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八坂神社(日野市)

2010年07月29日
八坂神社(東京都日野市日野本町3-14-12)です。

八坂神社1532  八坂神社2533

私が訪れたのは、1994年でした。
(※2008年6月20日のブログ参照)
日が落ちてから到着したので、境内は薄暗く写真もいまいちでした。

十年近く前になりますが、友人に写真を貰っていたのを思い出しました。
友人が訪れた時は、本殿が改修中だったそうです。

明るい中の鳥居の写真を載せておきます。









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日野宿

2010年07月28日
自分の目で見てみないと史跡、日野宿(東京都日野市日野本町)の石碑です。

日野宿488 

宿場町として整備されたのは慶長10年のことで、八王子宿を整備した大久保長安の手によって開かれました。
甲州街道は1685年以降、日野橋の開通までは、日野の渡しで多摩川を越え、東京都道149号立川日野線を南下し、新奥多摩街道入口信号で右折して東京都道256号八王子国立線を西進、日野駅前東交差点北側の日野不動産裏を左折して日野自動車手前で現甲州街道に合流する道筋でした。

本陣跡には本陣としては東京都内で唯一遺された当時の建物(日野市日野本町)が建っています。

その前の現在駐車場になっている辺りにあった長屋門を改装して佐藤彦五郎が天然理心流の道場を開きました。 (下の写真↓ )
この道場で剣術を教えていたのがのちの新選組局長近藤勇です。
近藤と土方歳三、沖田総司、井上源三郎、山南敬助ら新選組主要メンバーはここで出会った。
この向かいに問屋場と高札場があったが、現在は石碑が建つのみです。
Wikipediaより


satodojo2544.jpg

satodojo1543.jpg  satodojo3545.jpg

そば屋「日野館」(東京都日野市日野本町2-15-9)が、佐藤彦五郎の屋敷跡で、天然理心流佐藤道場跡になります。
道場は大正15年に火災で焼失しましたが、長屋門の門扉は冠木門として現存しています。
建物自体は文久3年(近藤・土方上洛後)の棟上だそうです。

正面中央の玄関敷台では、甲陽鎮撫隊進軍時の休息中に病をおして沖田総司が四股を踏んでみせた。
土方歳三が昼寝をしたのは玄関すぐ奥の10畳間。
土方歳三の写真を持って来た、市村鉄之助が暫く滞在したのは、その向かって二つめの6畳間。
10畳間から奥に二つめの8畳間は、甲陽鎮撫隊時に歳三がノブに心配事を話した部屋。
その天井は文久3年当時、大工だった大石鍬次郎が張った。

などがあります。
新選組史跡事典より


私が“佐藤彦五郎道場”を訪れた時、この石碑は無かったような…。
新しい石碑ではないのでしょうか?






土方歳三忌

2010年05月14日
この前の日曜日…もう1週間も前になりますが…“土方歳三忌”だったのですね。

行くことが出来ないのが確定していたので、すっかり忘れていました(涙)
もう長い間、行くことが出来ずにいます。

今年の歳三忌はどうだったのでしょうか?

坂本龍馬ブームで、ミーハー(死語ですね 笑)なファンはそちらに移ったのでしょうか?
やはり根っからの新選組、土方歳三ファンが集まったのでしょうか?

来年はまだ行くのは無理ですが、またいつか行きたいです。



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土方歳三は10人兄弟-新聞記事

2009年12月28日
史料の整理をしていたところ、過去の新聞記事の中から見つけました。
今さらな気もしますが、紹介しておきます。

実は土方歳三は10人兄弟だったのです!

土方歳三兄弟 平成16年
新聞名・日付け不明

この記事の裏に平成16年2月の締め切りの文字が載っていたので、平成16年の記事であると思われます。

さて、土方歳三は10人兄弟だったそうです。
2人のお兄さんと2人のお姉さんが亡くなっているのですね。
でもやっぱり末っ子(笑)

この4人の兄姉が長生きしていたら、土方歳三の人生は違ったのでしょうか?
この中の誰かになついていて、その人の影響で同じ道を目指したとか…。
または性格が全然違っていて、武士にあこがれる事もなかったとか…。

そう考えると、この4人が残念ながらも早世された事で、新選組の鬼副長土方歳三が誕生したのかもしれません。

でも家系図作成時に、早世したからと外されるのは可哀想ですよね。
短い間でも、この世に存在していたのに。
忘れられていたとしても、わざと外されたとしても、どちらにしてもさびしいです。



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浅川-石田散薬(牛革草)

2009年03月28日
浅川(東京都日野市)です。
多摩川
浅川だと思います。多摩川ではないはず…。

多摩川は、山梨県・東京都・神奈川県を流れる多摩川水系の本流で一級河川。
全長138km、流域面積1,240km²。


浅川は、東京都八王子市および日野市を流れる一級河川。多摩川の支流のひとつです。
東京都八王子市・神奈川県相模原市の境目にある陣馬山(857m)や堂所山(731m)に源を発し東へ流れ、日野市石田付近で多摩川に合流します。
小仏峠を源流とする南浅川の合流地点(八王子市役所付近)より上流を通称として北浅川と呼びます。。
八王子市楢原町付近(中央自動車道の架橋下付近)の流域では、メタセコイヤの化石や象の一部の化石が発見されています。

流路の長さに比べて川床が高く傾斜が急なため、度々氾濫し流路を変えてきました。
たとえば日野市の新井橋を挟んで両岸に新井という地名がありますが、これは浅川の流路変更によって分断されたためです。
かつての浅川は今よりももっと南を流れており、多摩川との合流地点も、もっと下流の関戸橋付近にあったことが知られています。


<石田散薬>
土方歳三生家が代々、宝永年間から伝える骨接ぎ、打ち身の妙薬です。
原料は多摩川、浅川などに野生する牛革草(みそそば)を土用の丑の日採取、陰干しにして、のち、黒焼きにして粉にする。
服用の際には必ず酒で飲む。

これと同じ原料と製法の「虚労散」は、佐藤彦五郎家家伝のものですが、これは白湯で服用します。
両薬とも新選組の常備薬でした。

「虚労散」は肺病の薬です。
石田散薬原料の牛革草は、当時、村総出で採集されました。
その時は、まるで戦争のような騒ぎで、その大勢の人々を指揮したのが土方歳三で、采配は見事だったといいます。
その薬を売り歩いたのも土方歳三でしたが、成績はあまり芳しくありませんでした。
販売先は、武州・相州20里四方に及び、甲州にまで渡るといわれています。

土方家に現在、当時の卸先台帳が保存され、また薬を売り歩いた薬箱、薬つぼ(木製。京都から歳三が送ってきたもの)などがあります。
第二次世界大戦過ぎまで石田散薬は売られていました。

本当に薬効があったかは疑わしく、昭和23年、薬事法改正に伴う製造販売許可申請において、厚生省は「成分本質効能に関する客観性のある科学的調査研究がなされていない」として石田散薬に限らず、黒焼き全ての薬効を認めないという方針を示しました。
しかし、「石田散薬しか飲まない」と言って聞かなかった老人もいました。
今でも土方歳三資料館には製造中止した頃の石田散薬が僅かに残っていますが、土方家の人は「古く怖くて飲めない」と言っています。

また、牛革草自体はリューマチ、止血、鎮痛に効果のあるれっきとした薬草ですが、石田散薬は黒焼きにしたため薬効が台無しになってしまったと考えられます。
新選組大事典&Wikipediaより


写真は京王線高幡不動駅から、日野市石田の“石田寺”へ向かう途中に撮りました。
なので多摩川ではなく、浅川だと思います。

牛革草は多摩川、浅川に生えているようですね。
こんな河原で土方歳三が指揮を執って、採集をしたのかと想像すると、戦場のようだといいながらも平和で長閑な風景が浮かびます。
私も土方歳三の指揮下で、採集作業に参加してみたいです。
土方歳三に見惚れて、作業がはかどらないかもしれません。
一刀両断されるかも…。

ここで石田散薬作りを手伝い、行商していた頃に戻りたいと思ったことは無かったのでしょうか。
箱館で命を落とすことになっても、駆け抜けた人生の方が望んだ生き方だったのでしょうか。
き歴史の中に身を置いた人生の方を選んだ事に満足してそうですよね。


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