源氏物語 宇治十帖-紫式部

2008年11月28日
源氏物語 宇治十帖 紫式部像(京都府宇治市宇治蓮華 宇治橋西詰)

源氏物語千年紀だそうです。

新選組&幕末とは、う~~~んと、離れていますがメモ代わりに書いています。

紫式部
 宇治橋西詰にある紫式部像


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源氏物語千年紀 京都
源氏物語 宇治十帖巡り

源氏物語 宇治十帖-夢浮橋

2008年11月28日
源氏物語 宇治十帖 夢浮橋古墳(京都府宇治市宇治蓮華 宇治橋西詰)

夢浮橋1109  夢浮橋2110  (1992年)


夢浮橋3  夢浮橋6

夢浮橋4  (2008年)

のりのしと たづぬるみちを しるべにして
       おもはぬやまに ふみまどうかな

薫は横川僧都から浮舟であることを確かめました。
僧都に浮舟との仲介を懇願し、仏罰をおそれつつも消息をしたためてもらいました。
薫一行の来訪を知りつつ、浮舟はひたすら阿弥陀仏を念じました。
薫は自分の文に僧都のそれを添えて、浮舟の弟小君を訪ねさせました。
浮舟の心は乱れましたが、心強く逢うことを拒みます。
薫は誰かが浮舟を隠しすえているのかさえ、疑うのでした。
古典を歩く(2)源氏物語より


現在は、宇治橋西詰にありますが、以前はその向かい側のお店の前にありました。

源氏物語 宇治十帖-手習

2008年11月28日

源氏物語 宇治十帖 手習古墳(京都府宇治市莵道田中)

手習108  (1992年)


手習2  手習3

手習4  (2008年)

みをなげし なみだのかわの はやきせを
       しがらみかけて たれかとどめし

横川にはなにがしの僧都と呼ばれる名僧がいました。
その僧の母尼と妹尼が長谷詣の帰途、母尼が宇治で倒れ、僧都が駆けつけた折に、気を失った浮舟を発見しました。
妹尼は亡き娘の生まれ変わりかと驚きました。
僧都の懸命の祈祷により、浮舟は蘇生しました。しかし、素性は語りません。
妹尼の娘婿が尼たちのいる小野の地を訪れ、浮舟に一目ぼれします。
浮舟は尼たちが不在の時、僧都に請うて出家していまいます。
その後は手習三昧の日々を送ります。
内裏では女一宮の病で僧都が召され、そのついでに僧都は明石中宮に浮舟のことを話しました。
その話を伝え聞いた薫はさっそく横川に向かいました。
古典を歩く(2)源氏物語より

源氏物語 宇治十帖-蜻蛉

2008年11月28日
源氏物語 宇治十帖 蜻蛉古墳(京都府宇治市莵道大垣内 京都翔英高校横)

蜻蛉107  (1992年)


蜻蛉6  蜻蛉4

蜻蛉3  (2008年)


蜻蛉5
蜻蛉古墳の前の道路にはめ込まれていました。

ありとみて てにはとられず みればまた
       ゆくへもしらず きえしかげろう

宇治では浮舟が行方不明となり、大騒ぎをしています。
薫は母・女三宮のために石山に籠っていましたが、ただ仏に祈るばかりです。
匂宮も床に臥してしまいました。
薫は宇治に赴き、四十九日の法要を営みました。
六条院では、明石中宮が源氏と紫上のために法華八講を催し、薫は女一宮に惹かれるものを感じました。
薫・匂宮・浮舟の関係は中宮の耳にも入りました。
薫は蜻蛉の飛び交う夕べ、宇治の姫たちとの因縁を思います。
古典を歩く(2)源氏物語より


三室戸寺への巡礼みちに立っている“かげろう石”をあてています。
自然石に来迎阿弥陀三尊が線刻されています。

源氏物語 宇治十帖-浮舟

2008年11月28日
源氏物語 宇治十帖 浮舟古墳(京都府宇治市莵道滋賀谷21 三室戸寺)

三室戸寺

浮舟  浮舟4

浮舟3   (2008年)

たちばなの こじまはいろも かはらじを
       このうきふねぞ ゆくへしられぬ

匂宮は浮舟のことを忘れないでいました。
中君に宇治からの便りもあり、薫が宇治に浮舟を囲っていることを聞きます。
匂宮はある夜、薫を装って忍び入りました。
匂宮は翌日も留まり浮舟を慰めます。
しかし京での批難を聞き、しぶしぶ帰りました。
2月の雪の中、匂宮は再び宇治を訪れ、浮舟と宇治川で舟遊びをします。
ある日、薫と匂宮の使がかち合い、宮の宇治通いが露顕しました。
浮舟は2人の間で苦悩し、ついに入水を覚悟しました。
古典を歩く(2)源氏物語より


三室戸寺の参道にあります。
かつては莵道稚郎子陪塚あたりにありましたが移転、その後もとへ戻されましたが、再度ここへ移されました。

と、本にはありましたが、1992年に訪れた時は、三室戸寺境内の庭園にあった記憶があります。
そして2008年の今回は、本堂の横にありました。
今でも、浮舟のように転々としていますか?
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