳太子父)、二子塚古墳、敏達天皇陵、孝徳天皇陵等多くの天皇陵があります。

小野妹子の墓が存在するとは思っていなかったので驚きました。
何百年前の人でしょう!
小野妹子からすると、つい最近の人である新選組や幕末の人ですらお墓の場所がわからない人が多いというのに…。
現在のような墓石がない時代ですから、お墓というのは古墳のような感じでした。

人気のない坂を上っていくと、古墳が現れて、それが小野妹子のお墓でした。
雑木林のようになっていますが、古墳だとそんな感じですよね。
石灯籠なども置かれて、ちゃんと管理されているのだろうなと思いました。

私も最初、小野妹子と聞いた時は“女性”だと思ったくちです。
妹子さんゴメンナサイ。


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大阪府河内郡太子町
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