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枳殻邸

2009年02月08日
東本願寺の東方に枳殻邸(京都府京都市下京区間ノ町通正面東)があります。
枳穀邸
文久3年2月11日、一橋慶喜の宿所枳殻邸へ、三条・野宮・阿野・橋本・豊岡・滋野井・正親町・姉小路の八公卿が、「攘夷期限を定めよ」との勅諚を持って訪れ、慶喜とともに待つ松平春嶽・松平容保・山内容堂に迫りました。
幕府側は徹宵協議の末、上洛を終えた将軍が江戸へ帰り着いた後、二十日目をその日とするとの上答書を差し出しました。

枳殻邸は正式には「渉成園」といい、寛永18年家光より寄進の鴨川沿いの地に、東本願寺13世宣如上人が隠居所として建設した百間四方の屋敷で、石川丈山が作庭した庭には、高瀬川やお土居も取り込まれました。

そのほとんどが失われましたが、屋敷の周囲に植えられた枳殻(からたち)の木が、邸の呼び名となりました。
写真でみる維新の京都より


JR京都駅、京都市営地下鉄烏丸線京都駅、近畿日本鉄道京都駅から、烏丸通を北に行きます。
東本願寺の山門前まできたら、東本願寺と反対方向の東に曲がります。
突き当りが枳殻邸です。
もしくは、京阪電鉄七条駅から七条大橋を渡り七条河原町交差点を北に曲がると、100mほどで枳殻邸の南東隅に着きます。

“枳殻邸”を何と読むのかわかりませんでした。
“きこくてい”と読みます。
“きこく”とは何ぞや?と次の疑問に当りました。
“からたち”のことです。
からたちの咲く屋敷ですね。

この場所に、慶喜、春嶽、容保、容堂が勢ぞろいしたことがあるのです。
すごいですよね!
見てみたかったです。
現在のように、録画・録音技術が発達していれば、誰かが写真を撮ったりビデオをまわしていた可能性があるのに…。

4人の力関係や友好関係など、垣間見ることが出来そうです。
ビデオなら声までOKなのにね。
想像すると、本当に残念になって来てしまいました。


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東本願寺

2009年02月08日
枳殻邸は東本願寺(京都府京都市下京区烏丸通七条上ル)の別邸です。
東本願寺
東本願寺は、慶長7年2月に教如上人が、徳川家康より東六条の新たな四町四方の地を寄進されて創設したお寺です。
堀川の本願寺に対して、東本願寺と通称します。

創建以来の建物は、元治元年、禁門の変の火災で焼失しました。
現在の建物は、明治13年着工され、28年に完成しました。
写真でみる維新の京都より

JR京都駅、京都市営地下鉄烏丸線京都駅、近鉄日本鉄道京都駅から、真北に500mの所にあります。
迷うことは9割がた考えられません。

西本願寺と東本願寺に分裂した経緯や、現在のそれぞれの距離感などは私にはわかりません。
分裂した経緯は戦国時代まで(?)遡ったような…。
信徒でもないので、ごく一般的にお参りする者としては、西本願寺も東本願寺も広大な境内を持って、建物の雰囲気も似ているという印象です。

新選組が目にしたであろう建物は、禁門の変で焼けてしまってました。
新選組が見たであろうものは、この境内の広さだけかもしれません。
写真の左端に写っている木もそれ以降のものでしょうか?
樹齢100年以上には届かない?少し小さいかも。

枳殻邸はこの東本願寺の別邸として、13世宣如上人が隠居所として建てたものになります。


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二条城-旧二条城石垣

2008年11月02日
二条城(京都府京都市中京区堀川通二条西入二条城町)の中に、旧二条城石垣が復元されています。
旧二条城石垣

京都市営地下鉄烏丸線の工事の時に発掘されたものです。

旧二条城とは、織田信長が15代足利義昭の為に造った城です。

“旧二条城”があったのですね。
二条城は二条城だけだと思っていました。
それも織田信長ですか。
こちらも超が付くほどの有名人ではないですか。

京は古からの都だったのですね。
しかし織田信長の遺構が、ひっそりと(誰も足を止めてみていませんでした)復元されているなんて。

もっと時がたてば、新選組の史跡も同じような運命を辿ってしまうのでしょうか?
そういえば、高知の坂本龍馬関係の坂本家墓所のお墓が排除されるような話を聞いていたのですが、どうなったのでしょう?

二条城-天守閣跡

2008年11月02日
二条城(京都府京都市中京区堀川通二条西入二条城町)の天守閣は再建されませんでした。
その天守閣跡が本丸庭園の横にあります。

二条城遠景
天守閣跡より、本丸御殿方向を望む

二条城-本丸御殿

2008年11月02日
二条城(京都府京都市中京区堀川通二条西入二条城町)の本丸御殿
二条城本丸1
本丸御殿

二条城本丸車寄
本丸御殿車寄

本丸は寛永3年、3代家光により増築したものです。
もとは5層の天守閣がありましたが、寛延3年雷火により焼失しました。
また、天明8年には、大火による類焼で本丸内の殿舎もなくなりました。

現在の建物は、もと京都御所にあった旧桂宮御殿を明治に、移し建てられたものです。
この建物は弘化4年に、建てられたもので、宮御殿の遺構としては完全な形で残っている唯一のものです。
元離宮 二条城パンフレットより

屋根の真ん中が膨らんでいるのが、(私にしては)珍しく思いました。
あまり見ませんよね?

元は京都御所にあった桂宮御殿を明治になって移築というのであれば、幕末当時はここにはなかったのですね。
でも京都御所で、幕末維新の歴史の刻んできたわけですね。
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