鷺森神社

2017年08月10日
久々の京都では、鷺森神社(京都府京都市左京区修学院宮ノ脇町16)を通りました。

鷺森神社1  鷺森神社2

鷺森神社6

御神号は鬚咫天王
貞観年間(859年 - 877年)の間に創建されたとされます。
最初は比叡山麓、赤山明神の付近に祀られていたが応仁の乱の兵火で罹災し、今の修学院離宮の山林中に移されましたが、離宮造営の為、霊元天皇の思召しにより現在の鷺の社に社地を賜り、元禄2年6月御遷座になり修学院、山端の氏神社として今日に至っています。
Wikipediaより


鷺森神社5
離宮御幸震記の御歌日記にある霊元天皇が詠まれた和歌『 をりゐるを 見し鷺の森 すきかてに わけきて今日は むかふ神垣 』の記念碑があります。
この記念碑は文学博士吉沢義則が執筆揮毫したものです。



本当に、何年ぶり?という京都でした。
今回の目的は次のブログに書く予定の植物でした。
目的が植物…もちろん私が言い出したのではありません。
その途中に、この鷺森神社を通りました。

京都といえば、夏休み中ですし、観光客でいっぱいかと思っていましたが、この鷺森神社付近はほとんど観光客はいませんでした。
鷺森神社では地元の方が2人ほど歩いていらしただけで、静かで蝉の声しか聞こえませんでした。
(この後、目的を達成したあと貴船に足を伸ばしたのですが、そこではヒグラシが鳴いていました。
ヒグラシの印象は晩夏の夕暮れなんですが、まだまだこれから暑くなる季節なのですが、貴船はそれだけ涼しいのでしょうね。)

私の知る限り鷺森神社で新選組が何かをしたというのはないのですが、京都市中ですからね。
巡回とかどこかに行く途中に通ったとかはあるのかもしれないですね。
この神社を通り抜けたら、曼殊院があります。幽霊画で有名ですよね。
詩仙堂(久坂玄瑞位牌が安置)も近いですね。
井伊直弼の密偵村山たかの墓のある圓光寺も近いですので、長州関係などで探りにきている可能性はゼロではないかも…。




最近は新選組をみると、やはりあのグループと重ねてしまうのです。

まずは全く歴史から離れます。
この前、DVDを見ていたらリーダーが一人ずつ曲の歌詞に合わせて指をさすという振りの曲がありました。
その時に指されたメンバー全員が、“照れくさいけれどすごくうれしい”という表情をしているのです。
それも振付の中身といわれればそうですが、それを越えたような表情に思えたのです。

また、リーダーが他の人に評価されると、これまた全員が「すごいでしょ」って感じで、リーダーを自慢しているような表情をしているのも感じます。

この夏にあった10時間の音楽番組
での私の感想です。
先輩が体調不良で二人が助っ人で出ていました。
先輩を挟んで3人で歌って踊っていましたが、3人ピッタリとあっていましたよね。
でも、助っ人2人のシンクロ率が半端なかったと思いませんか?
3人でもピッタリなんですが、2人はそれ以上にあっているのですよ。
何が?
何かが一緒なのです。

その後、大トリで5人で歌った2曲目のイントロの踊りには言葉が出ませんでした。
何から何までピッタリ!
あのそろい方は何?!
凄い!! 凄すぎて言葉にできないです。


というのを考えながら、じゃあ新選組だったらどうだってことです。
新選組の局長近藤勇がリーダーと同じように、隊士からの自慢の対象になりうるか?
いやぁ~無理やね。
一般的なイメージでいえば、そうなりうるのは沖田総司ですよね。

ではリーダーを新選組に当てはめると沖田総司かな?
確かに才能と慕われ方からすると沖田総司に合いますね。
そうすると近藤勇は次の年長者さんで、土方歳三は末っ子かな…。
総武線トリオは藤堂平助と原田左之助という感じではないでしょうか。

今のところはこの感じですが、また変わるのでしょうね。
その時はまた書かせてもらいます。












えっ?! 黒田官兵衛=黒田如水

2014年02月03日
え~、知らなかった。
黒田官兵衛と黒田如水が同一人物だったなんて。

京都で幕末史跡巡りをしていた時に、何度か“黒田如水邸跡”の前を通りました。
「黒田如水って? 聞いたことがあるような…。」って事で、一応写真を撮っておおきました。
それが2009年3月6日にUPした写真でした。

そして数日前、黒田如水と官兵衛が同一人物だとしりました。
思わず「え~っ!!」と声に出していたかもしれません。
本当に戦国時代は苦手だわ。
人物関係が分らないし…。
それ以前に、変名というか他の名前すら分らない…。

そしてこの官兵衛の子供が黒田長政(この人の名前は知ってます)なんですね。

さらに近くに黒田官兵衛に関する史跡がたくさんある事も先日知りました。
自転車でも行ける所があるではないですか。

幕末関係はなかなか行けないので、官兵衛の史跡巡りをして戦国時代も少し勉強してみよう!








【送料無料】黒田官兵衛鮮烈な生涯

【送料無料】黒田官兵衛鮮烈な生涯
価格:880円(税込、送料込)

高山彦九郎銅像へペンキ

2012年01月21日
三条大橋のたもとに高山彦九郎銅像(京都府京都市東山区三条大橋東)があります。

遥か御所を拝する高山彦九郎の銅像は、戦時中一時撤去されましたが、再び元の台座上に納まりました。
高山彦九郎は上野(群馬)の郷士で熱烈な勤王家となり、18歳の頃より五度京都へ上り、諸方に交わり、三条大橋から皇居を拝したり、足利尊氏の墓に鞭打つなどの奇行がありました。
幕吏に追われ、久留米で自刃しました。
写真で見る維新の京都より


この高山彦九郎の銅像に白いペンキがかけられていたそうです。
2012年1月21日の朝日新聞で目にしました。

この銅像、幕末に関係があるとは書籍でみていたのですが、写真に撮ってなかったみたいなんです。
三条周辺はあちこちと写真を撮りまくっていたのに、これだけ撮っていなかったなんてショックです。

白いペンキ、どうしてかけられたのでしょう?
思想の違い?
ただのいたずら?
たぶんいたずらなんでしょうね。
高山彦九郎がそんなペンキをかけられるほど超がつくほど有名人だとは思えないんです。
実は超有名人なんですか?

どうであれ、歴史上の人物の銅像にペンキをかけるなんて許せないですね。









霊山歴史館 武市半平太像

2011年12月28日
霊山歴史館に新たな像が登場!

今回は“武市半平太”です。
武市1
2012年1月号 会報“維新の道”より

武市半平太像2
高知県須崎市横浪県立自然公園の武市半平太像
(2008年7月26日参照)

顔の感じは似てる気がします。
確か武市さんは自画像が残っていましたよね。
でも写真は無かった…。

自画像も痩せこけたような様子ではなかったですか?
でも像を作ると同じような顔になる…。
同じ武市半平太像をつくるのだから同じ顔になって当然ですが、でも写真ではない自画像で此処まで似るのですね。
ということは、武市半平太はこんな顔をしていたということですか!

この記事を書いていたら、なんだかまた須崎の武市半平太像に会いに行きたくなりました。

抜けるような青空に、きらきら光る海。
そのなかに立つ武市さん。
周りには何もなく、もしかしたらこのまま忘れさられるのでは?と、少し心配になる武市さん。
龍馬より人気が少し薄い武市さん。
でも土佐藩の中では、気になる存在なんですよね。

大河ドラマの影響できっとファンもふえたでしょね。







霊山歴史館 リニューアル記念特別展 徳川幕府と新選組

2011年03月31日
霊山歴史館 リニューアル記念特別展 “徳川幕府と新選組”が4月から始まります。

霊山 新選組592 (2) - コピー  霊山 内容594

久しぶりの新選組の話題です!
昨年は龍馬一色でしたが、今年は少しは落ち着くのかな?
そして新選組が復活!! にはならないかな。
私としては、あまり人気者になりすぎるのもいやなので、今ぐらいがいいかな。

今回の特別展は、4月から7月(といってもほぼ6月)まであるので、ゴールデンウィークの旅行でいかがですか?

展示内容は特別目新しいものはないかな…と思っていますが、新選組の遺品は何度見てもいいです。
特に刀の美しさには見入ってしまいます。







 | HOME | Next »