えっ?! 黒田官兵衛=黒田如水

2014年02月03日
え~、知らなかった。
黒田官兵衛と黒田如水が同一人物だったなんて。

京都で幕末史跡巡りをしていた時に、何度か“黒田如水邸跡”の前を通りました。
「黒田如水って? 聞いたことがあるような…。」って事で、一応写真を撮っておおきました。
それが2009年3月6日にUPした写真でした。

そして数日前、黒田如水と官兵衛が同一人物だとしりました。
思わず「え~っ!!」と声に出していたかもしれません。
本当に戦国時代は苦手だわ。
人物関係が分らないし…。
それ以前に、変名というか他の名前すら分らない…。

そしてこの官兵衛の子供が黒田長政(この人の名前は知ってます)なんですね。

さらに近くに黒田官兵衛に関する史跡がたくさんある事も先日知りました。
自転車でも行ける所があるではないですか。

幕末関係はなかなか行けないので、官兵衛の史跡巡りをして戦国時代も少し勉強してみよう!








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高山彦九郎銅像へペンキ

2012年01月21日
三条大橋のたもとに高山彦九郎銅像(京都府京都市東山区三条大橋東)があります。

遥か御所を拝する高山彦九郎の銅像は、戦時中一時撤去されましたが、再び元の台座上に納まりました。
高山彦九郎は上野(群馬)の郷士で熱烈な勤王家となり、18歳の頃より五度京都へ上り、諸方に交わり、三条大橋から皇居を拝したり、足利尊氏の墓に鞭打つなどの奇行がありました。
幕吏に追われ、久留米で自刃しました。
写真で見る維新の京都より


この高山彦九郎の銅像に白いペンキがかけられていたそうです。
2012年1月21日の朝日新聞で目にしました。

この銅像、幕末に関係があるとは書籍でみていたのですが、写真に撮ってなかったみたいなんです。
三条周辺はあちこちと写真を撮りまくっていたのに、これだけ撮っていなかったなんてショックです。

白いペンキ、どうしてかけられたのでしょう?
思想の違い?
ただのいたずら?
たぶんいたずらなんでしょうね。
高山彦九郎がそんなペンキをかけられるほど超がつくほど有名人だとは思えないんです。
実は超有名人なんですか?

どうであれ、歴史上の人物の銅像にペンキをかけるなんて許せないですね。









霊山歴史館 武市半平太像

2011年12月28日
霊山歴史館に新たな像が登場!

今回は“武市半平太”です。
武市1
2012年1月号 会報“維新の道”より

武市半平太像2
高知県須崎市横浪県立自然公園の武市半平太像
(2008年7月26日参照)

顔の感じは似てる気がします。
確か武市さんは自画像が残っていましたよね。
でも写真は無かった…。

自画像も痩せこけたような様子ではなかったですか?
でも像を作ると同じような顔になる…。
同じ武市半平太像をつくるのだから同じ顔になって当然ですが、でも写真ではない自画像で此処まで似るのですね。
ということは、武市半平太はこんな顔をしていたということですか!

この記事を書いていたら、なんだかまた須崎の武市半平太像に会いに行きたくなりました。

抜けるような青空に、きらきら光る海。
そのなかに立つ武市さん。
周りには何もなく、もしかしたらこのまま忘れさられるのでは?と、少し心配になる武市さん。
龍馬より人気が少し薄い武市さん。
でも土佐藩の中では、気になる存在なんですよね。

大河ドラマの影響できっとファンもふえたでしょね。







霊山歴史館 リニューアル記念特別展 徳川幕府と新選組

2011年03月31日
霊山歴史館 リニューアル記念特別展 “徳川幕府と新選組”が4月から始まります。

霊山 新選組592 (2) - コピー  霊山 内容594

久しぶりの新選組の話題です!
昨年は龍馬一色でしたが、今年は少しは落ち着くのかな?
そして新選組が復活!! にはならないかな。
私としては、あまり人気者になりすぎるのもいやなので、今ぐらいがいいかな。

今回の特別展は、4月から7月(といってもほぼ6月)まであるので、ゴールデンウィークの旅行でいかがですか?

展示内容は特別目新しいものはないかな…と思っていますが、新選組の遺品は何度見てもいいです。
特に刀の美しさには見入ってしまいます。







壬生寺 樹下仙人図屏風

2010年05月12日
GWに京都国立博物館に行き、長谷川等伯展をみました。

壬生寺絵048

長谷川等伯はほとんど知らなくて、国宝の“松林図屏風”も初めてみました。
私としては、とくにいいなぁ~とは感じなかったのですが、それは人それぞれ、好みもありますからね。
“千利休像”は見たことがある絵でした。

その中に、“壬生寺 樹下仙人図屏風”(重要文化財)という作品がありました。
いきなり壬生寺という文字が目に飛び込んできて驚きました。

(他にも、智積院や大徳寺、相国寺など幕末の史跡巡りで訪れた多くのお寺に作品が残っているようです。)

あの壬生寺です。
今は収蔵庫に保管されているそうですが、幕末当時はどうだったのでしょうか?
大切に蔵のような場所に保管されていなければ、新選組の面々がこの屏風を見ていた可能性があるのですよね。
新選組が壬生に来て、京都の治安が悪くなっていった当時は、寺側も急いでどこかに隠していたかもしれません。

新選組隊士の中で、美術鑑賞した人はいないでしょう。
せいぜい、山南さんあたりが“ほっ、ほぉ~”と見たかもしれません。
土方さんは…微妙。

もしかしたら新選組隊士と同じものを今回目にしたのかもしれません。


長谷川等伯(天文8年- 慶長15年2月24日)は、安土桃山時代から江戸時代初期に活躍し、狩野永徳、海北友松、雲谷等顔らと並び桃山時代を代表する絵師です。
Wikipediaより




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京都壬生寺での節分行事の折に使われるホウラクを象って内にお福を外に鬼を描いた菓子器です。
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